週末の過ごし方〜ノルテの場合〜  1     

週末の過ごし方
〜ノルテの場合〜


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「おや? もしや、ノルテ様ではありませんか?」
「ディオネ殿。・・・奇遇ですね。」

夏の都の北東の一角には、ガレネの広場と呼ばれる場所があった。周囲を種々の料理店や屋台などに囲まれた広場の中央には、大きなパラソルを備えた多数のテーブルと椅子が置かれており、開放的な雰囲気の中で食事や酒を愉しむことができる。都の南西に位置し、その中央に設えられた噴水で有名なイリスの広場と共に、このガレネの広場は夏の精霊たちの貴重な憩いの場所になっているのだった。
引き受けた夏の都の近衛隊、アリゼ・マリティム頭首としての軍務もようやく落ち着き、久しぶりの休日に恵まれたこの日、地竜ノルテは午前中からガレネの広場を訪れていた。
周囲の様子を眺めながらのんびりと歩いていたノルテに声をかけたのは、夏軍第八頭シャマールの頭首、ディオネだった。笑顔で手を振ったディオネの姿を認め、返事をしたノルテは並べられたテーブルの間を縫って、そちらへと歩み寄っていった。

「やはり、そうでしたか。このようなところでお会いするとは、思いませんでしたぞ。・・・こちらへは、よく?」
「いえ。今日が、初めてです。ガレネの広場のことは、前々から噂に聞いていまして、気になっていたのです。」
「なるほど、そうでしたか。しかし、そのような格好で、しかも従者も付けずにお出でとは・・・このことが知れれば、陛下にお叱りを受けることになるのではないですか?」
「・・・・・・。」

いたずらっぽい表情を浮かべたディオネの言葉に、苦笑いをしたノルテはその隣の椅子に腰を下ろした。ちょうど通りがかった給仕に、夏の都で最も一般的な飲み物であるミルクティーを注文する。
今から、およそ二ヶ月前。レーンディア川の対岸に陣を構えた叛乱軍に軍使として遣わされたノルテは、その武技と弁舌の才によって、単身でこれを降すことに成功した。名実共に、夏の都に英雄として迎えられたノルテは、以後どこへ行っても盛大な歓迎を受けるようになった。夏の精霊たちの信頼を勝ち得たという意味で、それは喜ばしいことだったが、今まで一人で過ごすことに慣れていたノルテにとって、それは同時に少々気の滅入ることでもあった。
手にしていた本をテーブルの上に置いたノルテが、改めてディオネに向き直った。

「ところで、ディオネ殿。それは、何を?」
「ああ、これですか。」

テーブルの上には、十本以上の色鉛筆が散らばっていた。そのうちの一本を手に、テーブルの上に置いたスケッチブックに何かを描き込んでいたディオネが、ノルテの声に顔を上げる。

「実は、私は絵が趣味なのです。時間があるときは、いつもここに陣取って絵を描いております。」
「そうでしたか。・・・もし、よろしければ、見せていただいても構いませんか?」
「いやはや。ノルテ様にお見せできるような、大したものではないのですが・・・。」

照れ笑いを浮かべたディオネが、スケッチブックをノルテに手渡す。受け取ったそれを捲ったノルテは、思わず目を見開いた。
料理や飲み物の絵、それを囲んで盛り上がる夏の精霊たちの様子。このガレネの広場を、近くの城壁の上から見て描いたらしい風景画もある。そのどれもが、素朴ながら力強く鮮やかなタッチで描かれ、普段の広場の様子を彷彿とさせる出来栄えだった。

「お上手ではないですか。ディオネ殿が、このような特技をお持ちとは、驚きました。」
「ノルテ様にそのように仰っていただけるとは、光栄の極みです。・・・では失礼して、続けてもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ。」

ノルテからスケッチブックを受け取ったディオネが、その上に無心で色鉛筆を走らせていく。運ばれてきたミルクティーを口にしながら、その横顔を眺めていたノルテが、やがてふっと笑った。

「ディオネ殿も、落ち着かれたようですね。」
「はい?」
「初めて手合わせをしたときのことを、覚えていますか?」
「ああ。・・・いや、お恥ずかしい。」

ノルテの言葉に、ディオネが照れ臭そうに頭を掻いた。
ノルテが夏の都の宮殿を訪れた際、最初に出会った頭首がディオネだった。直後に行われた立ち合いは、ノルテの完勝に終わっている。その際、ノルテはディオネに、焦りを捨てて自身を省みるようにというアドバイスを行っていた。

「あのときは、夏の都の危機に際して・・・何としても陛下の役に立たねば、という気持ちが、先走り過ぎていたと思います。叛乱が治まり、夏の都が落ち着いた今・・・ようやく私も、自分のなすべきことが見えてきた気がしております。まさに、ノルテ様のお言葉通りでございました。」
「そうですか。」

ディオネの言葉に、ノルテは満足そうに頷いた。
現在、ディオネ率いる頭であるシャマールは、夏軍最弱という不名誉な地位に甘んじている。直前に頭首が交代しており、急に決まった跡継ぎがまだ若いディオネだったことが、その一番の原因だった。こうしてディオネが落ち着きを取り戻した今、いずれシャマールの実力は目に見えて上がっていくだろう。

「申し訳ありません、ノルテ様。実は、今日は午後から学問所で絵の講義をすることになっておりまして・・・。」
「そうなのですか。」
「はい。大変名残惜しいのですが、本日はこれにて失礼させていただきます。」

テーブルの上に散らばっていた色鉛筆を拾い集めたディオネが、ノルテに向かって丁寧にお辞儀をした。
学問所は夏の都の南東にあり、文字通り種々の学問を修めるための施設だった。夏の精霊の子供たちが、読み書き算術といった一般的な教養を身に付けるための講義が行われている他、武術を除くあらゆる分野の専門知識に関する講義が成人精霊向けに開設されている。その種類は詩や小説などの文学を初め、絵画や彫刻・陶芸などの美術、歌や演奏などの音楽、そして果ては踊りや鍛冶、衣服の意匠にまで及び、夏の都の高い知的水準を維持するために役立っていた。
特筆すべきもう一つの点は、講義を担当する講師には、身分を問わずその分野の第一人者が起用される、ということだった。ディオネのように、現役の夏軍頭首が講師として招かれる例も多く、現にノルテ自身も、そのずば抜けた知識を活かして天文の講義を担当して欲しいと、学問所の所長から打診を受けていた。身分の低い夏の精霊たちにとって、ここで知り合った講師との関係がその後の人生に大きな影響を与えることも多く、講義の人気は押し並べて高いのだという。

「またいずれ、絵の話を聞かせてください。」
「ええ、是非!」

笑顔で再度一礼し、ディオネが広場を出ていく。その後姿を見送っていたノルテは、この後開催される講義の様子を想像して、くすりと笑ったのだった。

(人は見かけに、よらないものね・・・)


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