カフェ  1     

カフェ


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ロッタルクとレティシアの泊まっている宿から程近いところに、一軒のカフェがあった。

「おう、おはようさん。」
「おはよう。とりあえず、いつものやつな。・・・ああ、オレは水でいいから。」
「はいよ。わかってるって。」

朝食は、このカフェで摂ることにしている。
毎日ここに通ううちに、店の主人ともすっかり顔馴染みになった。二人分の朝食を注文すると、
ロッタルクとレティシアは通りに面したいつものテーブルに着いた。
やがて、一足先に湯気の立つコーヒーがテーブルに運ばれてきた。待ちかねていたようにレティシアが
それを口にする。

「うむ・・・やはり、美味いな。朝一番のコーヒーは、何物にも代えられぬ。」
「そうか? ・・・オレには、どこがいいのかさっぱり分からないけどな。」

小さく溜息をついたレティシアは、幸せそうな顔で呟いた。テーブルの向かいに腰掛けたロッタルクは、
小さく肩を竦めただけだ。
この“コーヒー”という飲み物に、真竜族であるロッタルクは馴染みがなかった。隣国エリオットでは
紅茶の代わりにこのコーヒーが普及しているらしいが、残念ながらその習慣は国外にはほとんど
伝わっていない。従って、世界中から人が集まるパルミでもコーヒーを飲むことのできる店は珍しく、
この“カフェ”を見つけたときのレティシアの喜びようは驚くほどのものであった。

「アルカード、おぬしもどうじゃ。目が覚めるぞ?」
「結構。・・・あんたみたいに、寝起きにふらふらしてるわけじゃないからな。」
「何じゃと? いつ、わらわがふらふらと・・・」
「してたじゃねえか。起き抜けにそれで部屋の壁ぶち抜いたのはどこの誰だよ。」

ロッタルクの言葉に、傍らに立てかけてある愛用のポールアクス―――――「雷帝ラガーディナ」を
ちらりと振り返ったレティシアはたちまち赤くなった。

「だ・・・大体のう、あれはおぬしがいかんのじゃぞ!? わらわの部屋に、断りもなしにいきなり入って
きたりするから・・・」
「いつまでも起きてこないから、心配になったんだよ! やましい気持ちはなかったって、何度言えば
分かるんだよ!」
「そ・・・それを決めるのは、おぬしではない! そもそもおぬしは、デリカシーと言うものがじゃな・・・!」
「何だって!? “デリカシー”が聞いて呆れるぜ! それこそ、あんたに言われる筋合いじゃ・・・」
「おいおい、痴話ゲンカは店の外でやってくれよ。朝からおアツいのは羨ましいが、他のお客もいるんだ
からな・・・頼むぜ、お二人さん?」
『・・・・・・。』

いつの間にやら傍らに立っていた店の主人が、テーブルの上に朝食を並べながら言う。最後に
ウィンクをされ、赤くなった二人は黙って朝食の皿に手を伸ばした。
しばらくして、レティシアが思い出したように口を開いた。

「前々から思っていたのじゃがな。」
「何だよ。」
「おぬしは、なぜコーヒーを飲まんのじゃ? ・・・この店に足を運びながら、コーヒーを一度たりとも
飲んでおらんのは、おぬしくらいのものじゃぞ。」
「うるさいな、別にいいだろう。食事はしてるんだから、売り上げには貢献してるだろ。」
「そういう問題ではなかろう?」

レティシアにじっと見つめられたロッタルクは、小さく肩を竦めると苦笑いを浮かべた。スクランブル
エッグをつついていた手を止めると、仕方なさそうに言う。

「・・・苦いのは、苦手なんだよ。」
「苦いからいかんのか? では、苦味の少ないものに、砂糖を多めに入れればよいではないか。」
「甘く感じるくらい入れると、今度はくどいだろう。」
「贅沢なやつじゃな。では・・・」
「あーもう放っておいてくれよ。個人の好みだろ。」

迷惑そうな顔をしたロッタルクは、顔の前で手を振ると食事を再開した。呆れた様子のレティシアは
店の入り口の方に目をやったのだが、その刹那・・・表情をすっと引き締めた。

「・・・のう、ロッタルクよ。」
「んだよ。コーヒー飲めって話はもう終わりだぞ。」
「そうではない。そのまま黙って聞け。・・・店の入り口に、植木鉢があるのを覚えておるか?」
「植木鉢?」

予期せぬレティシアの言葉に、ロッタルクはきょとんとした表情を浮かべた。

「そう言えば、あったような気もするな。それが、どうしたんだ?」
「数日前に気付いたのじゃがな。その植木鉢の前に、いつも小さな女の子が立っておるのじゃ。赤い
髪飾りを着けた、まだ幼い子じゃ。」
「ふーん。・・・でもよ、それだけなら別に変でも何でもないだろ? 近くで買い物してる親を待ってる
とか、そんなところじゃないのか。」
「わらわも、最初はそう思った。じゃがのう、その子はどうも・・・毎朝、おぬしのことを見ているよう
なのじゃ。」
「へ? オレを?」
「そうじゃ。それも、随分と思いつめた・・・悲しそうな顔をしてな。」
「ふーん。・・・今も、まだいるのか?」
「いや、今はおらぬ。目を離すと、いつの間にか姿を消してしまうのじゃ。・・・何か、心当たりは
ないか?」
「そうだなあ。・・・オレたちがここに来てからそう時間が経ってるわけじゃないしな。これと言って、
特にはないな。」
「そうか・・・。」

それ以後、二人の会話は途切れた。
朝食を済ませ、テーブルの上に代金を置いて店を出る。宿に向かってしばらく歩いたところで、
レティシアが不意に足を止めた。

「済まんが、ちと用事を思い出した。先に宿に戻っていてくれぬか?」
「用事? ・・・ふーん、まあいいけどさ。あんまり遅くなるなよ?」
「心配は要らぬ。では、後でな。」

ロッタルクがその場から立ち去るのを見届けたレティシアは、カフェへと引き返した。物影から、店の
入り口をそっと窺う。

(やはり・・・)

視線の先には、件の女の子がいた。植木鉢の縁に腰掛け、店内の様子を幸せそうに眺めている。
こうしてよくよく見てみると、相手はちょっと変わった格好をしていた。
褐色を帯びた肌に、焦茶色の髪。初めて目にした時に気付いた赤い髪飾りの他にも、白っぽい
風変わりなドレスの袖口からは、木の葉をイメージした装飾が覗いている。しかし、なぜかその色は
背後の植木鉢の木同様・・・枯れかけた黄色いものだった。
どちらにせよ、この外見はパルミでも滅多に見かけないものである。どこの民族かは分からないが、
この年齢にも拘わらずいつも一人でいるのに、カフェでの話題に上らないのは少しおかしいような
気がする。
レティシアは、女の子の背後に立つとその肩をそっと叩いた。

「ちょっと、よいかの。」
「!?」
「ああ、頼む・・・逃げんでくれ。別に、取って食おうというわけではない。」

いきなり肩を叩かれた女の子は、余程びっくりしたのかその場で飛び上がった。怯え切った目で自分の
ことを見る相手に向かって、レティシアはにっこりと笑った。

「少し、そなたと話がしたいと思ってな。構わぬかな?」
「・・・・・・。」
「そうか、かたじけない。」

じっと立ち尽くしたままだった女の子は、ここで僅かに頷いた。微笑んだレティシアは植木鉢の傍らに
しゃがむと、同じ高さになった女の子の顔をじっと見つめた。

「わらわの名は、レティシアという。毎朝、この店に朝食を食べに来ておる。」
「・・・・・・。」
「そなたは、毎朝アルカード・・・わらわの連れのことをじっと見ておるの。・・・何か、訳ありなのか?」
「・・・・・・。」
「良ければ、わらわに打ち明けてくれぬかのう。・・・そなたの悲しそうな顔を見ていると、食事も喉を
通らぬからの。」
「・・・・・・。」

二人の間を、植木鉢の木から落ちた葉がひらひらと横切った。俯いたままだった女の子は、ここで
何かを呟いた。

「・・・から。」
「ん? 何と申した?」

聞き返すレティシア。顔を上げた女の子は、レティシアに向かってこう言った。

「・・・あの人が、コーヒーを・・・きらいだから。」
「ほう。・・・それと、そなたと何か関係があるのか?」
「ここは、コーヒーのお店よ。お客さんは、みんなコーヒーが大好きで、おいしそうに飲んでくれるの。」
「そうじゃな。実はわらわも、それが目当てでここに来ておるのじゃし。」
「でも、あの人は・・・コーヒーを飲んでくれないわ。・・・それが、悲しいの。」

(なるほど・・・)

これで、合点が行った。この子は、もしかするとこの店の関係者の娘かも知れない。それならば、
コーヒー嫌いであることを隠そうともしないロッタルクの態度を見て、悲しく思うのも無理はない。
心の中で頷いたレティシアは、微笑むと女の子の髪を撫でた。

「そうじゃのう。あやつは、まだまだ子供じゃからの。」
「・・・子供?」
「そうじゃ。理由を聞いたらの、コーヒーは苦いから嫌なのじゃと・・・ほんに、味覚が子供である証拠
ではないか。」
「苦いから・・・?」
「そうじゃ。その苦さがまた良いというのに・・・まったく、困ったやつじゃ。」

肩を竦めたレティシアの様子に、女の子はここで初めて笑顔をみせた。

(そうじゃな・・・これはいい機会かも知れぬ)

「よし。わらわが何とかしようではないか。」
「え?」
「そなたの悲しそうな顔を見ているのは、わらわも辛い。こうなったからには、是が非でもあやつに
コーヒーを飲めるようになってもらわねばな。」
「本当!?」
「ああ。期待して待っておるがよい。」

立ち上がったレティシアは、相手に向かっていたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。
女の子に向かって小さく手を振ると、店を後にする。レティシアが向かったのは、宿とは反対の方向・・・
パルミの中心街の方だった。


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