さよなら  1     

さよなら


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「う―――――んッ!」

ナーガ諸島最東に位置する島、エイル島。島都ソルティアスの、フェスタ公使館から出てきた監察官・
風竜シゼリアは、爽やかな風に大きく伸びをした。
一口で「監察官」といっても、その性格は大きく二つに分けられる。
一つは、特定の地域に継続して駐在し、その地域に関する情報収集を担う者。赴任地はアミアンや
ミガンティクといった国内でも“辺境”とされる地域から、メクタルやこのナーガのように国外に至るまで
世界各地に及ぶ。そして、各地を統括する責任者は特に“公使”と呼ばれ、地元の有力者との卒の
ない付き合いの必要性から、水竜や光竜、地竜といった種族から選ばれるのが常だった。
それに対して、国内の情報交換や視察を主に請け負う立場の者もおり、各地を速やかに移動できる
能力が必要とされるために、こちらは専ら風竜族の任となっていた。現竜王であるグラシノーラ・・・
テラの同期生であったシゼリアは、立場上この後者の監察官を束ねる立場におり、こうして定期的に
国外の公使館を巡るのは彼女の主な仕事の一つだった。

(さて、と・・・)

抜けるような青空を眺め、弾むような足取りで街の通りを歩き出す。瀟洒な建物が建ち並ぶ街の
目抜き通りは多くの人々でごった返していたが、その誰もがどことなく上品な雰囲気を漂わせていた。
実際に身分や地位が高い者も多く、それはナーガの他の諸都市との大きな違いだった。
ナーガの諸島には、オノトア島の金属製品のようにそれぞれ特徴ある「特産品」が存在する。この
エイル島のそれは「情報」だった。もちろんそれなりのコツを知っている必要はあるが、この街で手に
入らない世界の情報はないとまで言われている。フェスタのナーガ公使館が、首都であるパルミでは
なくこのソルティアスに置かれているのもそのせいなのである。
しかし、世は平和そのものだった。
テラが王位に復帰して四年。「空白の十年間」の残した爪痕も目立たなくなった今、フェスタ領内は
平和な時を取り戻していた。北大陸に居住する人間族との関係は相変わらずだったが、南大陸の
隣人である魔獣族や精霊族との関係は良好で、取り立てて見るべきこともないのだった。

「♪♪♪〜」

口笛を吹きながら、シゼリアはのんびりと大通りを歩いていった。十五分ほど行ったところで、小さな
路地を曲がる。
一歩路地を入ると、そこには他と変わりない「庶民の生活」があった。
街の中心部こそ洗練された雰囲気を漂わせているものの、このエイル島もこの世界を構成する
主民族のうちの三つ・・・すなわち、他者との交わりを拒む傾向にある精霊族を除く、人間族・真竜族・
魔獣族及びその混血である住人が仲良く共存していることには変わりない。それはつまり、家の
建て方から戸外に漏れる音や匂い・・・三者の生活様式が渾然一体となって存在している、という
ことでもあった。

(あー・・・こういう場所っていいなぁ・・・)

今回の任務―――――公使役の竜と昨今の情勢についての会談を持ち、関係書類の授受をすること
―――――にあるような、表立った情報交換ももちろん重要だ。しかし、本当に重要な情報は、
時としてこうした庶民の生活から読み取れることがあった。こうした観点から、シゼリアは視察の際、
必ずこうした“庶民”の様子にも目を配ることにしていた。
何より、幼い頃から飾らない環境で育ったシゼリアにとっても、こうした雰囲気に包まれる方が
落ち着くのだった。

(確か、この辺りに・・・あ!)

やがて路地は、小さな広場に突き当たった。所狭しと露店や屋台が並べられたその広場は、
住民たちの生活を凝縮したかのような場所だった。
きょろきょろと辺りを見回していたシゼリアは、お目当ての屋台を見付けて目を輝かせた。その
暖簾には大きく「たこ焼き」の文字がある。

「やっほー! おじさん、久しぶり!」
「おう。これは、監察官さまじゃねえですかい。」
「もう、その“監察官さま”はやめてって言ったでしょー?」
「おう、いけねえいけねえ。」

ここに初めて足を踏み入れたのは、前回の視察のとき。興味本位で初めて口にした「たこ焼き」の
味に、シゼリアはすっかり虜になってしまったのだった。その食べっぷりに惚れたという店主とも、
そのときにすっかり仲良くなった。

「で、景気はどう?」
「んー、まあぼちぼちってとこですかい。ほれ、新しい竜王になってから、南の物の値段が安定したし
なあ。」
「あれはね、元の竜王に戻っただけなんだよ。ちょっと、事情があってね!」
「ほう、そうなんですかい。・・・ま、あとは客が増えれば言うことなし。監察官さまよ、向こうに戻ったら
一つ、宣伝でもしてくれんかね。」
「あはは! それでみんなが押しかけてきたら、どうするつもりー?」
「そうか。そりゃ困っちまうなあ。」

店の主人と他愛ない世間話を交わしながらも、シゼリアの視線はしっかりと屋台の周辺に向けられて
いた。名もない人間の経営する、何という事はない小さな屋台。しかし、使われている材料一つを
見ても、いかにこの地が「国際化」しているかが見て取れるのだった。
たとえば、この「たこ焼き」という料理は、そもそも北大陸最東端の国家アントリムの郷土料理の一種
なのだという。小麦粉はタペラのローランド平原産、タコや鰹節・海苔といった魚介類は、古くから
魚介類を食料としてきたイゼルニア産。燃料として使われている炭はシゼリアの母国であるフェスタ
・・・アミアンの豊富な森林資源によって産み出されたものであり、また香辛料の多くはその隣国で
あるエリオット産であることをシゼリアは知っていた。
そして、これらの物品の値段の動向一つで、各国の国内事情や国際関係が垣間見えたりすることが
あるのだった。こうした部分から少しでも情報を引き出そうとすることは、監察官になって長い
シゼリアにとって習い性のようになっていた。

「ほい、お待ち!」
「わぁ! いっただきまーす!!」

威勢の良い掛け声に、シゼリアの思考が中断された。目の前に置かれた、湯気の上がっている
出来立てにかぶりつく。

「ん―――――! おいしー!!」
「あんたみたいに、みんなうまそうに食ってくれりゃあなあ。俺っちの苦労も報われるってもんなんだが
ねえ。」
「あたしでよければ、これからも来るからね!」
「そりゃ、ありがてえハナシだ。あんたは竜だからな・・・少なくとも、俺っちが死ぬまではお得意さんで
いてくれるわけだ。」
「もう、おじさんったら! ・・・そんなんなら、いっそのこと宮廷で仕事しない?」
「よしてくれよ。そっちの料理長に睨まれちまう。」

がっはっは、と笑った店主が腰に手を当てた。

「で、お帰りは明日かい?」
「うん! 今回もお土産頼みたいんだけど、いいかな?」
「おう、任せときな!」

前回、思い付きで宮廷に持ち帰った「たこ焼き」は、竜王であるテラを初め同期生たちの大好評を
博した。最初は食わず嫌いを決め込んでいたジークリートさえ、最後には目の色を変えてフィリックと
たこ焼きの奪い合いをしたのだという。そのときの騒動を思い出し、シゼリアはにんまりと笑った。

「ありがと! じゃ、これ。・・・あ、おつりはいいからね!」
「まーたこんなにたくさん。こりゃ、うんとおまけをしなくちゃいけねえな!」
「ふふっ、期待してるからね! じゃ、また明日!」

頭を掻いた店主に手を振ると、二皿目のたこ焼きを手にシゼリアは歩き出した。広場をゆっくりと
眺めて回ると、先程とは違う路地に入る。
風竜に地図は要らない。地竜のように方位を知る能力が具わっているわけではなかったが、いざと
なれば空から帰り道を探せばいい。気楽なもんだよね・・・と、シゼリアはくすりと笑った。


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