眠れない
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「パルム、いますか・・・。」
侍医の詰め所は、本殿の南西の角にあった。そのドアを小さくノックし、グレーシスは部屋を
覗き込んだ。
「あら、グレーシス。いらっしゃい。」
部屋の中には、リンゴのような爽やかな香りが満ちていた。
入り口正面に置かれた机の向こうには、不寝番を務める宮廷侍医長、木竜パルムの姿があった。
厚いケープを羽織ったパルムが、にこやかな笑顔を浮かべてグレーシスを差し招く。
「今日はね、珍しい先客がいるのよ。」
「先客・・・?」
「グレーシス!」
小さく首を傾げたグレーシスに、驚きを含んだ声がかけられた。パルムの隣、ちょうどドアによって
視界が遮られる位置にある椅子に座っていたのは、誰あろうユーニスその人だった。
「これは、ユーニス様。いかがなされました、このような時間に・・・。」
「実は、眠れなくてな。パルムに話し相手になってもらっていたのだ。お前こそ、どうしたのだ?」
「私も、同じようなものです。」
二人の方へと歩み寄ったグレーシスは、手近に置かれていた椅子に腰を下ろした。
「グレーシスも、一杯いかが? 宮廷侍医長特製の、カモミールミルクティーよ。」
「特製・・・ですか?」
「心配するな。私も、同じものを飲んでいるが・・・この通り、何でもない。」
微かな苦笑いを浮かべたグレーシスに向かって、ユーニスが少しおどけた様子で言った。
確かに、パルムは宮廷でも一二を争う“イタズラ好き”の木竜として知られている。しかし、その
“イタズラ”にも時と場合、そして相手を選ぶ節度があることを、彼女とはもう長い付き合いになる
グレーシスはよく知っていた。そして、今日のような場合・・・パルムが相手に毒を盛ることはまずない。
「・・・そうですね。では、一杯ご馳走になりましょうか。」
「了解!」
頷いたパルムが、鮮やかな手付きでカップにミルクティーを注いだ。最後に蜂蜜を一滴垂らし、
ソーサーごとグレーシスに差し出す。
カップを取り上げ、その中身を口に含んだグレーシスは、ややあって笑顔で溜息をついた。
「・・・これは美味しい。なるほど、“特製”と言うだけのことはありますね。」
「そう? ありがとう。」
「ところで、ユーニス様。先程の話ですが―――――」
「やめないか、グレーシス。こんな時刻に、ここに三人が揃ったのも何かの縁だろう。・・・今は、単に
“南大陸を訪れて以来の友人”として話したい。」
「・・・ええ。そうですね。」
しばらくの間、三人で他愛のないお喋りをした。話題は各自の身近な出来事に始まり、やがてお互いが
抱える悩みや愚痴といったものへと移り変わっていった。
普段は、互いの立場や周囲の目がある。そうしたものに邪魔されて、このように“本音”を口することが
できる機会は、滅多にないのだった。
話が一段楽したところで、ユーニスが何気なくグレーシスに言った。
「そう言えば、昨日の話だがな。」
「はい?」
「あの水竜の仔・・・フェルムは、どのようにして選ばれたのだ? やはり、族長であるお前の血筋の
者なのか?」
「それは・・・」
現在、ユーニスが預かっている子竜は五人。一番竜の風竜エリカは風竜族族長の末の娘、二番竜の
火竜ミリオはこれも火竜族族長の長男だった。三番竜の木竜アルルと四番竜の地竜ヴィスタは共に
両種族の里長の長子であり、このようにユーニスに預けられた子竜たちは皆、各種族の言わば「支配
階級」の身内であるのが常だった。
束の間口籠もったグレーシスは、やがて視線をユーニスへと戻した。
「何故、そのようなことを?」
「・・・余りにも、似ているのだ。」
「似ている・・・?」
「ああ。あの子の笑顔が、お前の弟・・・ククルにな。」
ティーカップを両手で支えながら、ユーニスは遠い目をした。
「眠っている時だってそうだ。あの、私に全てを預けたような、無邪気な寝顔・・・。それを眺めている
うちに、こちらが眠れなくなってしまった。」
「・・・・・・。」
「それで、もしや・・・お前の家の血筋を引いているのではないかと思い当たってな。・・・で? 本当の
ところは、どうなのだ?」
「いえ、そのようなことは・・・。フェルムは、一族の中からくじ引きで選びましたので。」
「そうか。では、私の思い過ごしか・・・。」
ユーニスを、初の“竜術士”としてこの地に迎えると決まった後。彼女に預けられることになる
子竜たちの人選には、慎重が極められた。
すなわち、一番竜となる風竜は、ユーニスがククルの死を思い起こすことのないよう女子とされたのだ。
また、五番竜として選ばれることになった水竜も、同じ理由から女子・・・それも、族長であるグレーシス
から遠く離れた家系の子を、くじ引きで選ぶといった念の入れようだった。
国で初めての竜術士となったユーニスに育てられることは、その子にとって大きな名誉となる。元々
女性の立場が強い地竜族などの例外を除いては、どの種族も挙って男子・・・それも族長の長子を
ユーニスに預けようとしたのは、当然の成り行きだった。それを枉げて種族・性別のバランスをとる
ために、竜たちのまとめ役であったグレーシスは散々苦労したのだった。
「そうだ、ククルの話が出たところでな。前々からお前に、訊こうと思って果たせなかったことが
あるのだ。」
「はい、何でしょうか。」
「今まで、気になって仕方なかったことだ。・・・ククルは、何故あのような場所に一人でいたのだ?」
「・・・・・・。」
「いや・・・気が進まないのなら、無理にとは言わないが・・・。」
「いえ、そうではありませんが・・・。」
しばらくの間躊躇う様子だったグレーシスは、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「・・・私の母が弟を産んだのは、私が生まれた三年後のことでした。元々あまり体が丈夫ではなかった
母は、そのときに亡くなってしまったのです。」
「何と! それは真か!」
「ええ。そのときの騒動は、今でも鮮明に覚えていますよ。」
微かに苦笑を浮かべたグレーシスは、ユーニスに向かって頷いた。どうやら初めて聞く話らしく、傍らの
パルムも驚いた顔をしている。
「年老いてからやっと巡り逢えた、最愛の伴侶を喪った悲しみは・・・恐らくとても大きなものだったの
でしょう。怒りのあまり、父は生まれた卵を里の外へと捨てることに決めたのです。」
「しっ・・・しかしな! そのようなことが―――――」
「父は当時族長の地位にあり、誰も逆らえませんでした。もちろん、まだ小さかった私もです。」
「・・・・・・。」
「ええ。以後は、ユーニス様のご存知の通りです。弟はあなたと出会い、我々が共に生きるための
“きっかけ”を与えてくれました。」
グレーシスの言葉の途中で、ユーニスは俯いた。きっと、そのときのことを思い出したのだろう。
しばらくの間、その場を気まずい沈黙が支配する。ややあって、軽く溜息をついたパルムが、努めて
明るい調子で二人に話しかけた。
「何だか、湿っぽい話になっちゃったわね。折角なんだから、もっと楽しくいきましょうよ。」
「あ・・・ああ。済まん、私があんな話を振ったばかりに―――――」
「じゃ、もう一度仕切り直しね。お茶をもう一杯いかが?」
「ああ。貰おうか。」
少し慌てた仕草で、ユーニスが自らのカップをパルムに向かって差し出した。しかし、パルムの傾けた
ティーポットの中身は、既に空だった。
「あら、三人だとすぐになくなっちゃうわね。厨房でお湯を手に入れてくるから、ちょっと席を外すわね。」
「いやパルム、それならば―――――」
「いいのいいの。お客様は座って待ってて。」
にっこりと笑ったパルムは、ポットを手にすると部屋から出ていった。