夢破れて    2   

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洞穴から出た青年に、再び猛吹雪が吹き付ける。その様子にたちまち不機嫌そうな表情を浮かべた
青年の髪が、透き通るような水色へと変わり・・・次の瞬間、その姿はふわりと宙に浮き上がった。
崖の上にも、新雪が分厚く積もっている。その上に降り立った青年は、ゆっくりと北へ向かって歩いて
いった。

(!)

不意に、視界が開ける。
顔を上げた青年の目に飛び込んできたのは、澄み切った青空と、輝く雪原に散らばる色とりどりの
旗印だった。やはりこの吹雪は“結界”だったのだ。

(へえ・・・こりゃ面白え)

ざっと見渡した限りでも、雪原上で入り乱れている人数は、数百人は下らないことが見て取れた。
どうやら、何かの“演習”の最中らしい。
にやりと笑い、その場に座り込んだ青年に、背後から落ち着いた声がかけられる。

「どういう風の吹き回しだ? こんなところに客とはな・・・珍しいではないか。」
「やっぱりあんたか、北海寒気団団長のシラカバさんよ。相変わらず冬軍じゃ、調練好きで通ってる
のか?」
「その通りだ。軍の基本は厳しい調練と、そう教えてくれたのはそなたではないか。“氷の魔術師”、
ヒイラギよ。」
「こりゃまた、懐かしい名前が出てきたな。」

シラカバの言葉に、ヒイラギと呼ばれた青年は照れ臭そうに頭を掻いた。
「氷の魔術師」。それは、奇想天外な策を次々に成功させ、僅か数年で春軍の最精鋭である北軍を、
活動停止にまで追い込んだ天才軍師の異名だった。

「しっかしよ、一応今だって戦の最中だろが。こんなに兵を遊ばせといていいのか?」
「何、前線は遥か南にある。どちらにせよ、こ奴らは新兵でな。そのまま前線に放り込む訳には
行かん。」
「ふーん。そりゃそれでいいけど・・・とりあえず、示威もいい加減にしろよ。これだけ寒くなりゃ、もう
充分だろ? あんま厳しい冬になるとな、他の生き物も辛いんだぜ。季軍以外の精霊にも、無用な
反感を買っちまうってもんだ。」
「ふ・・・。そなたも、相変わらずだな。その歯に衣着せぬ言い様、とても冬軍出身者とは思えん。」
「俺は、思ったことをそのまま言ってるだけだぜ?」
「羨ましいものよ。」

小さく肩を竦めるヒイラギ。微笑んだシラカバが、ヒイラギとその背後に広がる雪原を等分に見ながら
言った。

「ここで会ったのも、何かの縁ではないか。・・・そなたの目で見た、忌憚のない意見を聞かせて
貰いたい。」
「意見? どいつが優秀かってことか?」
「そうだ。将来有望な者はおるかな?」

雪原に目を戻したヒイラギは、束の間考える仕草をした。やがて彼が指さしたのは、雪原の丁度中央
付近だった。

「そうだなぁ・・・。順当なのは、あの青旗だろうな。攻守ともに隙がねえし、判断も冷静だ。もし後継者を
選ぶなら、俺ならあいつをお勧めするぜ。」
「ふむ。あれはヒノキと申してな、実は私も目をかけている。」
「なんだ。ハナから目星はついてたんじゃねえか。相変わらず人が悪いのな。」
「まあ、そう申すな。・・・他の者はどうだ。」
「気になったのは、あれだな。ほら、青旗の隣に、紫の旗があるよな。ありゃなんか訳ありなのか?」
「訳あり・・・とは?」
「無理に青旗に合わせて動いてるように見える。何をしていいのか分からないから、とりあえず
くっついてる・・・って感じはしねえから、妙だと思ってさ。師弟の類か?」
「・・・・・・。」
「まあ、俺にとっちゃどうでもいいことなんだけどさ。ただな、たとえ調練であっても、それに私情を
さしはさむような奴は指揮官失格だからなぁ。部隊が乱れねえから、指揮の腕は確かなんだろう
けどさ・・・だから、他の奴らと離して使えば、いい結果が出ると思うぜ。」
「ふむ・・・なるほどな。」
「あとはまあ、どんぐりの背比べってトコだな。拠点の守備くらいならできそうな奴は何人かいるけど、
前線指揮は厳しいんじゃねえかな。」

ここまで言ったヒイラギは、不意ににやりとするとシラカバの方を振り向いた。

「なあ、シラカバ。あんたの“お気に”を当ててやろうか?」
「ほう? 誰かな。」
「あれだよ。あの、赤い旗。」

雪原の西方、シラカバが目を向けたその先では、折りしも件の赤い旗の部隊が、睨み合っていた
相手二部隊に向かって突っ込んだところだった。団子状に入り乱れる様子を眺めながら、ヒイラギが
小さく溜め息をつく。

「まあ、指揮はなってねえよな。・・・見ろよあれ。自分が先頭で突撃するなんて、一兵卒ならまだしも、
前線指揮官としちゃカンペキに落第だろ。それも相手は二倍もいるトコにだぜ? あっさり討ち死に
して、はいさようなら、だ。けどさ、何て言うかな・・・あいつには、他の奴にはない“輝き”があるような
気がするんだ。」
「輝き・・・か。」
「ああ。あんたも知ってるだろ、指揮官にはそういうもんが必要だってこと。長い時間はかかるかも
知れねえけど、じっくり育てりゃ・・・もしかすると、寒気団の団長が務まるタマかもしれねえぜ?」
「ほう・・・これは、あ奴も高く買われたものだ。」

頷きながら聞いていたシラカバが、ここで相好を崩した。傍らのヒイラギに向かって、小さく頭を下げる
仕草をする。

「相変わらず、見事な眼力よ。僅かの間に、私の部下の資質をそこまで見極めるとはな。感服
致したぞ。」
「へっ。褒めても、何も出ねえぜ?」
「いや、私は真面目に申しておる。・・・どうだ、ヒイラギよ。今からでも遅くない。冬軍に戻る気は
無いか?」
「おいおい、本気で言ってるのかよ。俺は、脱走同然で軍から脱けた、言わば“前科者”なんだぜ?」
「無論、全て承知の上よ。」

真面目な顔に戻ったシラカバが、ここで改めてヒイラギの方に向き直った。

「現金な話だが、そなたに去られて改めて、その軍略の非凡さが身に沁みた。是非、これからも私の
許に留まり、色々と指南をしてくれんか。・・・何、軍が窮屈であるというのなら、非公式な私の軍師役と
いうことでも良いのだが。」
「・・・その答えは、十年前に言ったはずだぜ。」
「しかしな。そなたの軍略を、みすみす野に埋もれさせてしまうのは、余りに―――――」
「悪いな。あの時、俺は決めたのさ。季軍の“現実”を知っちまったあの時に・・・さ。」
「・・・・・・。」

ある日、ふと虚しくなってしまったのだ。
自らが冬軍の一員だった五年の間に、数え切れない程の勝利を収めてきた。自分の立てた策に嵌って
消えていった他季軍の精霊は、春軍を中心に優に二千を越えるはずだった。
しかし、それで何が変わったというのか。それだけの戦果を挙げてなお、変わらず季節は巡り、春に
なれば冬軍はそれぞれの都に撤退を余儀なくされる。支配地が増えたわけでも、支配時期が長く
なったわけでもない。残されたのは、多くの同胞の犠牲と、消えていった精霊たちの“恨み”だけ
だった。
一体自分は、この五年間に何を為し得たのか。これでは、他季軍の精霊を虐殺するためだけに、
冬軍に入ったようなものではないか。
このことに気付いてしまった十年前のある日、ヒイラギは突然に冬軍からの退役を申し出たのだった。
極めて有能な、それも働き盛りの軍師の唐突な退役希望に、冬軍首脳による会議は紛糾した。
しかし、どういう風の吹き回しか結局その望みは叶えられ、稀代の名軍師は飄然と姿を消したの
だった。

「そうか・・・。・・・惜しいな。」
「へへっ。・・・そう言ってくれるのは、あんただけだよ。」
「もう、会うこともあるまいな。・・・さらばだ、ヒイラギよ。」
「ああ。あばよ。」

立ち上がったヒイラギは、小さく手を挙げるとシラカバに背を向け、吹雪の中へと戻っていった。
雪原に点々と残された足跡。それは、激しい吹雪によって瞬く間に覆い隠されていった。


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