ワイルド
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二時間後。二人は、件の峠道を見下ろす空にいた。
冬の都から移動する間に日はすっかり暮れ、代わりにイルベックが辺りを静かに照らしている。
「しかしまあ、人間というのも物好きだな。襲われると分かっていて、わざわざ夜にここを通ることも
あるまいに。」
「ま、色々と事情があるんでしょう。オレたちにはよく分かりませんが。」
「そう言えば、センジュよ。・・・お前、どこからこの話を仕入れてきたのだ。まさか、人間どもの町に
遊びに行くのが趣味・・・等ということもなかろう?」
「ああ・・・そのことですか。」
眼下には、今しも峠を越えようとする商隊があった。馬車が一台に、護衛が十人ほど。この規模の
商隊にしては不自然な多さである。これも、例の“山賊”の噂のせいなのだろう。
小さく笑ったセンジュが、アズサの方を振り向いた。
「カリンに聞いたんですよ。ほら、団長が新しく創設した術部隊『颮雷』の。」
「ああ・・・あやつか。」
「あいつら、武術の方はからっきしですけど、術力だけは有り余ってますからね。隊長のカリンちゃんは
時間があると人間に変装して町で情報収集をしてるんだそうですよ。」
「なるほどな。・・・しかし、あの外見だからな。人攫い等に目をつけられなければよいが。」
「そのときは、人攫いの氷像ができるだけでしょう。心配は要らないんじゃないですか。」
「ふ・・・違いない。」
「あ、ほら・・・現れましたよ。」
(!)
センジュが、向かいの山肌を指差す。
ここからだと逆光でその姿はよく見えないが、その“影”は二人同様宙に浮いていた。確かに、ただの
人間ではあり得ない。
「待ちな!」
“影”の声に、足を止めた商隊の面々が一斉にそちらを振り向いた。辺りには、一気に張り詰めた
緊張が漂った。
「その馬車の積荷は、あたしがいただく! 命が惜しいヤツは、とっとと逃げるんだねッ!!」
(女、か・・・)
その声は、アズサの予想とは裏腹に甲高い女のものだった。
慌てて向きを変えようとした馬車の周囲に、次々に氷でできた槍が降り注ぐ。瞬く間に、馬車は氷の
檻に閉じ込められた恰好になった。
「ほう・・・見事なものだな。術力だけとれば、お前と遜色ないのではないか?」
「でしょう。でも、まだまだこれからですよ。」
感嘆の声を上げるアズサ。その隣で頷いたセンジュが、“影”の方を顎でしゃくった。
眼下では、馬車を囲んでいた護衛が、現れた“影”に向かって一斉に駆け出したところだった。
「おのれ! 今日こそ、成敗してくれるわ!」
「下賎な山賊ごときに、負けはせぬ!」
「いいぜ・・・来なっ!!」
地面に降り立った“影”は、相変わらず余裕たっぷりの様子だった。自分に向かって突進してくる
男たちに向かって、小さく腕を突き出してみせる。それは、もしかすると挑発のポーズだったのか。
「おらおらおらぁ!!」
勝負は、一瞬のことだった。
白刃を振りかざした男たちの半分以上が一撃で返り討ちにされ、それを見た残りがあたふたと逃走
していく。その間、“影”は術も武器も遣った様子はなかった。
「体術・・・か。」
「そのようで。実際、襲われた人間の中に、刃物で斬られた奴はいませんでしたから。」
頃合良しと見て、地面に降り立つアズサとセンジュ。目の前では、馬車の中を覗き込んだ“影”が、
苛立たしげにそれを蹴飛ばしたところだった。
「けっ! ロクなもん積んでねえ・・・」
その後姿に向かって、アズサが声をかける。
「・・・待て。」
「誰だ!」
振り向き、瞬時に身構えた相手の姿が、月の光に照らし出される。
背丈は、アズサよりも頭半分低いだろうか。夜目にもはっきりと分かる、真紅の髪留めによって
形作られたツインテールが一際目を引く。こちらを油断なく見つめている瞳はかなりの釣り目で、
気性の激しさを窺わせる。
身に着けている服は、何かの道着だろうか。大きくはだけた胸元からは白いサラシが覗いており、
両手首のこれまた真紅のリストバンドと共に、冬の精霊にしては珍しい装いである。
半身で身構えたままの相手に向かって、アズサは静かに呼びかけた。
「少々聞きたいことがある。私は―――――」
「へん! 名前なんて、聞きたくもないね。その恰好・・・お前ら、どうせ冬軍の関係者だろう。」
「ほう・・・そこまで分かっているなら話は早い。」
頷いたアズサが、大きく手を広げる。
「単刀直入に言おう。貴様、私の配下になる気はないか。」
「なんだって?」
「事情があって、我が団は今人手不足でな。活きのいい団員を探しているところなのだ。」
「あんた・・・本気で言ってんのか?」
「そのつもりだが。冗談や酔狂でここまで出張ってくるほど、私も暇ではない。」
「はは・・・こりゃ、お笑い種だ! あたしを・・・冬軍にだって?」
しばらくの間、ぽかんと口を開けてアズサの方を眺めていた相手は、ややあって腹を抱えて
笑い始めた。
「今の戦いは、全て見させてもらった。武力・術力どちらをとっても申し分ない。・・・よければ、考えて
みてはくれまいか。」
「うざってえんだよ!!」
アズサの言葉に、相手はぴたりと笑いをやめた。怒声と共に、力一杯地面を殴り付ける。
「なんだかんだって理由つけてあたしを不合格にしたくせによ!! ハジをかかされるのは、もう
ごめんだからな!!」
「不合格? ・・・貴様、冬軍に志願したことが―――――」
「いいか!!」
アズサを正面から睨み付けた相手は、その人差し指をアズサに向かって突き付けた。
「あたしはな、お前らには心底トサカに来てるんだ!! 冬軍に入る気なんて、
これっぽっちもねえな!! どうしても・・・ってんなら、拳で語ってもらおうか!!!」
「・・・・・・。つまり、私に貴様と勝負せよと・・・こう申すのだな?」
「そうさ。あたしは、強いやつにしか興味はねえからな!」
「なるほど。では、もしこの勝負で私が勝った場合は・・・」
「おうよ。あたしのことは、好きにしてくれて構わねえぜ!」
「・・・いいだろう。」
頷いたアズサは、帯びていた七星刀の『破軍』を腰から外した。傍らに立っていたセンジュの方を
振り向くと、それを手渡す。
「これを頼む。」
「しかし、団長・・・」
「こうした勝負はな、相手の土俵に立って戦ってこそ意味があるものだ。」
確かに、アズサは冬軍でも指折りの武力の持ち主である。しかし、それは専ら剣術に関してのことで、
配下になってからこの方、センジュはアズサに体術の心得があると聞いたことはなかった。
その上、相手は凄腕の体術遣い。その桁外れの能力は、たった今眼前で見せ付けられたばかりで
ある。
いくらなんでも、相手が悪いのではないか。・・・心配そうな顔になったセンジュに向かって、アズサは
ふっと微笑を浮かべた。
「そう心配そうな顔をするな。ま、見ておれ。」
「よう、相談は終わりか?」
「待たせたな。いつでも来い。」
「んじゃ、行っくぜえええぇぇ!!」
(!)
振り向いたときには、既に相手はアズサの目の前にいた。
(速い・・・!)
アズサが身構える暇もなく、鳩尾や喉元といった数々の急所を相手の拳が正確に捉えていく。
「おりゃあああああ! 食らいやがれえぇぇ!!」
顎の下に鋭い一撃を受け、のけぞったアズサの背後に相手が素早く回り込んだ。そのままアズサの
身体を抱え上げると、頭を下にして地面に叩き付ける。
「だっ・・・団長!!」
「けっ。他愛もねえ・・・」
ここまで、時間にして僅か数秒の早業だった。
地面に横たわったままのアズサは、センジュの悲鳴にもぴくりとも動く様子を見せない。
つまらなそうに唾を吐き捨てた相手が、アズサの許へと駆け寄ろうとしたセンジュの前に立ち
はだかった。
「次は、お前が相手か?」
「くっ・・・!」
自分も、寒気団一の“体術遣い”として、素手での戦いには自信がある。しかし、この相手ほどの
遣い手と対峙したことはまだない。
地面に倒れたままのアズサのことも気にかかる。まさか大事はないと思うが、ここは一旦退くことも
考えなければならないかも知れない。