本日開店  1     

本日開店


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「はい、到着!」

久しぶりのダイルートだった。
昼下がりの裏通り。人気のない路地の石畳の上に降り立ったアグリナは、ヴァータとの同化を解くと周囲を懐かしそうに見回した。

「アグリナ。ここはどこなの?」
「ここは、ナーガのオノトア島。南北両大陸の間にある島国の、北西の端に当たる島よ。」
「ふーん。・・・おいら、ここに来るのは初めてのはずなんだけど、なんだか落ち着く気がするんだ。変かな?」
「そりゃそうよ。何たってここは、昔から火に縁のある土地なんだから。今でも金属加工、特に武器の生産が盛んな島として、世界中に知られているんだし。」

アグリナの言葉を裏付けるように、周囲一帯は金属を鍛える槌音や、石炭の燃える匂いに満ちていた。目を細め、それを胸一杯に吸い込んだアグリナが、両手を頭の後ろで組んだ。

「さてと・・・これからどうしようかな。」
「あれ、アグリナ。ここに来たってことは、知り合いがいるとか、何か心当たりがあるんじゃないの?」
「まさか。コーセルテルに三十五年も暮らしてたあたしが、外界に知り合いなんているわけないでしょ。ここに来たのは、鍛冶の腕を揮える場所がある可能性が高いと思ったからよ。」
「アグリナ・・・。つまり、行き当たりばったり、ってやつなんだね?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そういうことになるわね。・・・ま、いいじゃない。時間はたっぷりあるんだし。とりあえず、腹ごしらえしてから考えよっか。」
「うん、わかったよ・・・。」

けろりとした顔で言い放つアグリナに、苦笑いをしたヴァータが頷いた。
連れ立って、裏通りを歩き始める。通りの左右に目をやりながらのんびりと歩いていたアグリナが、傍らのヴァータをちらりと振り返った。

「実を言うとね、ここには一度だけ来たことがあるの。まだ、あたしが十五のときだったと思うな。母さんの行商の仕入れに、一緒にくっついてきちゃったのよね。」
「へえ。・・・アグリナも、そのお母さんみたいに、行商をするつもり?」
「さあ、どうしようかしらね。ヴァータがいてくれるから、世界を巡るのは簡単だけど・・・行商って売り手と買い手の信頼関係で成り立つ仕事だからね。仕入先も見付けないといけないし、見かけより簡単じゃないわね。」
「そうなんだ。商売のことは、おいらにはよくわからないけど・・・。」
「それに、いつまでも宿無しっていうわけにはいかないでしょ。いくらか持ち合わせはあるけど、早いうちにこれを元手に・・・あら?」
「?」

言葉の途中で、首を傾げると眉を寄せるアグリナ。その視線の先を追ったヴァータの目に、小さな工房の前で白昼堂々大声で言い争いをしている男女の姿が入った。

「・・・・・・。ひょっとして、千載一遇の機会かも知れないわね。行くわよ、ヴァータ!」
「あ、ちょっと、アグリナ!」

にやりと笑ったアグリナが、そちらへと歩を向けた。その後ろを、ヴァータが慌てて追う。
言い争っている二人は、対照的な出で立ちをしていた。
片方は大柄な男性で、太い鉢巻にマント姿。いかにも“お忍び”でこの島を訪れる、北大陸各国の軍関係者といった塩梅である。
それに対し、腰に手を当てて一歩も引かぬ態度を示しているのは、小柄な少女だった。飾り気のない服装からして、恐らくこの土地の住人なのだろう。
二人に近付くにつれ、交わされている会話が少しずつ耳に入るようになる。

「だから、何度言えばわかってもらえるんですか! この工房は、ずいぶん前に閉めたんです! 鍛冶の依頼なら、他を当たってください!」
「そうも行かない事情だから、こちらもこうして頭を下げているんだろう! ここで依頼を受けてもらえないと、俺が副団長に締められちまう! ・・・とりあえず、君のお祖父さんに会わせてくれよ。お母さんでもいい。事情は、話せば分かってもらえるはずだ。」
「だから、それが無理だって言ってるでしょ! じいちゃんは寝たきりだし、母さんも一昨年死んだんです! だから、そもそも依頼を受けてもそれを作る人がいないんですッ! これ以上しつこいようだと、人を―――――」
「ちょっと、お取り込み中のところ失礼するけど。この看板に書いてあることは、本当なの?」
「看板? ・・・はい、そうですけど。」

会話に強引に割り込んだアグリナが、工房に掲げられた看板を指差す。そこには、“工房売ります”とだけ書かれていた。

「そう。良かったら、あたしがここを買い取りたいんだけど。・・・中を見せてもらえるかしら。」
「あ、はい。それは、その、もちろん―――――」
「おい、女! 貴様、いきなり何様だ! この子とは、俺が先に話をしていたんだぞ!!」
「あのねえ。ああいうのは、“話”じゃなくて“恫喝”って言うのよ。いいこと、あんたが無事に帰れるようにしてあげようってんだから、せいぜい大人しくしてなさい。」
「何だとこのッ・・・! おい、待てッ!」
「アグリナに触るなッ!」

小さく肩を竦めるアグリナ。その肩を掴もうとした男が、間に入ったヴァータの殺気にてられてたじたじとなる。

「こっちです。入ってください。」
「じゃあ、お邪魔するわね。」
「・・・・・・。・・・―――――ッ!」

工房に入る三人。その後姿を見送りながら小さく地団太を踏んだ男は、ややあってその後を追ったのだった。


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