影
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「・・・お言葉ではございますが。」
「うむ。アンジュ、何なりと申せ。」
ここで口を開いたのは、六番竜の暗竜アンジュだった。
アンジュは、物静かな性格の者が多い暗竜たちの中にあって、珍しくはっきりと物を言う勝気な子
だった。この七人兄弟の中にあっては、三番竜の木竜スイランと二人だけの女であるにも拘らず、
本人は女扱いされることを嫌い、常日頃から兄弟たちと同じく様々な武術の訓練に明け暮れる生活を
送っていた。
そのアンジュが、ぐっとセリエを睨むようにして言う。
「姐上のお言葉には、腑に落ちる点が多くございました。確かに、他国の暗殺者から陛下や他の
方々をお護りする必要はございましょう。しかし、だからと言って・・・暗殺者を他国へ送り込むと
いうのは、いささか行き過ぎではございませんか?」
「・・・・・・。」
「他に、いくらでも手はあるはずです。争いを回避するには、まずもって話し合いこそが肝要だと
心得ますが。」
「そうだな。確かにそれはお前の言う通りだが・・・」
小さく頷いたセリエは、アンジュの目をじっと見つめた。
「では訊こう。アンジュ、その“話し合い”とはどのように行うのだ?」
「は? ・・・それは、各国が代表を出し合って・・・」
「私が尋ねたのは、手段ではない。どうやって予め相手の真意を探り、それへの対処としての
話し合いを行うのかと、こう申しておるのだ。」
「そ、それは・・・」
言葉に詰まったアンジュが、床に目線を落とした。その上へ、セリエの容赦ない言葉がかけられる。
「どのような手を打つにせよ、それにはまず相手の考えを知らねばならぬ。隣国が、我が国への侵略を
企てている。或いは、要人の暗殺や拉致、または様々な破壊活動を企んでいる・・・といった情報を
事前に掴むことができねば、それに対処することもできぬ。」
「ですが。そのために、監察官が世界各地に派遣されているのではありませんか?」
「うむ。しかしそれも、先程の“武と法”の話同様、建前に過ぎぬ。」
遠慮がちに口を開いたソウガに向かって、セリエはにべもなく首を振った。
「少し考えてみよ。監察官が派遣されているのは、我が国内及びメクタル・ナーガといった南北
両大陸の緩衝地帯に限られている。特にナーガにおいては、その立地及び商業地域であるという
特性から、世界の情報が集まることを否定はせぬが、これだけで各国・・・特に北大陸の諸国の
動静を掴み切れるものかどうか。大いに疑わしいと言わざるを得ぬのではないか?」
「は。それは・・・ごもっともにございます。」
「また、監察官は基本的に文官だ。そのための権力も、また能力も無しで各国の内情を探るのには、
やはり無理があろう。」
「・・・つまり姐上は、そうした役割の者を我々真竜族も育てるべきだと。そして、その役目を我等に・・・
と、こう申されるのですね?」
ここまで無言だったスイランが言った。その言葉に、一座には目に見えない熱のようなものが広がり・・・
それを目にしたセリエは静かに頷いた。
「今語った“影”の任務は、本来は暗殺等という非常手段に訴えることではなく、こうして敵情を探る
ことに尽きる。お前たちの術士となってからも・・・折を見て、私は北大陸に渡っては各国の内情を
探ってきた。だがこれも、たった一人で担うにはやはり無理がある。」
「そう・・・だったのですか。」
確かに、セリエは数日から・・・長ければ半月に亘って、時々宮殿から姿を消すことがあった。その謎が
解け、納得した様子のスイランに向かって、セリエは僅かに笑みを浮かべた。
「やがて私も老い、満足に動くこともできなくなるだろう。・・・しかし、私の跡を継いでくれる者が育てば、
こんなに心強いことはない。」
「し・・・しかし! 何故、私たちが選ばれたのです!? 宮殿には、私たちよりも遥かに術力、
あるいは武力に優れた方がいらっしゃるではありませんか!」
「いや。この役目は、お前たちにしか務まらぬのだ、キレイ。」
「そ・・・それは、一体如何なる訳にございますか!?」
青ざめたキレイが、叫ぶように言う。そちらをちらりと見やったセリエは、ふっと遠い目をした。
「“影”とは孤独なものだ。危険な役目を背負い、しかしその結果は成功失敗に関わらず他の者には
知られぬままに終わる。一般の廷臣のように、自らの為した成果を認められて賞賛を浴びることも
なければ、無論立身出世とも縁がない。」
確かに、セリエの言う通りだった。任務がどのような結果に終わったにせよ、それを発表すれば相手は
新たな手を打ってくる。そう、これは一生を通じて、決して陽の当たらない役目なのだ。
「無論、本来の役目を隠したまま他人と接しなければならぬため、何かと苦労もあろう。だが、本当に
辛いのは・・・」
「・・・?」
「他人を信じることができなくなる・・・ということだ。」
セリエの言葉に、部屋の中は水を打ったように静まり返った。
「私の場合も、そうだった。仲間は大勢いたが、同じ役目を担っているとは言え、所詮は他人・・・。
厳しい訓練に耐え、辛い任務を共に生き延びて初めて多少の信頼も芽生えたものだが・・・それも
心からのものではなかった。何時敵国の間者が“仲間”として紛れ込んでいるか分からぬのだからな
・・・無理もない話だ。」
「・・・・・・。」
「だが、お前たちは幼い頃から“家族”として共に育ってきた間柄だ。これ以上、信頼に足る相手は
他にはおらぬだろう。これが、お前たちが他の者を差し置いて“影”となるべき理由なのだ。」
ここで言葉を切ったセリエは、驚愕の表情を浮かべている子竜たちをゆっくりと見回した。
「ここには、現存する七種の竜族全ての種族が集まっている。七種の竜が力を合わせれば、できぬこと
などこの世にあるまい?」
「しっ・・・しかし! それならば、武力や術力に優れた七種族の方々を集めれば良いでは
ありませんか! 敢えてまだ海のものとも山のものともつかぬ我々を選ぶ必要が、どこに
・・・!!」
「キレイよ・・・分からぬか? 生まれたときより七種族が一緒に育つなど、“竜王の竜術士”である私の
許をおいて他のどこにあり得るというのだ。」
「そ・・・それは・・・」
言葉を失ったキレイが項垂れる。部屋の入り口の方にちらりと目をやったセリエは、表情を
引き締めた。
「私の想いは、先程スイランが口にした通りだ。実際のところ、私は今でもこの宮廷のほとんどの
相手を信用してはおらぬ。僅かに、始祖の育てた七人の子竜たち・・・そして竜王とその息子、
内大臣や侍医長といった面々には、ある程度本心をさらけ出しているという程度だ。」
「姐上・・・。」
「分かるだろう? 私にとっても、本当に信頼に足る相手というのは、幼少より苦楽を共にしてきた
お前たちだけなのだ。こうして私の本心を打ち明け、できればその跡目を継いで欲しいと願うのも、
お前たちであればこそなのだ。」
ここで、セリエは項垂れたままのキレイに向き直った。そして、労りの籠もった目つきで相手をじっと
見つめた。
「しかし・・・この役目は、進んで背負うものではないのも確かだろう。・・・キレイよ。お前の、平和を愛し
争いを避けようとする性格は、私も良く知っているつもりだ。それは平時には美徳だが・・・時として
躊躇なく人を殺めねばならぬ“影”には向かぬのかも知れぬ。お前が嫌だと言うのならば、私も
無理にとは言わぬ。」
「いえ、私は何も、そのようなつもりでは・・・」
「キレイ以外の者でも構わぬ。不服なものは今、この場で申し出るがよい。・・・これは、命じるには
忍びないことだ。」