もしも  1     

もしも


 −1−

歴史は、必然である。
過去の出来事は全て起こるべくして起こったのであり、それについて仮定の話をするのはただ空しい
だけ。
それでも・・・人は、過ぎ去った日々についてあれこれと思いを巡らすものなのだ。

もしも、隣国が攻め込んでこなかったら。
もしも、部下の裏切りが起こらなかったら。
もしも、あと半日城が持ち堪えてくれていたなら。


  *


コーセルテルでは、月に一度の割合で竜術士の寄り合いが開かれる。会場は各竜術士たちの持ち
回りであり、今回は火竜術士ダイナの家だった。

「飲み会でお酒を飲まないなんて、やっぱりもったいないですよ。」
「でも・・・ぼくは下戸だから。みんなに迷惑をかけるのも・・・」

既に滞りなく寄り合いも終わり、今は恒例の飲み会の真っ最中である。
この日、周囲の賑わいを他所に、水竜術士のヴィーカは一人苦々しい顔で杯を呷っていた。その
視線の先には、風竜術士のラスカにまとわりつく彼の補佐竜、水竜リステルの姿がある。

「大丈夫、僕が術でちゃんと薄めておきましたから。これならお酒に弱いラスカさんでも平気だと
思います。」
「・・・そう? ・・・じゃあ、ちょっとだけ・・・。」
「はい! さ、ぐーっといっちゃってください!」

渋るラスカに何とかして酒を口にさせようと言葉巧みに煽る様は、正に口達者な水竜の面目躍如と
いった趣である。もちろん、首尾よくラスカを酔い潰した後には“介抱”と称して良からぬことを企んで
いるに違いない。
リステルとはもう随分長い付き合いになるヴィーカには、そうしたリステルの“やましさ”は一目瞭然
だったが・・・それに全く気付かないところが、ラスカのいいところでもあり、また困ったところでもある。

「よ。何シケた面してるんだよ、大将。」
「・・・トレベスか。」
「ああ、またあいつか。本当、よく続くよなあ。」
「言うな。酒がまずくなる。」

不意にテーブルの反対側から声をかけられたヴィーカは、そちらにちらりと目をやった。
声の主は、木竜術士のトレベスだった。こちらも酒の杯を手にテーブルに着いたトレベスは、件の
二人の様子を目にして得意のにやにや笑いを浮かべた。

「ま、そんな顔するなよ。自由恋愛の時代なんだからさ、好きにさせてやればいいじゃないか。」
「・・・どっちかが女なら、俺も何も言わんよ。」
「はっはっは。そりゃそうだな。」

苦虫を噛み潰したようなヴィーカの様子に、あっけらかんと笑ったトレベスは前言を撤回した。
リステルは、もともとこのトレベスと恋仲だった風竜術士のモニカに想いを寄せていた。もちろん、
トレベスというれっきとした恋人がいるのだから、これは報われない“片想い”で終わるはずだった。
ところが、モニカが突如としてコーセルテルから姿を消してしまったことにより事態は急変する。
代わりに外界から連れてこられた弟のラスカは、双子だけあって外見はモニカと瓜二つ。家事万能で
物腰も穏やか・・・と、モニカより余程「女らしい」ラスカにリステルはすっかり転んでしまったのだ。
それからは、リステルは日々恥も外聞もなくラスカを口説くようになった。本来は竜を伴わないはずの
寄り合いに、毎回のように強引に顔を出すのもその一環なのである。リステルは“ラスカに会える”
機会を虎視眈々と狙っており、チャンスと見るやこうして必ず出張ってくる。それこそ、寄り合いで
あろうが仕事であろうがお構いなしだった。
幸いなことに、ラスカ本人はそういったことには極めて鈍感で、事が進展(?)する気配はなかった。
しかし、子竜たちの情操教育上よくないことに間違いはなく、竜術士たちは日夜頭を悩ませているの
だった。

「でも、心配はいらないだろ。ラスカのファンは、あいつだけじゃないからな。」
「ん? どういう・・・」

トレベスの言葉にヴィーカが眉を寄せた刹那、ラスカの座っていたテーブルの方から派手に皿の
砕け散る音がした。続いて、リステルの悲鳴が上がる。
尻餅をついたリステルの前に腕組みをして立ちはだかっていたのは、火竜のカランだった。ダイナの
補佐竜で、こちらもリステルと同じく成竜である。現在は“花嫁修業”としてラスカの元に住み込んで
家事の手解きを受けている身であり、ラスカの危機を見過ごせず思わず手が出てしまった・・・という
ことらしい。

「な・・・何するんだよ!」
「・・・ったく、いい加減にしやがれってんだ! チビどもの目の前で。」
「そんなのは、僕の勝手・・・」
「てめえも大人なら、ちったあ“配慮”ってもんをだな!!」
「うぐっ・・・!」

言い返そうとしたリステルの鳩尾に、目を吊り上げたカランの拳が容赦なくめり込んだ。哀れリステルは
そのまま床にのびてしまい、その様子を目にした光竜術士のスプラが腹を抱えて大笑いしている。

「な? 言っただろ?」
「・・・ああ。そのようだな。」

不承不承頷くヴィーカ。手にしていた杯を呷ったトレベスは、相変わらずにやにや笑いながらヴィーカの
横顔を見た。

「けどよ、あれには・・・大将にも責任があるんだぜ?」
「分かってる。・・・これでも、毎日口を酸っぱくして言って聞かせて・・・」
「そうじゃない。」

渋い顔をしたヴィーカに向かって、トレベスは指を振った。

「ちょっと考えてみろ。もう三十路の半ばを過ぎたってのに、浮いた話の一つもなし。これがまたいい男
だってんだから、傍で見てる方は色々と勘ぐりたくなるってもんだろ?」
「お・・・おい。それは、もしかして俺のことか?」
「他に、誰がいる。」

にんまりと笑うトレベス。

「誰か相手を見付けてさ、いっちょラブラブなところをあの補佐竜君に見せ付けてやりゃあいいじゃ
ないか。その上で説教すれば、説得力も増すってもんだろ。」
「ラブラブ、・・・か。」

遠い目になったヴィーカは、小さな声で呟いた。
確かに、自分にもそういう時期があった。周りのことが目に入らないほどに幸せな日々。
しかし、そんな夢のような生活は、あの日・・・唐突に終わりを迎えたのだった。

「悪いが、今はその気になれないな。」
「へえ。・・・もしかして、昔の恋人に操を立ててるとか?」
「・・・・・・。ある意味、そうなのかもな・・・。」
「・・・?」

ヴィーカの意味深な答えに、トレベスは首を傾げた。


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