眠れない      3 

 −3−

「・・・どうやら、気を遣わせてしまったようだな。」
「ええ。そのようですね。」

水竜であるグレーシスにとって、水を喚ぶのは何でもないことだった。
そして、七つの種族全ての術資質を持つユーニスがいるのだ。二人が力を合わせれば、湯を沸かす
ことなど容易いことなのだ。
しばらくして、パルムの出ていった部屋の入り口を見つめたままだったユーニスが言った。

「最後に、一つだけ・・・聞かせてくれ。」
「?」

躊躇う様子だったユーニスは、やがて意を決したように口を開いた。

「グレーシスよ。お前は・・・私のことを恨んではいないか?」
「はい?」

予期せぬユーニスの言葉に、首を傾げるグレーシス。俯いたまま、ユーニスは小声で喋っている。

「初めて会った時のことを、覚えているか? お前は、私に竜術士になるようにと・・・それが真竜族の
総意だと、そう言ったな。」
「はい。確かに、そのように申し上げました。」
「しかし、お前の真意はどうだったのだ?」
「真意・・・ですか?」
「お前の愛する弟は、私と出会わねば命を落とすことはなかったはずだ。そうだ・・・ククルは、私が
殺したも同然なのだ。」
「・・・・・・。」
「お前は、大義の前には私情を殺すことのできる男だ。だが、本当は・・・恨んでいたのだろう、私の
ことを。」

ここで、ユーニスはグレーシスの方を振り向いた。その表情は、慙愧の念からか大きく歪んだもの
だった。

「ずっと、心に引っかかっていたのだ。昼間、フェルムを初めて見た時・・・お前はひどく辛そうな顔を
したな。」
「・・・・・・。」
「思い出してしまったのだろう? 私が・・・ククルを殺したという事実を。」

ここまで言ったユーニスが、じっとグレーシスを見つめた。しかし、グレーシスはその視線を受け止める
ことなく目を閉じた。
優に、五分はそのままだったろうか。
不意に、グレーシスが頷いた。小さく溜息をつきながら、ユーニスに話しかける。

「・・・はい。確かに、恨んでいます・・・今でも。」
「・・・・・・。そう、か・・・」
「ええ。自分の、不甲斐ない兄ぶりをね。」
「グレーシス?」

俯いたユーニスは、次にグレーシスが口にした意外な言葉に、弾かれたように顔を上げた。

「これ以上、ユーニス様の安眠を妨げることがあっては、私は宮廷の皆を敵に回してしまいます。
ですから、偽らざる本音を申し上げましょう。」
「う・・・うむ。」
「報せを受けて、我々が戦場へと駆け付けたとき。弟は既に、瀕死の重傷でした。そして、最期に
ユーニス様の名前を口にして死んだのです。」

グレーシスの口調が変わったことに気付いたユーニスが、表情を改めた。そんなユーニスに向かって、
グレーシスは淡々と言葉を継いだ。

「それを目の当たりにした私は、・・・あろうことか、ホッとしてしまったのです。」
「ホッとした・・・だと? それは、一体どういう意味だ。」
「言葉通りの意味ですよ。・・・先程申し上げました通り、私はほんの幼い頃に弟と生き別れることに
なりました。その後も、弟のことはずっと気がかりでした。今どこで、どんな暮らしをしているのか・・・
いや、そもそも無事に生きているのか、とね。・・・弟の死で、こうした悩みからも解放されると・・・そう
思ってしまったのです。」
「グレーシス・・・。」
「ひどい話だと、そう思われませんか? 血の繋がった肉親の死を、喜ぶ者がどこにいるというの
でしょう。しかもその私が、よりによって真竜族の頂点に立っている。こんな馬鹿な話もありません。」

ここで言葉を切ったグレーシスは、言葉もなく自分を見つめているユーニスに向かって頬を歪めて
みせた。その瞳には、自嘲からくる涙がある。

「弟が、父によって里から追放されたとき。私は、弟に何もしてやることができませんでした。・・・それ
から既に、半世紀以上の時が過ぎ去りました。しかし、状況は何一つ変わりませんでした。いや・・・
変える勇気がなかった、と申し上げた方が正確でしょうか。」
「・・・・・・。」
「ですから、弟のことに関しては・・・私はユーニス様を恨んでなどおりません。むしろ最後に、何もして
やれなかった私に代わって、弟にこれ以上ない“生き甲斐”を与えてくださったこと。・・・それに
ついては、感謝の言葉もないのですよ。」

父も弟も、既にこの世から去っている。今更、いくら自分が悔い改めたところで・・・全ては手遅れなの
だった。

「しかしな、グレーシス。それは、流石に自分を卑下し過ぎなのではないか? 族長であった、お前の
父の意志も―――――」
「私は・・・ユーニス様の思われているような、立派な竜ではないのです。父に言われるままに族長の
地位を継ぎ、その縁でこうして真竜族のまとめ役に就くことになりました。そこには、確固たる信念も、
崇高な理想もありません。」

遠慮がちに口を挟んだユーニスの言葉を、遮るようにしてグレーシスは言った。小さく首を振ると、再び
目を閉じる。

「グレーシス。私は―――――」
「もう、何も仰らないでください。これでも、自らのなすべきことまでは、見失ってはいないつもりです。
ユーニス様のため・・・そして、この国のために全力を尽くす。それが、死んでいった弟への唯一の餞と
なるでしょう。」
「・・・・・・。」

ここで、グレーシスは座っていた椅子から静かに立ち上がった。

「私は、そろそろ別邸に戻ります。ユーニス様も、どうぞ早めに眠られますよう。」
「あ・・・ああ。そうすることにしよう。」
「フェルムを、くれぐれもよろしくお願いいたします。これは、水竜族長としてのたっての願いです。」
「おい! 待て、グレーシス―――――」

深々と一礼したグレーシスは、ユーニスの返事も聞かずに部屋を出ていった。暗く長い本殿の廊下を
歩き、外へと通じる扉を潜る。・・・ここへ来るときは満天に星が煌いていたはずの空から、いつの
間にか粉雪が舞い始めていた。

(・・・・・・)

束の間扉の前で立ち止まったグレーシスは、やがてちらりと夜空に目をやると、ゆっくりと歩き始めた。
点々と残される足跡。それは、降り積もる雪によって次第に覆い隠されていった。


はしがき

ユーニスが南大陸を訪れて、初めての冬の話です。始めはフェルムの話にするつもりが、気が付けば
グレーシスが主役のずんどこ暗い話になってしまいました(苦笑)。

「絵巻物」の登場キャラクターの中には、筆者である僕の「分身」が何人か存在します。たとえば『夏の
手紙』シリーズの光竜フィリックは僕の大学時代の、そしてこの水竜グレーシスは社会人となり、親許を
離れた僕の等身大の姿です。
人は誰しも、隠しておきたい醜い部分を持っているもの。それを人前に晒さないで済む「要領の良さ」を
持って生まれてきたことは、果たして幸か不幸か。・・・最近、時々悩みます。

BGM:『届かぬ想い』(Manack)