さよなら      3 

 −3−

「あれ? カインさんは・・・?」

翌日。朝一番で、シゼリアは昨日の路地を訪れていた。

「あー、あいつか。悪いけど、あいつならもうここにはいないぜ。」
「え!? どうして!?」
「どうしてって・・・俺が訊きたいくらいだぜ。・・・ほら。」

苦笑いをした相棒の男が、シゼリアに向かって紙包みを差し出した。

「これは?」
「昨日、あいつが言ってた絵だろ。今朝起きたら、これと短い手紙があってさ。北に渡るんだと。」

紙包みから出てきたのは、鉛筆による似顔絵ではなく、きちんと油彩で描かれた一枚の肖像画だった。

(!!!)

絵を一目見た瞬間、シゼリアは息を呑んだ。
そこに描かれていたのは、昨日の自分ではなかった。長い髪をふわふわのリボンで束ねた、五歳
くらいの銀髪の女の子。窓枠に寄りかかり、にっこりと笑うこの女の子にも・・・そして、描かれた
背景にも確かに見覚えがあった。

「ひゅー! あいつ、こんな腕があったとはなあ。」

絵を覗き込んだ男が、口笛を吹く。
しかしこれは。これは、紛れもなく幼い頃の・・・それも里でカスクと暮らしていた頃の自分だった。
しかし、一介の人間の絵描きがそれを知っているはずがない。そう・・・たった一つの可能性を除いて。

「これ、もしかしてあんたか?」
「―――――ッ!!」
「あ、おい! 何をするんだよ!」

ある可能性に思い当たったシゼリアは、やおらキャンバスの布地に手をかけると、それを二つに
引き裂いた。
その下から現れたのは、見覚えのある筆跡の走り書き。それは、確かにこう読めた。


“シーザは、もういない”


(シーザは、もう・・・・いない・・・?)

目にした文章を、シゼリアは心の中で繰り返した。
やはり、あれはカスクだったのだ。しかし、分からない。・・・この文は、一体どういう意味なのか。

(あたしは・・・ここに、いるよ・・・?)

滲んだ涙が零れないように、すっきりしない空を見上げる。その刹那、ふとシゼリアの脳裏に閃くものが
あった。
元々彼は、何らかの理由があって里を追放された人間だった。たとえそれが誤解だったとしても、
族長を初めとする里の長老たちにとって、それが看過できないほどの重要な内容だったことは想像に
難くない。
と、すれば。記憶を消され、術素質を封印された状態だといっても、カスクには未だに風竜族による
監視の目が光っている可能性がある。人間の記憶については、未だに分かっていないことが多く、いつ
カスクが消したはずの記憶を取り戻すか、知れたものではないからだ。
そんな中、カスクは自分と偶然にも再会したのだ。この状況で、果たして自らの素性を認めることが
できただろうか。
できはしない。心を鬼にしてでも、取り付く島もない態度を取るしかないはずだった。
今、カスクの記憶がどこまで戻っているのかは分からない。しかし今、もし風竜族が彼の記憶が戻って
いることを知ったなら。・・・今度こそ、一族は彼を抹殺しようとするだろう。
ここまで考えたシゼリアは、驚愕に目を大きく見開いた。

(まさか・・・あたしのために!?)

もし、カスクが昨日、自分に対してその素性を認めていたなら。自分は、何もかもを投げ出して彼と共に
生きることを選んだだろう。そして、彼に危機が迫ったときには、自らの命を擲ってでも彼を守ろうとする
だろう。
そして、そのときには・・・一族は、同族でもある自分も共に殺さざるを得なくなる。カスクは、それを
避けようとしたのではないか。

(一緒に暮らせるのは・・・今じゃ、ないってこと・・・?)

カスクは、北大陸へと渡ったという。
北大陸は、人間族の土地である。いくら強大な力を誇る真竜族の一員である自分であっても、一人で
そこに乗り込んでいくことは覚束ない。ましてや、広い大陸の中から彼を探し出すことはまず不可能
だろう。
しかし、残された時間は僅かだった。そのことを考えると、不安だけが募っていく。
信じて、捜し続けるしかない。いつか、また再会できる機会が巡ってくるだろう。

(諦めてなんか、やるもんか!)

破れたキャンバスを抱き締め、きっと口元を結んだシゼリアは空を見上げた。涙で濡れたその頬に、
再び雨が落ち始めていた。


はしがき

この話は、絵巻物本伝に掲載予定の『風の坂道』と対になるはずの話です。サイドストーリーが先に
書き上がる、というのも変な話ですが(笑)、どうぞご容赦ください。
『Dandelion Hill』で明らかになった、シゼリアの過去と目的。それは、今後どのように彼女の人生に
関わってくるのでしょうか。この、カスクとシゼリアのシリーズにもいくつかの話の構想がありますので、
気長に形にしていけたらと思っています。