変。      3 

 −3−

「おい。おい、グリフ・・・」
「・・・んぁー・・・。・・・もう・・・飲めねえ・・・」

カウンターに突っ伏したグリフィスが、寝惚けた声を上げる。どうやら、いつの間にか酔い潰れて眠って
しまったらしい。蓋の開いたままのケージも、傍に転がしたままだ。
グリフィスの肩を揺さぶっていたマスターが、諦めたように小さく肩を竦めた。

「全く、仕方のないやつだ。・・・アレク、悪いが後で毛布の一枚もかけてやってくれないか。」
「あ、はい。」

毛布を取りに二階へ上がろうとしたアレクを、マスターが呼び止める。

「そうだ、アレク。さっきの話だが・・・」
「さっきの? なんですか?」
「グリフが言ってたろ。精霊術士にならないかって。・・・お前さん、どうするつもりなんだ?」
「・・・・・・。いきなりの話ですし、まだなんとも決めかねてるんですけど。」
「そうか・・・。・・・あのな・・・」
「はい?」

束の間、何かを言いたそうな表情を見せたマスターは、小さく首を振った。

「・・・いや、いい。・・・俺も寝るから、お前さんも遅くならないうちに休むんだぞ。」
「あ、はい。おやすみなさい。」
「お休み。」

二階から毛布を持ち出し、カウンターに突っ伏しているグリフィスにかける。
しばらく躊躇ったアレクは、カウンターの上に置かれたままになっていたケージをこっそりと摘み
上げると、中に向かって小声で呼びかけた。

「あの・・・火の精霊さん。起きてますか?」

ややあって、先程の精霊がその場に姿を現した。
辺りを見回した相手は、アレクに目を留めると不審そうな顔をした。自分を呼んだのが、主人である
グリフィスではなかったことに気付いたのだろう。

「オマエは・・・」
「あ、あの、すいません。ちょっと、お話が・・・」
「・・・・・・。」
「あ、待って!」

姿を消そうとした相手を、アレクは慌てて呼び止めた。訝しげに自分のことを振り返った相手に対して、
アレクは遠慮がちに切り出した。

「よかったら、その・・・傷の手当てをさせてくれませんか。」
「キズ・・・?」
「はい。その、腕の・・・」

精霊の左の二の腕には、深い切り傷があった。そこから流れ出した血によって、左腕は指先まで赤黒く
染まってしまっている。

「さっき、グリフィスさんがあなたを呼び出したとき、気になったんです。でも、あなたはすぐに戻って
しまったし・・・グリフィスさんもなにも言わないから。」
「・・・・・・。」
「あの・・・ご迷惑でしたか?」
「・・・勝手にしろ。」
「ありがとうございます。」

一瞬口をぽかんと開けた相手は、やがて呆れたようにそっぽを向いた。そんな相手をカウンターに
ある席の一つに座らせると、アレクは傷の手当てを始めた。
こうして近くで見てみると、相手の体には二の腕以外にも無数の小さな傷があった。包帯を巻き
ながら、アレクは相手に向かって小声で尋ねた。

「あの・・・この傷は、どうして?」
「・・・・・・。戦で、やられた。」
「戦・・・ですか?」
「他に、なにがある。」
「・・・・・・。」

吐き捨てるように言われ、アレクは顔を曇らせた。しばらく考え、ぱっと顔を輝かせる。

「ちょっと、待っててくださいね。」
「?」

首を傾げた相手をカウンター席に残し、二階へと駆け上がる。
しばらくして戻ってきたアレクは、ピンク色のリボンを手にしていた。それを傷口に巻いた包帯の上に
巻き付け、最後に大きな蝶々結びを作る。

「ほら、かわいいでしょう。」
「な・・・」
「女の人なんですから、せめて・・・これくらいしてもバチは当たりませんよね。」
「・・・ッ!!」

アレクの言葉に、精霊は顔を真っ赤にした。

「そうだ! もし、よかったら・・・なにか、食べませんか?」
「なんだと?」
「傷を早く治すには、栄養をしっかりとらないと。」

カウンターの内側に入りながら、アレクは精霊に向かって明るく声をかけた。

「マスターは、もう寝てしまいましたから。内緒ですけど、ここを使ってなにか作ります・・・なにがいい
ですか?」

厳しい顔付きのままアレクのことを睨んでいた相手は、ここで・・・不意にぼろぼろと涙を零し始めた。

「あ、あの・・・僕、なにか変なこと言いました?」
「オマエは・・・オマエは、精霊がどんなものか知らない大バカだ! ・・・だから、そんなことが
言えるんだ!」

「あ、えーと・・・その、お願いだから、泣かないでください・・・」
「うるさい!」

乱暴に涙を拭いながら、精霊は黄金色の瞳でアレクを睨み付けた。
精霊術士にとって、精霊はただの道具でしかない。
そして、道具である精霊は基本的に使い捨てである。術力が尽きればそこで消滅する運命であり、
精霊と言葉すら交わそうとしない術士も多いのだ。ましてや、労わりの気持ちを向けられることなど
まずあり得ない。
・・・こんな風に、まともに扱われたのは初めてだった。どう反応していいのか、さっぱり分からない。

「あ、あの・・・。そうだ! 僕は、アレクって言います。精霊のあなたにも、やっぱりお名前とか、あるん
ですか?」
「なんでそんなことを聞く! オマエたち人間には、意味のないものだろう!?」
「でも・・・その。“精霊さん”じゃあ、なんだか味気ないって言うか・・・」
「だまれぇ!」

相手の剣幕におろおろしていたアレクが、何とか話題を変えようとする。椅子から立ち上がった
精霊は、泣きじゃくりながら逆にアレクに食って掛かった。

「あたしの・・・精霊の気持ちもわからないくせに! いい加減なことを・・・言うなぁッ!!」
「あ、あの・・・すいません! でも・・・」
「まだ言うか!!」
「ごっ・・・ごめんなさい!!」

アレクの言葉を最後に、食堂には気まずい沈黙が漂った。
アレクはカウンターの内側で頭を下げた格好で固まり、一方の精霊はそっぽを向いたまま唇を噛み
締めている。
・・・優に、十分はそのままだっただろうか。
恐る恐る顔を上げたアレクが、再び精霊に声をかけようとしたとき・・・肩を震わせていた相手が不意に
呟いた。

「あ、あの・・・」
「・・・ロゼ。」
「え?」
「あたしの、名前だ。・・・人間に名乗ったのは、初めてなんだ。」
「・・・はい。ロゼさん。」

ホッとした様子で頷いたアレクは、相手に向かってにっこりと笑いかけた。その笑顔に、ロゼと
名乗った火精の表情も少し和らいだ。
料理を始めたアレクに向かって、再び椅子に腰を下ろしたロゼがしばらくして尋ねた。

「なあ、オマエ・・・」
「なんでしょう。」
「こいつの話は、中で聞いた。・・・精霊術士に、なるのか?」
「・・・実は、迷ってるんです。突拍子もない話ですし・・・」

フライパンを片手にしたまま、アレクは遠い目をした。

「僕は、グリフィスさんが言っていた名誉とかお金とか・・・強い力とかが欲しいとは思いません。でも、
いつまでもここに厄介になるわけにはいかないとも思ってて。・・・昔のことを思い出せない僕が、
一人前になれる道はそうないと思うし・・・」
「精霊術士になれ。」
「え?」

唐突に言われ、目をぱちくりさせるアレク。そんなアレクを、ロゼはじっと見つめた。

「あたしは・・・オマエのようなヤツに、精霊術士になってほしい。」
「そ・・・そうですか?」
「精霊のことを、ただの道具だと思えない・・・。そんな変な精霊術士が、いてもいいだろう。」

左腕に巻かれたリボンを眺めながら、ロゼはぽつりぽつりと喋っていた。

「あたしは・・・もうすぐ消える。それが、力を使い果たした精霊の定めだから。」
「そんな・・・」
「キズの治りが遅いのは、その表れなんだ。・・・もう、ずいぶん前からわかっていたことさ。」
「・・・・・・。」
「でもな。」

アレクの方を振り向いたロゼは、ここで初めて微笑んだ。思わず赤くなるアレク。

「オマエのような術士に力を貸したんだったら、それも悪くない。精霊のことをまるで人間のように考えて
くれる、オマエのような変なヤツなら、な。」
「ロゼさん・・・。」
「最初に・・・オマエのような術士に出会っていたら。・・・あたしの一生も、もっと楽しかったのかな。」
「・・・・・・。あの・・・」
「ほら、手が休んでるぞ。なにを、食べさせてくれるんだ・・・?」
「あ・・・はい。ただ今。」

慌てて料理を再開するアレク。しかし、酔い潰れて眠っていたはずのグリフィスがここで口元を
歪めたことに、二人は気付かなかったのだ。


はしがき

「デジャヴ」の続編です。・・・このまま話が進むと、エカテリーナさんと再会できた時とんでもない事態に
なりそうな気がするのは気のせいでしょうか(爆)。