ワイルド  1     

ワイルド


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「聞きました? 例の話。」

夏は、冬の精霊たちにとって休暇の季節である。
冬の都、その中心に聳える城。久しぶりにリュネル寒気団団長であるアズサの居室に顔を見せた
センジュは、開口一番こう切り出した。

「うちらの陣地があるニカイアから海沿いに東へ行くと、ロランっていう人間の町があるんですよ。
ま、ニカイアが団長のせいであんなになっちまったんで、昔に比べてすっかり寂れちまってるらしいん
ですが。」
「それが、一体どうしたのだ。」

部下の長口上を、アズサは苛々した様子で遮った。
目の前の文机、その傍らにも書類が山と積まれている。仮にも「団長」ともなれば、こうした“実務”の
数々をこなす必要も出てくるのだ。それこそ、本人の好き嫌い、得手不得手に関わらず・・・である。

「まさか、私に嫌味を言いにきたわけでもあるまい。見れば分かるだろうが、私は忙しい。それとも、
お前が代わりに片付けてくれるとでも言うのか?」
「ご冗談を。それでですね・・・」

恨みがましいアズサの言葉をあっさりと流すと、センジュが心持ち膝を進める。

「そのロランと、南の町を結んでる峠道がありましてね。最近、そこに山賊が出るらしいんですよ
これが。」
「別に、珍しいことではなかろうが。例の戦で、あの辺りも荒れたであろうしな。」
「そりゃそうですが。で、この山賊ってヤツがまた変わってましてね。」

(人の話を聞いておるのかこやつは・・・)

どうやら、相手をしてやらなければならないようだ。
諦めたアズサは、筆を文机の上に投げ出した。目一杯不機嫌そうな顔でセンジュを睨み付けると、
胸の前で腕組みをする。・・・これで大抵の部下は尻尾を巻いて逃げ出すのだが、この四天王筆頭
にはどうやら「蛙の面に水」といった塩梅らしい。

「その道を通った人間は軒並み襲われてるんですが、盗んでいくのは生肉やら果物やら・・・“生もの”
ばかりらしいんですよこれが。」
「生もの・・・?」
「はい。一度なんか、金貨を大量に積んだ馬車が襲われたこともあったらしいんですが、積荷は
手付かずだったとか。変ですよね。」
「まあ、確かに変わった賊だということは認めよう。が・・・それを、わざわざ私に知らせる意味はどこに
あるのだ。」
「そう慌てないでくださいよ。本題はここからなんですから。」
「では、さっさと言えばよかろうが。」

顔を顰めたアズサが、苛立たしげに文机を叩く。その様子ににやりと笑ったセンジュが、声を潜めた。

「実はですね・・・。そいつ、もしかするとオレたちのお仲間かも知れないんですよ。」
「な・・・それは真か?」
「はい。逃げ帰った人間たちによると、襲ってきた相手は水色の髪だったとか。空に浮かんでいるのを
見た、ってヤツもいまして・・・。ま、夜のことですし、見間違いかも知れませんけど・・・」

ここまで終始アズサをからかうような様子だったセンジュが、ここで初めて真面目な表情になった。

「普通の人間には、馬車の車輪を凍らせて足止めするなんて芸当は、できっこありませんよ。」
「ふーむ・・・。」

腕を組んだまま、アズサは考え込んだ。
一言で“冬の精霊”と言っても、その能力には大きな個人差がある。大抵の者は凍土に守られた北の
地を出ることはできず、ましてや人間の生活圏に進出することなどとても覚束ない。特に夏の間はだ。
しかし、センジュの話によると、この山賊はこの暑い盛りに毎晩のように人間を襲っているのだという。
これが同族の仕業ならば、さぞかし強大な術力を備えているということになるはずだ。

「・・・面白い。それは、ぜひとも正体を拝んでおかねばな。」

にやりと笑ったアズサは、一つ膝を打つと勢いよく立ち上がった。その拍子に、机の周囲に積み重ね
られていた書類の山が、ばさばさという音を立てて崩れていく。

「あ・・・あの、団長! これはどうするんです?」
「お前にも分かっているだろう? センジュ。物事には優先順位というものがあるのだ。」
「へええ・・・さっきまではあんな顔してたのに。やっぱり、団長も暇・・・ぐはっ!」
「無駄口を叩いている暇はないぞ!」

したり顔で頷いたセンジュの脇腹に、アズサお得意の“鉄拳”がめり込んだ。痛そうに腹を押さえた
センジュが、歩き出したアズサの後に従う。

「・・・で。正体を確かめて、どうされるんです?」
「知れたこと。人間の仕業であれば、我ら精霊には関わりなきこと。捨て置けばよい。」
「じゃ、もし本当にお仲間だった場合は?」
「その場合は話は別だ。そもそも、駐屯地周囲の治安の維持は軍の任務の一つなのだからな。精霊の
狼藉を放置しておくわけにはいくまい。」
「はあ・・・そりゃまあ、そうですね。」

納得した様子のセンジュに向かって、ここでアズサは凄みのある笑顔を浮かべた。

「どれ程の力を備えたものか・・・じっくりと見定めさせてもらうとするさ。」


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