夢破れて      3 

 −3−

「・・・・・・。」

洞穴に戻ってきたヒイラギは、黙って愛馬の隣に腰を下ろすと、揺らめく蝋燭の炎をぼんやりと
眺めていた。
どれくらい、そのままでいただろうか。

『なぜですか。』
「誰だッ!?」

不意に、静かな声がした。
弾かれたように顔を上げたヒイラギは、油断なく辺りを見回した。しかし、声の主らしき人影は
見えない。

(空耳、だったのか・・・?)

ヒイラギが小さく首を傾げたとき、また同じ声がした。

『なぜ、戻ってきたのですか。』
「なっ・・・お前!? お前がしゃべってるのか!?」

声の主は、ヒイラギの愛馬だった。そのことに気付き、落ち着きを取り戻したヒイラギに向かって、
相手が再び問いかけた。

『質問に答えてください。あなたは、昔の仲間に会ったのでしょう。仲間に戻るよう、誘われたはずです。
それなのになぜ、ここに戻ってきたのですか。』
「お・・・おいおい、なんでお前がそんなことまで―――――」
『普段から、あなたは何かにつけて、わたしに昔語りをしてくれたではありませんか。』
「・・・なるほどな。すっかりお見通しってわけか。」

冬の都を去り、放浪の果てに辿り着いた人間の町で、たまたま手に入れたのがこの馬だった。以来
十年間、一人と一頭はいつも一緒に過ごしてきたのだった。
様々なことを、語りかけてきた。自分の過去から、抱える悩みや孤独まで。もしかして今、ヒイラギの
ことを最もよく知っているのは、この愛馬かも知れなかった。

『それで、軍に戻るのですか? 冬の精霊たちの軍に。』
「いや。確かに誘われたけど、断ってきたよ。」
『なぜですか。あなたにとっては、いい話ではないのですか?』
「もう軍は、飽きたんだよ。それに、お前がいるしな。」
『では、わたしのために、その話を断ったということですか?』
「ま、そんなとこだ。」
『そうですか・・・。』
「けどよ・・・。なんでそんなことを訊くんだ? ・・・俺と一緒に暮らすのが、イヤなのか?」
『そうではありません。』
「じゃあ、なんなんだよ。・・・なあ、せっかくこうして話ができるようになったんだ。聞かせてくれたって、
バチは当たらねえだろ?」

しばらくの間、相手は躊躇う様子だった。小さく首を傾げた弾みに、その黒い瞳が蝋燭の炎を反射して
きらりと煌いた。

『わたしは、山並みの向こう、イーグルと呼ばれる国で生まれました。軍馬を育てる牧場で生まれ、
父も母も軍馬でした。いつしかわたしも、立派な将をその背に乗せ、戦場を駆け巡りたい・・・という
夢を持つようになりました。』
「ふーん。・・・そういや、ただの馬車馬にしちゃ、妙に逞しいとは思ってたけどよ。」
『やがて、わたしの夢が叶う日がやってきました。優秀な軍馬として、売られることになったのです。
・・・しかし、わたしを手に入れた将は、臆病な人間でした。普段は虚勢を張っていましたが、戦場で
敵を前にして、あろうことか逃げ出してしまったのです。』
「あちゃー・・・。」
『敵前逃亡は、武人として最低の行為です。“最低の将の乗っていた馬”として・・・私の誇りも、同時に
踏みにじられました。夢も希望も潰え、このまま絶望の中で無為に一生を終えるのだと思っていた
ときに、あなたと出会ったのです。』
「そう・・・だったのか。」
『はい。出会ったとき、わたしもあなたと同じように感じたのです・・・あなたが、普通の人間ではなく、
もしかしたら軍人ではないのかと。まとっている雰囲気が、戦場でよく感じた、懐かしいものでした
から・・・。それで、あなたと共に生きることを受け入れたようなものです。』
「なんだよ。お互い、バレてたってことか。」

愛馬の言葉に、ヒイラギは苦笑いをした。その様子を見ていた愛馬の目が、僅かに細められる。
どうやら、笑ったらしい。

『あなたに出会ってからの十年間は、本当に楽しい日々でした。馬車や橇を引くのは、時として辛い
こともありましたが・・・とても充実した日々を送ることができました。何より、初めて他人に本当に
必要とされることができましたから。・・・月並みな言い方かもしれませんが、あなたに出会えて、
本当に幸せだったと思っているのです。』
「ああ、そうだな・・・。俺もそうだ。お前がいたから、ここまでやって来れたようなもんだよ。」
『わたしたちは、似た者同士・・・というわけですか。』
「はは、そうだな。」

小さく笑うヒイラギ。その様子を目にした愛馬が、満足そうに首を振った。ちりん・・・と小さな鈴の音。

『結局、あなたは一度もわたしに乗ろうとはしませんでしたね。今となっては叶わぬ望みですが・・・
一度でいい、あなたを乗せて戦場を駆けてみたかったと思っています。』
「へえ。・・・そんなもんかな?」
『やはりあなたは・・・軍に戻るべきです。・・・心の奥底で、あなたは軍を抜けたことを、後悔している。
怯惰からでは、なかったのでしょうが・・・わたしの最後の“主人”であるあなたには、同じ轍を踏んで
ほしくありません。・・・どうか―――――』
「おい? お前―――――」

不意に、相手の言葉が途切れる。
首を傾げたヒイラギが覗き込んだ相手の瞳は、既にその輝きを失っていた。

(・・・・・・)

しばらくの間、呆然とその場に立ち尽くしていたヒイラギは、やがてゆっくりと愛馬の瞼を閉じた。首に
かけられていた鈴を手に取り、まだ燃え続けていた蝋燭を吹き消すと洞穴の外へと出る。
崖の上には、別れたときと同じ場所で雪原に目を向けているシラカバの姿があった。その傍らに
ゆっくりと歩み寄ったヒイラギが、静かに言った。

「さっきの、話なんだけどさ・・・。まだ、間に合うかな?」
「先程の・・・。軍に、戻るという話か?」
「ああ。友達と話して、気が変わったんだけどさ・・・。」
「それは重畳。しかしだな、その友達とやらは良いのか? 冬軍に伴う訳には行かんのだろう?」
「・・・もう、いいんだ。遠い所にいっちまったからな。」
「そう、か・・・。」

ヒイラギの短い言葉に、事情を悟ったらしいシラカバが目を閉じる。ややあって、ヒイラギの方を
振り向いたシラカバの眼には、厳しい色があった。

「そなたの申し出は、大変有難い。私としても、また冬軍としても諸手を挙げて歓迎させて貰いたい。
・・・しかし、冬軍への復帰を望むのであれば、ここで一つ誓って貰わねばならぬ。」
「ああ。なんだ?」
「今後、冬軍は再び、そなたの献策に沿ってその戦術を組み立てることになろう。それによって、再び
多くの精霊の命が喪われることになる。それこそ、そなたがそれを望むと望まざるとに拘わらずだ。
・・・本当に、それに耐えられるのか?」
「・・・・・・。それについては、何とかできると思う。・・・考えてることが、あるんだ。」
「再び途中で逃げ出すことは、許されぬ。・・・本当に、良いのだな?」
「ああ。同じ轍は、踏まないさ。・・・友達にも、そう言われたしな。」
「うむ・・・良かろう。」

自分に言い聞かせるように喋っていたヒイラギが、ここで顔を上げた。その瞳に宿っていたのは、強い
決意の光。それを目にしたシラカバが、満足そうに頷いた。

「冬軍に戻るに当たって、一つ頼みがあるんだけどさ。」
「何かな。申してみよ。」
「運ばなきゃいけねえ荷物があるんだよ。こっから北の町に宛てた、食料やら手紙やらを届けなきゃ
いけねえ。これがないと、人間たちが飢え死にしちまうからな。」
「・・・それは、我々冬軍とは何の関係もないことだ。それを承知した上で、敢えて・・・と、こう申すの
だな?」
「そうさ。あんただから言うのさ、シラカバ。」
「良かろう。冬軍復帰の引き出物として、特別にそなたの望みを容れることにしよう。・・・使い番!
演習を終了し、各寒波隊の隊長にはここに集合するよう伝えよ!」
『ははっ!』

シラカバの号令一下、雪原へと多くの使い番が飛び出していく。やがて、集まってきた“幹部候補生”
達を前に、シラカバは声を張り上げた。

「皆の者、ご苦労だった。そなたらの資質、しかと見せて貰った。今後の配属については、追って沙汰を
する。・・・本日の演習の締め括りとして、物資の運搬の調練を行う。各自、このヒイラギの指示に従い、
速やかに目的地に物資を届けよ。」
「ヒイラギ殿・・・? もしや、かつて“氷の魔術師”と―――――」
「いや。その名前はもう、捨てたんだ。」

驚いた顔になった周囲に、ヒイラギは照れたように言った。そのまま、深く頭を下げる。

「知っての通り、俺は出戻りだ。一兵卒のつもりで、やり直したいと思ってる。どうか、よろしく頼む。」
「いや・・・これは。そのように申されては―――――」
「いいんだよ。これは俺なりの、ケジメってとこかな・・・。」
「無論のことだ。再び配下となったからには、私も容赦はせぬ。皆も、過ぎた遠慮は無用と心得よ。」
『ははっ!』
「おう。望むところさ。」

シラカバの言葉に、畏まる一同。顔を上げたヒイラギは、晴ればれとした表情を浮かべていた。その
左手には、生涯唯一の親友の形見とでも言うべき鈴が、しっかりと握られていたのだった。


はしがき

「今回の一曲」として『Jingle Bell』をアレンジしている最中に、ふと思い付いたネタです(タイトルが
“Bells”と複数形になってないのは、ヒイラギが手にしていた鈴を指していたからだったのでした)。
冬軍に復帰した後のヒイラギは、その抜群の軍略を今度は“敵味方の犠牲を減らした上での勝利”を
得ることに生かし、肌身離さず身に付けている鈴の音から「鈴のヒイラギ」と呼ばれるようになります
(こちらの元ネタはもちろん三国志です(大笑))。

作中に登場した“幹部候補生”である寒波隊の隊長たち。青旗は後に北海寒気団の団長となるヒノキ
でしたが、名前の出ていない紫と赤ももちろん冬軍エピソードではかなりの“有名人”です(この3人は
同期で、共に北海に配属となっていたわけです)。それが誰で、その後どんな歴史を辿ることになる
のかは、他のサイドストーリーに譲ります。

BGM:『Jingle Bell』(渡辺稔)