週末の過ごし方〜ノルテの場合〜
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午後も半ばになると、春とはいえかなりの暑さを感じるようになる。この場で唯一、夏の精霊ではないノルテにとって、夏の都のからりとした暑さはありがたかった。
額に滲み出た汗を拭ったところで、不意にかけられたのんびりした声に、ノルテは顔を上げた。
「やっほー、ノルテちゃん。」
声の主は、大きな槌を手にした長身の夏の精霊だった。夏軍第五頭、アブロオロス頭首のクレイオスである。
「珍しいね、こんなところでお茶なんて。・・・もしかして、サボり?」
「今日は、休日です。・・・クレイオス殿こそ、今は休憩時間なのですか?」
「おっと、こりゃ一本取られちゃったかな。」
ノルテの切り返しに、槌を肩の上に担いだ格好のクレイオスがにっと笑った。
クレイオスは、現在の夏の都において、アレスに次いで二番目に武術の腕が立つ頭首だった。特に得意とする弓の腕前に関しては、クレイオスの右に出る者はおらず、率いるアブロオロスは遊撃戦を任せたら夏軍最強なのだという。
反面、頭首の中で性格的に最も難があるとノルテが聞かされていたのも、このクレイオスだった。軍令に対しても必ずしも従順ではなく、その奔放な性格はあのヘリオスを以てしても、御すのは至難の業だったのだという。この通り、目上の者に対する態度も礼節を弁えているとは言い難く、宮殿では礼儀にうるさいテミスと言い争いになることもしばしばだった。
「ところで、クレイオス殿。私に、何かご用ですか。」
「いやね、この面倒くさい奉仕活動は一体いつまでやればいいのか、教えてもらおうと思ってさ。」
「・・・・・・。それについては、風竜の月の終わりまでと、過日申し渡したはずですが。」
「それはそうなんだけどさ、そこを何とか。ほら、もうちょっと短くなったりしない? この通りだからさ。」
ノルテに従って夏の都に帰還した三頭は、叛乱を企てたことへの懲罰として、頭首共々都内外での奉仕活動に携わることになった。夏の都の法体系を管轄するテミスからは、処罰が軽過ぎると強硬な反対があったが、ノルテが強くセレネに進言したこともあり、ヘリオス、アレス、そしてクレイオスの三名は、頭首からの降格も行われないことになったのだった。
多くの人手を必要とする土木工事や農地の開墾は、屈強な兵士たちの力によってかなりの成果を挙げていた。またそのことが、叛乱に加担した三頭への批判の声を小さくすることにも役に立っていた。
身を屈めて手を合わせる仕草をしたクレイオスに向かって、溜息をついたノルテが言う。
「お忘れですか、クレイオス殿。あなた方は、未遂とは言え叛乱を企てた身の上なのですよ。古今東西、叛乱を企てた者は死罪、流罪等の重罪となるのが必定。それを、奉仕活動で済ませるという沙汰は、陛下の温情に他なりません。それでも、まだ不服だと言うのですか?」
「いや、それはよーくわかってるんだよ。でもさ、休みなしで毎日同じようなことばっかやらされて、飽きちゃってさ。・・・そろそろ、戦闘訓練とかやりたいんだよね。で、ノルテちゃんからも口添えしてもらえれば、ひょっとしたら短くなるかなーと思ったんだけど。」
「残念ですが、諦めてください。」
「ちぇー、ダメかー。」
にべもなく断られ、口を尖らせたクレイオスが身を起こす。言葉とは裏腹に、その表情は大して悔しそうには見えない。恐らく、それほど期待して訊いた訳ではなかったのだろう。
小さく肩を竦め、踵を返したクレイオスに向かって、手にしていた本に栞を挟んだノルテが呼びかけた。
「そうだ、クレイオス殿。」
「なに? ひょっとして、気が変わった?」
「いえ、そうではありません。・・・折角の機会ですので、一つあなたに尋ねたいことがあります。よろしいですか?」
「いやいや、夏の都の英雄ノルテちゃんにそう言われちゃ、断れないよね。というわけで、飲み物くらいは奢ってよ。」
「・・・・・・。まあ、良いでしょう。」
さっさと隣の椅子に腰を下ろし、早速といった様子でエールを注文したクレイオスの様子に、ノルテは苦笑いをした。
「それで、話って? ひょっとして、ボクに対する愛の告白だったりする?」
「違います。今回の叛乱について、あなたの考えを聞いてみたいと思いまして。・・・ヘリオス殿は夏軍の分裂を防ぐために、またアレス殿はエリス殿のことがあり、叛乱軍に加わったと聞いています。クレイオス殿は、何故叛乱に身を投じたのですか?」
「なんだ、そんなこと? ノルテちゃんも、細かいことを気にするんだね。」
小さく肩を竦めたクレイオスが、運ばれてきたエールを呷った。
「ボク自身は、どうでも良かったんだよね。細かいことを考えるのって面倒だし。でも、あの法典ができてから、部下がみんな怒ってたからさ。」
「では、あなたは部下のために、叛乱に加わったのですか?」
「まあ、そんなとこかな。多分、ボクが説得しても無駄だったと思うし。だったら、頭がバラバラになるよりは、みんなで抗議した方がいいのかな、って思ってさ。」
「そうだったのですか。」
「うん。・・・そういや、部下が夏軍を追放されずに済んだのは、ノルテちゃんのおかげなんだってね。みんな、話がわかる人だって喜んでた。・・・ボクからも、お礼を言っておくよ。ありがとね。」
「いえ。私は、当然と思ったことを、陛下に進言したまでです。」
にっこりと笑ったクレイオスが、何気なく言う。内心、ノルテはクレイオスのことを見直していた。
部下を掌握する、と口で言うのは簡単だ。しかし、その本音を察知し、やる気を効果的に引き出すことは案外難しい。日頃から部下の様子に目を配り、こまめな意思疎通を通じてその信頼を勝ち得る必要があるのだが、それはある定められた方法に従えばよい、という単純なものではなかった。その方法は将により千差万別であり、個々人の“人格”に頼るところが大きい。
クレイオスのこのざっくばらんな性格が、部下に親近感を抱かせ、その本心を探るのに一役買っているであろうことは想像に難くない。そしてそれは、クレイオスが部下を掌握するための、天性の才能を持ち合わせているということに他ならない。軍という名の組織をまとめ、率いていくためには、そうした能力が必要だった。
「で、さあ。ノルテちゃんはどうなのさ。」
「私・・・ですか?」
「そうだよ。ノルテちゃんは、精霊じゃないんでしょ? なんでまた、この夏の都に来て、夏軍に入ろうって思ったわけ?」
「それは―――――」
「この、無礼者!!!!」
不意に周囲に響き渡った怒声に、ノルテとクレイオスはそちらを振り向いた。二人のテーブルに向かって早足で近付いてきたのは、夏軍第四頭ミストラルの頭首、テミスだった。
手にしていた書類の束をテーブルに叩き付けるようにして置いたテミスが、椅子から立ち上がったクレイオスに詰め寄った。
「誰かと思えば、また貴様かクレイオス! 畏れ多くも副王殿下に対して“ノルテちゃん”とは、何たる口の利き方か!! そこに直れ、私が今すぐ成敗してくれる!!!」
「おーおー、現れるなり他人を怒鳴りつけるなんて、威勢がいいねえ。けど、キミにできるのかな、テミスちゃん?」
「黙れ!! 言うに事欠いて、私に対してもちゃん付けとは・・・恥を知れ!! 私は、貴様より上位の頭の頭首なのだぞ!?」
顔を真っ赤にしたテミスと、皮肉っぽい笑いを浮かべたクレイオスが睨み合う。宮殿でもすっかりお馴染みの光景に、ノルテは心の中で溜息をついた。
副王とは、当代の夏の精霊王であるセレネが新たに設けた王位だった。夏の精霊王に不測の事態が生じた場合、副王がその王位の継承権を有すると定められ、初代の副王には頭首たちの全会一致でノルテが選ばれた。以後、セレネに対する敬称“陛下”と対になる形で、ノルテは“副王殿下”または単に“殿下”と呼ばれることが多かった。
「ちょっとくらい頭の戦績がいいからって、いい気にならないでくれるかな。キミのミストラルは、命令がないと何もできない、指示待ちの集団だって評判だよ?」
「軍の体裁を為していない、貴様のアブロオロスよりは何百倍もましだ!! 軍令一つ守れずして頭を名乗るなど、おこがましいにも程がある!!」
テミスとクレイオスは、その性格から外見に至るまで全てが正反対だった。頭としての戦績は規律正しいミストラルが上だったが、頭首個人の武術の技量となるとクレイオスに軍配が上がる。そのこともあり、二人は顔を合わせる度に何だかんだと口論が絶えなかった。
クレイオスが手にしていた杯に目を留めたテミスが、目を三角にすると腰に手を当てる。
「その器は、まさか酒ではあるまいな!? 大体、貴様は今、奉仕活動の最中だろうが!! こんなところで油を売っていないで、さっさと作業に戻らんか!!」
「へいへーい。じゃ、行ってくるよ。・・・ノルテちゃん、ごちそうさま。」
「クレイオス殿。くれぐれも、真面目に務めるように。よろしいですね。」
「わかってるって。・・・あ、そうだ。テミスちゃんにも一言。」
「何だ、この怠け者めが!」
「そうやっていつも怒ってばかりいると、シワが増えちゃうよ。テミスお・ば・あ・ちゃ・ん!」
「きッ・・・貴様ぁッ!! 私は、男だあぁッ!!!」
テミスに向かって舌を出したクレイオスが、槌を担いで去っていく。ギリギリと歯軋りをしたテミスが、今度はノルテに向かって大声で捲し立てる。
「殿下ッ! 大体、殿下も殿下ですッ! 何故、クレイオスに厳しく仰らないのですか!? このようなところから、軍紀の乱れは始まるのです!」
「そうですね。今後は、私も心するようにします。・・・とりあえず、お掛けなさい。」
「結構ですッ! 今も、あの馬鹿者のせいで、貴重な時間が無駄になってしまいました! 私には大切な用事が―――――」
「テミス殿。あなたらしくもありません。・・・周りの様子を見て、少し頭を冷やしたらどうですか。」
「・・・・・・。」
語気を強めたノルテの言葉に、周囲を見回したテミスは赤くなると小さく頷いた。どうやら、自分の言動が広場の雰囲気を台無しにしていたことに、ようやく気付いたらしい。
テミスは女性と見紛うばかりの整った容貌をしていたが、本人はそれを苦にしており、女呼ばわりされることを極端に嫌がっていた。特に、犬猿の仲であるクレイオスにからかわれると、抑えが利かなくなってしまう。
「落ち着きましたか?」
「はい。先程は、大変お恥ずかしいところをお見せしました。・・・面目次第もございません。」
「そうですね。あなたの気持ちも分かりますが、他人の前では抑える努力をすべきでしょう。・・・それで、用事とはその書類のことですか?」
「はい。陛下の裁可を頂いたもののうち、知恵の館の書庫に保管すべきものを持参するところなのです。・・・ところで、クレイオスとは何の話だったのですか?」
知恵の館とは、夏の都の北西に位置する建物の名前だった。有史以前から収集・保存されているという膨大な量の書物を閲覧できる図書館に、都の行政に関わる種々の公文書を保管する公文書館、そして天文に関する研究所が組になって運営されている。併設されている天文台は、その特徴的なシルエットから塔を意味する「ピュルゴス」という別名で呼ばれることも多かった。
ノルテから事情を聞いたテミスが、盛大に鼻を鳴らした。
「全く、何かと思えば・・・。あの男、事態の深刻さが分かっておらんようですな。陛下と殿下に命を救われたことに、感謝すれば良いものを・・・。」
「・・・・・・。」
「殿下。やはり、叛乱軍に対する対応は甘きに失したのではありませんか。軍は軍紀が第一、それを蔑ろにすれば軍の崩壊を招きます。・・・誤った処置を改めるのは、決して恥ではありません。今からでも遅くありません、叛乱に関わった者たちには改めて厳しい罰を―――――」
「叛乱軍に対する処罰は、充分に議論を重ねて定めたものです。テミス、あなたも納得し、賛同したのではなかったのですか?」
「はい。ですが、先程の様子を見て過ちであったと確信致しました。どうぞ、ご再考を。」
きっぱりと言い切ったテミスが、ノルテに向かって頭を下げた。相手に一歩も引く気配がないことを見て取ったノルテが、小さく溜息をつくと居住まいを正した。
「そうですね。良い機会ですから、あなたにも言っておきましょう。」
「殿下?」
「私は、あなたの法を尊重し、遵守する姿勢には好感を持っています。しかし、物事には何事も、限度があるとは思いませんか。」
「・・・・・・。それはつまり、私が法に拘り過ぎていると・・・殿下はそう仰せなのですか?」
「その通りです。」
「しかし―――――」
不服そうなテミスの言葉を遮り、ノルテが強い調子で言う。
「法とは何ですか、テミス殿。」
「それは・・・社会的な共同生活を営む上で守るべき規律であり、皆の心を安んじることができる道標たるもの。私は、そう理解しています。」
「では、皆の不安を招く法は、法たる資格を失っている。そうなりますね。」
「・・・・・・。それは、どういう意味でしょうか?」
「今回の叛乱騒ぎに関してですが、確かに軍法によれば、頭首の三名は死罪が妥当です。部下の兵たちも同様で、最低でも軍からの追放が必要です。・・・確かに、彼らに厳しい処罰を行えば、ここしばらくは叛乱の起こる余地はなくなるでしょう。しかし、長い目で見れば、追放された三頭の兵たちによる、新たな叛乱が起こる余地を与えることになります。自分たちが信用されていない・・・と思われてしまっては、和平のための交渉もできません。」
「そ・・・それは―――――」
「何より、三頭を失うことは、夏軍の戦力が大幅に落ちることに他なりません。その上、叛乱が起こった場合を、想像してみてください。・・・それを一番喜ぶのは、誰ですか? 他の季軍ではないのですか?」
「では、殿下は・・・時と場合によっては法を曲げる必要があると、そう申されるのですか!?」
「その通りです。先程あなた自身が言ったように、本来法は、我々の生活を安定させるために作られたものです。それを守ろうとすることに汲々とするあまり、夏の都に不安と動揺をもたらすことになっては、それこそ本末転倒ではありませんか?」
「殿下、それは危険なお考えかと存じます! 此度の温情に味を占めた者共が、再度の叛乱に及ぶようなことになっては―――――」
「無論、その場合は私がその責を負います。陛下、そして私への誓いを違えた者については、私がこの命に代えても成敗するつもりです。」
きっぱりと言い切ったノルテは、傍らに立ててあった自らの武器である“シャムロック”を手に、凄みのある笑みを浮かべてみせた。
叛乱軍を降して都に戻った後、ノルテは新たな武器を都の鍛冶屋に命じて打たせていた。他人を斬って傷付けることのないよう、水竜術士ヴィーカの形見である剣は封印し、代わりに剣を象った長大な鋼鉄の棒を作らせたのである。その重さは優に七グレス(約六十九キログラム)はあり、物の重さを自由に調節できる地竜以外にはとても使いこなせない代物だった。握りの上部にあしらわれたクローバーの紋様から、その棒は“シャムロック”と名付けられ、それを遣うノルテはいつしか「不抜」という畏敬を込めた通り名で呼ばれるようになっていた。
考える表情になったテミスに向かって、ノルテは言葉を継いだ。
「テミス殿。争いとは、互いの正義がぶつかるところから生じます。人の数だけ正義があるからこそ、この世から争いが絶えることはないのでしょう。」
「・・・・・・。」
「法とは、それら正義のぶつかり合いを裁くもの。私は、そう思っています。・・・正義にも、人により様々な事情があるでしょう。であるからこそ、時にはそれを汲み取る必要が、あるのではありませんか?」
「・・・・・・。殿下のお言葉に、今すぐ納得はできません。しかし、今まで考えてみなかったことを、指摘していただいたような気も致します。・・・先程の私の言葉は、どうかお忘れください。今一度、私も考えてみることに致します。」
「それで結構です。済みません、長々と時間を取らせてしまいましたね。」
「いえ。・・・では、失礼致します。」
神妙な面持ちで一礼したテミスが、席を立った。
本来、テミスは明晰な頭脳の持ち主だった。そのことは他の頭首たちも一様に認めるところであり、その頑固さ故に自説に拘泥するところが改まれば、今よりももっと夏の都のためにその能力を発揮できるようになるだろう。今のちょっとした問答がそのきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。
去っていくテミスの後姿を見送りながら、そんなことを思ったノルテはふっと微笑んだのだった。