さよなら
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(・・・ん?)
ふと、道の反対側に気になるものを見付けたシゼリアは、そちらへと歩み寄っていった。
それは、二人組の男だった。
似顔絵士とでも言うのだろうか。どうやら、通行人の似顔絵を描いては、何がしかの金額を受け取って
いるようだ。路傍には、アピールのつもりなのか所狭しとその“作品”が並べられていた。
(へえ・・・結構上手いなぁ)
自らも絵を描くシゼリアにとって、他人の描く絵が気になるのは当然だった。道端にしゃがみ込み、
置かれている似顔絵を眺め始めたシゼリアに向かって、手が空いている様子だった男のうちの一人が
声をかけてきた。
「よう姉さん、似顔絵を一枚どうだい?」
「うーん。どうしよっかなあ・・・」
「ぜひ、描かせてくれよ。姉さんみたいな美人なら、描き甲斐がありそうだ。」
「まーたまた。上手いんだから!」
男に向かってにっと笑ったシゼリアが、ポケットから出したティール銀貨を相手に向かって放った。
「じゃあ、お願いしちゃおうかな。」
「お、話が分かるじゃないの! じゃ、そこの椅子に・・・」
「うん。ありがと。」
このとき、手元の紙に向かって鉛筆を走らせていたもう一人の男が顔を上げた。何気なくそちらを
振り向いたシゼリアは、次の瞬間その場で凍り付いた。
(そん、な―――――)
手にしていたたこ焼きが、道にぼとぼとと零れ落ちる。トレイを投げ捨てたシゼリアが、男に
抱き付くのと大声で叫ぶのは同時だった。
「カスクー!!」
「!?」
「カスク!! カスクなんだよね!? ずっとずっと、探してたんだよ!!」
「・・・?」
しばらくの間、自分に抱き付いて泣きじゃくるシゼリアのことを呆然と眺めていた男が、やがてその肩を
掴んだ。そのまま、強引にシゼリアを自分から引き離す。
「・・・カスク?」
「悪いが、人違いをしているようだ。」
「そんな! あなた、カスクなんでしょう!?」
「・・・私の名は、カインというのだが。」
「うそ!!」
相手の瞳に、紛れもない不審と苛立ちの色が浮かんでいるのに気付き、シゼリアは愕然とした。
(まさか・・・そんな・・・!)
間違いなく、目の前に立っている相手はカスクのはずだった。口元に刻まれた皺は見覚えのないもの
だったが、あれから三十年近くが経った今・・・カスクももう五十を超えるはずだった。ならば、それも
充分に頷ける。澄み切った青い瞳と、癖のある栗色の髪・・・そしてその声、北方の訛があるというその
口調。何もかもが、自らの記憶にある通りだった。
何より、風竜は一度会った相手の気配を忘れることはないのだ。シゼリアの風竜としての本能は、
はっきりと相手をカスクだと言っている。だとすれば、これはどういうことなのか。
「そうだ! きっと、まだ記憶が・・・!!」
「記憶?」
「ね、思い出してよカスク! あたしだよ、シーザだよ!!」
「おい、姉さん。それは、ひょっとして、新手のナンパかい?」
「そんなんじゃないよ! ねえ―――――」
横槍を入れたもう一人の男を睨み付けると、シゼリアはカインと名乗った男に向き直った。さらに
言い募ろうとするところへ、容赦ない言葉を浴びせられる。
「悪いが、商売の邪魔だ。・・・似顔絵を頼まないんなら、どこかへいってくれ。」
「そんな・・・」
「くどい。」
相手の冷たい言葉に、シゼリアの顔が歪んだ。
カスクだったら、こんな言い方は絶対にしない。口が悪い部分はあったが、それに隠された優しさが
あることを、里で誰よりも彼の身近で過ごしたシゼリアは知っていた。
(・・・・・・)
二人の間に、気まずい沈黙が漂う。しばらくして、俯いたシゼリアが消え入るような声で言った。
「似顔絵・・・描いて、ください。」
傍らにあった椅子に座り、そっぽを向いたままだったカインに向かって、小さく頭を下げる。
「カイン・・・さん。あなたに・・・。」
「ならせめて、その泣き顔を何とかしろ。・・・そんな辛気臭い顔、描きたくもない。」
「うん・・・。そう、だよね・・・。」
慌てて涙を拭ったシゼリアは、無表情で紙の上に鉛筆を走らせ始めたカインをじっと見つめた。
相手がちらりと顔を上げる度に、祈りを込めてその瞳を覗き込む。
(思い出して・・・! お願い・・・カスク!!)
しかし、この悲痛な願いが聞き届けられることはなかった。しばらく経っても、カインの表情には何の
変化もない。
考えてみれば、おかしな話だった。
自らが捜し求めて止まない、生き別れになった竜術士。それと生き写しの相手が、今自分の目の前に
いる。
しかし、それだけだった。言葉を交わすこともできなければ、相手に触れることもできないのだ。
シゼリアにとって、これは拷問以外の何物でもなかった。
(・・・!)
もう、耐えられない。
込み上げるやるせなさから、シゼリアがその双眸に再び涙を溢れさせたその刹那、不意に頬に冷たい
ものが当たった。反射的に見上げた空は、いつの間にかどんよりと曇っていた。そこから、大粒の雨が
次々に落ちてくる。
「おい、あんた。シーザとか言ったな。」
「え・・・?」
「悪いが、今日はこれで店仕舞いだ。この仕事は、雨が大敵なんだ。」
「・・・・・・。」
「この絵は明日までに仕上げておくから、悪いが明日・・・またここに取りに来てくれるか。」
「うん・・・。」
弱々しく笑ったシゼリアは、微かに頷いた。
例え他人だったとしても。その心が、彼とは似ても似つかぬ冷たいものだったとしても。
・・・見かけはカスクと全く同じ、このカインという人間と少しでも長く、一緒に過ごしたかった。それが、
たとえひとときの幻影に過ぎなかったとしても。
「ではな。また、明日。」
カインの声を背に、とぼとぼと路地を歩き出す。
冷たい春の雨。それに打たれているうちに、身体も・・・そして心までもが冷え切っていくようだった。