週末の過ごし方〜ノルテの場合〜
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夕刻になり、周囲が薄暗くなるにつれて、ガレネの広場の賑わいは徐々に増していった。その日一日の仕事を終え、疲れを癒そうとする精霊たちがここに集まってくるからだ。
(そろそろ、帰ろうかしら・・・)
“お忍び”の形で宮殿を出てから、既に半日。必要最低限の相手には自分の居所を伝えてあるとは言え、あまり遅くなると心配をかけてしまうだろう。今日は、この辺りで切り上げるのが賢明だった。
そう考えたノルテが本を閉じ、椅子から立ち上がろうとしたところで、不意に横合いから声をかけられた。
「お、もしかしてノルテか?」
「これは、アレス殿。・・・エリス殿も、ご一緒ですか。」
「はい。お初にお目にかかります、ノルテさま。アレスの妻、エリスでございます。都でも並ぶ者のない武勇を誇るノルテさまと、こうしてお会いできるなんて・・・わたくしは幸せでございます。」
「ああ、いえ・・・こちらこそ。」
にっこりと笑ったエリスが、ノルテに向かって丁寧にお辞儀をする。勧められもしないのに、ノルテの隣の椅子にどっかりと腰を下ろしたアレスが、ぐいと身を乗り出す。
「どうしたんだよ、んな普段着で。これからメシか?」
「近衛隊の軍装は、街中では目立ち過ぎますので。・・・実は、そろそろ宮殿に戻ろうと思っていたところです。」
「んだよ、つれねえな。んなこと言わねえで、一杯くらい付き合ってくれよ。」
「・・・・・・。分かりました。では、一杯だけですよ。」
「おっしゃ、そう来なきゃな!」
にやりと笑ったアレスが、大声で給仕を呼び付けると料理を注文し始めた。
こうして晴れて夏軍の一員、それも夏の精霊王の次に位置する副王となってからは、周囲の精霊たちの態度も一変した。その中にあって、直に武器を合わせたこともあるこのアレスだけは、ノルテに対して相変わらずのざっくばらんな様子で接してくれていた。宮殿での堅苦しい遣り取りに内心辟易していたノルテにとって、その飾らない態度は密かな救いとなっていた。
やがて、注文された料理と飲み物が運ばれ、三人のテーブルの上に所狭しと並べられた。夏の都では、その一年を通じて高い気温のためか、料理の味付けは香辛料をふんだんに使った刺激的なものが多かった。ノルテ自身も当初は戸惑ったものだったが、一月も経つ頃にはすっかりその味にも慣れ、ようやく宮殿で開かれる宴の類を愉しめるようになっていた。
ビールを干したアレスが、早速といった様子で手元の肉料理にかぶりつきながら、ノルテに言う。
「それで。いつになったら、返事を聞かせてくれるんだ?」
「返事・・・ですか?」
「とぼけんなよ。野営地の立ち合いで、オレがあんたに勝ったらオレの女になるって約束したろ。いつ再戦に応じてくれんのか、って言ってんだよ。」
「アレス殿。エリス殿の目の前で、そのような・・・少しは遠慮したらどうですか。」
言いながら、エリスに視線を向けるノルテ。当のエリスは、両手でワインの入ったグラスを持ちながら、二人の遣り取りをにこにこしながら聞いているだけだ。
「おい、んなこと言ったって、オレは誤魔化されないぞ。・・・で? どうなんだ。」
「・・・・・・。返事は、あのときにしたはずです。あなたとは戦いたくないと。」
「そりゃ社交辞令ってヤツだろうが。言っとくが、オレは諦めてねえからな。」
「アレス殿。流石に、エリス殿に対して無礼でしょう。自分の正妻の前で、他の女の話を堂々とする者が、どこにいますか。」
「んだよ、テミスみたいなこと言いやがって。なあエリス?」
「はい、ノルテさま。わたくしは、アレスさまによって、他の夏の精霊から奪われた女でございます。夏の都では、二人以上の妻を娶る男は少なくありません。わたくしは、別に気にしてはおりませんわ。」
「ですが―――――」
「わたくし、ノルテさまの武勇の噂をお聞きして、是非お近付きになりたいと思っておりました。もし、アレスさまとノルテさまがご結婚されたら、わたくしたちは晴れて義姉妹となります。これは、大変な名誉ではありませんか。」
「はあ・・・。まあ、エリス殿がそう言われるのであれば、良いのですが・・・。」
相変わらずのにこにこ顔のエリスの言葉に、ノルテは決まり悪そうに頷いた。どうやら、地竜の里やコーセルテルと、ここ夏の都における“常識”には、大きな隔たりがあるようだ。
それにしても、こうして間近で接してみると、エリスの美しさは際立っていた。その昔、夏の都一の美女と謳われ、都中の男たちの注目を集めたのも頷ける。外見だけではなく、その可憐な声に上品な喋り方、楚々とした佇まいには女性的な魅力が溢れており、無骨な自分とはとても比べ物にならない気がする。
ノルテの何気ない言葉に、エリスが目を輝かせた。
「あら、よろしいのですか? アレスさま、ノルテさまからお許しが出ましたよ。」
「おう、やっとその気になったか。で、いつにするんだ?」
「ちっ・・・違います! 今のは、エリス殿の前でそのような話をして良いのかという、先程の問いに対する話です。・・・そうです、私、急用を思い出しました。申し訳ありませんが、これにて失礼します。」
「おい、待てよ―――――」
形勢不利を悟ったノルテが、珍しく慌てた様子で席を立つ。続いて席を立ちかけたアレスを、エリスが柔らかく引き止めた。
「アレスさま。今日のところは、これで良しといたしましょう。」
「んなこと言ってもよ―――――」
「ですが、このままでは埒が明きません。ノルテさまにうんと言っていただけるよう、作戦を考えませんか。」
「へえ。なんか、いい案があんのか?」
「正面から挑んでも、武術勝負では分が悪いですから・・・ここは、搦め手を突く方法を探しましょう。」
食事の傍ら、額を寄せ合って相談に没頭する二人。その声は、日没を迎えてその日一番の盛り上がりを見せる広場の喧騒に溶け込んでいった。
夏の都の夜は、まだ始まったばかりだった。
はしがき
『MOON RIVER』では書き切れなかった内容を補完すべく、書いた話です。また20kBを超えて、本伝サイズになっちゃったってのは内緒(邪笑)。
この話を書くに当たっての狙いは、大きく分けると二つありました。
一つ目はもちろん、『MOON RIVER』ではほぼ名前だけの登場だった、テミスとクレイオスの人柄について書くことでした。当初の予定では、この二人のエピソードだけを盛り込む予定でしたが、気付けばディオネとアレス夫妻もしっかり登場しているあたり、僕の中でお気に入りのキャラクターが誰なのかが丸分かりになってます(大笑)。
なお、シャマールの話題がちらっと出てきていますが、これは実は壮大なネタ振りだったりします。消化できる日は来るかなあ・・・(邪笑)。
二つ目は、夏の都についてもう少し詳しく書くことでした。このサイドストーリーでは「ガレネの広場」「イリスの広場」「学問所」「知恵の館」といった場所を紹介しましたが、これで夏の都の生活感を感じてもらえたら言うことはありません。
なお、「ガレネの広場」は最近読んだ漫画『ハクメイとミコチ』に出てくる「芥子公園」がモデルです。また「知恵の館」はアッバース朝(イスラム帝国)に時代に実在した機関で、それをそのまま借用しました。