泣いて泣いて泣いて
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夕焼けによって、茜色に染まった中央湖。その湖畔、件の岩場にリコーダーの音色が響いていた。しかし、どういうわけかその音程はあやふやで、お世辞にも上手いとは言えないものだった。
やがて旋律は突然に途切れ、ややあってぱしゃんという水音。
「やれやれ。中々、上達せぬものだな。」
「しょうがないでしょ、まだ始めて一週間なんだから。」
「どうかな。お主が音痴ではない、という保証はないのだろう?」
「うるさいわね。これでも、歌は上手い方だったんだから。」
からかいを含んだライナリュートの声に、リコーダーを手にしたリアが口を尖らせた。もちろん、その眼は笑っている。
しばらくの間、会話が途切れる。岩場に腰を下ろしたリアと、水面の上に座り込んだ恰好のライナリュートは、並んで沈み行く夕陽を眺めていた。
「その様子だと、大分落ち着いたようだな。あの日のことを考えると、もう少しかかるかと思っておったが。」
「まあ、ね。実際、落ち込んでいる暇なんてなかったし。」
「ほう。それは面妖な。一体、何があったのだ?」
「それもこれも、全部トレベスの差し金よ。」
ライナリュートの問いに、リアは肩を竦めると小さく溜息をついた。
どうやら、カルネが村に戻って自分のことを話したらしい。翌日から、建材の相談に訪れた大工や、ジャムの仕入れの交渉に来た雑貨屋の商店主、薬を求めて訪れた幻獣人たちの対応で、リアはてんてこ舞いさせられることになった。その合間を縫って村の食堂「アベリア」にも顔を出し、差し入れの返礼にとその手伝いもした。久しぶりに木竜術で作った野菜や果物に、カルネや村人たちはとても喜んでくれた。
自分の死の痛手から立ち直らせるには、忙しくさせておくのが一番だと、トレベスは最初から分かっていたのだろう。周到に張り巡らされた計略に、リアはただ苦笑いするしかなかった。
「野菜や果物、薬だけじゃないのよ。トレベスが趣味で作ってた、染料や紙の注文まで来ちゃって。・・・コーセルテルで、うちがいかに色々な仕事を請け負ってたか、思い知らされた気分よ。」
「さもあろう。一人で、何とかなりそうか?」
「・・・まあ、トレベスの手伝いはしてたから、何とかなると思うけど。正直、やることが多過ぎて寝る間もないって感じね。カルロッタがいてくれて、本当に助かったわ。」
「その割には、このような所までやってきて楽器の演奏など、随分と余裕があるではないか。」
「そりゃ、気分転換の一つもしなきゃ、やってられないわよ。・・・それに、このリコーダーは、あたしにとってとても大事なものだし。」
言葉を切ったリアが、手にしたリコーダーを愛おしそうに見つめた。
このリコーダーは、家を訪れたターフ族の楽器職人が置いていったものだった。生前のトレベスから、“自らの死後に補佐竜に渡して欲しい”という注文を受けて作ったものなのだという。思わぬ形で手渡された“形見”に、またしてもリアは涙ぐむことになった。
それからというもの、一日のうちの二時間ほどを割いて、リアは中央湖の畔に来てはリコーダーを吹くようになった。指導する者もいなければ、楽譜もない状態での手探りでの演奏なのである。なかなか上達はしなかったが、それで構わないとリア自身は思っていた。リコーダーを吹いていると、心が癒されていく。それだけで、充分だった。
「そう言えば、一つ訊きたかったんだけど。」
「何かな、改まって。」
「この前のことなんだけど。・・・あたしが飛び込んだとき、どうして気付いたの? まさか、四六時中湖畔を監視してるわけじゃないんでしょ?」
リアの問いかけに、微笑んだライナリュートが遠い眼をした。
「まあ、私はここに三千年以上も居る訳だからな。術士と死に別れた竜は、お主だけではなかった・・・とだけ、言っておこうか。」
「ふうん。まあ、言われてみれば・・・そうだよね。」
「術士を見送った後、大抵の竜はここに来る。黙って耐え忍ぶ者、思い出話に花を咲かせる者、そして大声で泣き叫ぶ者。・・・反応は様々だったが、いきなり身投げをした竜は記憶になかったのでな、私もあの時は面食らったものよ。」
「もう・・・意地悪ね。」
途中からニヤニヤ笑いを浮かべたライナリュートの言葉に、リアは決まり悪そうに頭を掻いた。
「しかし、その様子ならば・・・もう、心配はせずに済みそうだな。」
「ええ。トレベスを忘れることはできないけど、あたしが泣いてたって何かが変わるわけじゃないし。だったら、前向きに自分が出来ることをして、生きていくしかないじゃない?」
「うむ。・・・その通りだな。」
「あたし、トレベスに竜医になるって約束したの。だから、落ち着いたら里に戻って竜医になる勉強をしようと思うの。それが、あたしがトレベスに出来る、一番の恩返しかな・・・って思って。」
いつの間にか、太陽は地平線の下へと没し、辺りは黄昏時の薄暗さに包まれていた。
立ち上がったリアが、小さく伸びをした。自分を見上げたライナリュートに向かって尋ねる。
「また、来てもいい?」
「勿論だ。そのリコーダー、上達ぶりを見定める相手が必要だろう?」
「ふふ。ありがと、ライナ。」
したり顔で答えるライナリュート。笑顔で頷いたリアは、踵を返すとしっかりした足取りで家への道を歩き始めたのだった。その片手に、トレベスの形見のリコーダーをしっかりと握り締めて。
はしがき
『MOON RIVER』とその補完話である『(98-5)週末の過ごし方〜ノルテの場合〜』を書き終わって、そう言えばこの時期の晩年話として構想していたものがもう一つあったことに思い当たりました。こちらは木竜術士ヴィーカの死を描いた『私の人生』の後日談ということになりますが、まあ最初の暗いこと暗いこと(爆)。そういう場合に限って筆が速く進むのは、一体どういうことでしょうか(爆死)。
新キャラのカルロッタですが、服装はまんま「メイド服」のイメージです。家の中に張り巡らされた木を使って、トレベスが屋内の会話を盗み聞きしていたというエピソードが『(269)四重奏』にありますが、カルロッタはその木に宿った精霊です。ただ、宿った時期がトレベスの最晩年だったので、昔のことは知りません(知ってたらリアは大変だろうなあ(邪笑))。
また、カルネとニアキス族についての話は『(272)ある朝目が覚めると』からです。こうやって見ると、随分と多くの話を書き続けてきたことが分かって、何やら感慨深いものがあります。
BGM:『Alone Again(Naturally)』(かとうあすか)