日記  1     

日記


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真竜暦五〇四〇年 光竜の月十六日 曇  私はまだ、受け入れられていない。


  *


起床したらまず、剣の素振りをすることにしている。物心ついて以来のこの習慣を、変える気はなかった。

「おはようございます。朝からご熱心ですね。」
「・・・ユイシィ殿。」

ふと感じた人の気配。振り向いたキールは、認めた人影に向かって小さく頭を下げた。
地竜ユイシィ。キールの師である地竜術士ランバルスの補佐竜である。年の頃は、人間で言えば十七・八にはなっているだろうか。整った容貌に、意志の強さを示す秀でた眉。向けられる視線は、常に冷たい“敵意”を含んだものだった。しかしそれも、キールがこの家で生活するようになった経緯を考えれば、仕方のないことだった。

「朝食の支度が整いましたので、お知らせに参りました。食堂にいらしてください。」
「はい。わざわざ、ありがとうございます。」
「師匠の頼みでそうしているだけです。礼は無用です。」
「・・・・・・。」

ふいと踵を返したユイシィが、勝手口の前で立ち止まった。ちらりとキールの方に視線を向け、何気ない口調で言う。

「しかし、何のための鍛練なのですか。最早、斬る相手もいないはずなのに。」

心に突き刺さる一言だった。しばらくの間、ユイシィの消えた勝手口を見つめていたキールは、やがて俯くと手にした剣に目をやった。
毎朝の剣の鍛錬は、単に自身の体力の維持・・・そして、無心で自分を見つめる時間を取るためであって、他意はなかった。しかしそれも、戦と縁のない生活を送ってきたコーセルテルの住人たちからすれば、奇異に映るのかも知れなかった。

(・・・・・・)

確かに、この剣で斬るべき相手は現在、このコーセルテルには存在しなかった。それでもなお、剣を捨てることができない自分には、やはりコーセルテルの住人になる資格はないのではないか。・・・ここのところ、毎朝のように考えることだった。
自分たちさえ現れなければ、続いていたはずの平和。それを最悪の形で乱してしまった罪と罰は、一生背負い続けなければならないのだろう。こればかりは、自分の力ではどうにもできない。耐えるしかないのだ。


  *


「おう、おはようさん。」

身繕いを終え、食堂へと足を運ぶ。最初に声をかけてきたのは、当代の地竜術士にしてこの家の主でもあるランバルスだった。

「おはようございます。ランバルス殿、ロービィ殿、リド殿、クレット殿。」

台所にいるのか、ユイシィの姿はない。笑顔のランバルス、そしてテーブルに着いていた地竜たちに向かって、キールは挨拶をしながら頭を下げた。

「今日も、朝早くから剣の鍛練をしてたんだって? いや、若いっていいねえ。」
「恐れ入ります。・・・もしよろしければ、ランバルス殿もご一緒にいかがでしょうか。」
「そうなんだけどな。最近、朝早いのがすっかり辛くなっちまってさ。」
「ご謙遜を。まだまだ、老け込むようなお歳ではないではありませんか。」
「はっはっは。この家でそう言ってくれるのは、お前さんだけだよ。」

テーブルに着いたキールに向かって、ランバルスが快活な様子で声をかけてくる。
かつてコーセルテルの“敵”だった自分に対して、竜術士はともかく子竜や幻獣人たちの目は厳しかった。そんな自分への気遣いなのだろう。
ランバルスの声に気付いたのか、ここで台所からユイシィが顔を覗かせた。

「キールさん、いらっしゃいましたね。では、スープを運びましょうか。」
「ああ、私も手伝いを―――――」
「結構です。」

にべもない調子で断られ、驚いた顔になったキールをユイシィが正面から見据える。

「キールさんは、あくまで我が家のお客様です。どうぞ、お気遣いはご無用に。」
「しかし・・・」
「家のことは、私たちがいたします。ロービィ、いらっしゃい。」
「あ・・・はい!」

二人の遣り取りをハラハラしながら見守っていた二番竜、ロービィが慌てた様子で椅子から立つと、台所へと駆け込んでいった。傍らを通り過ぎるときに小さく会釈をされ、キールは心の中で苦笑いをした。
自分に対して敵意を隠そうともしないユイシィとランバルスの間に挟まれ、もしかして今、この家の中で一番の気苦労を抱えているのは、この気のいい二番竜かも知れなかった。
やがて、何事もなかったように朝食が始まった。キールがランバルスに向かって口を開いたのは、食事も終わりに差し掛かった頃だった。

「ランバルス殿。そろそろ、地竜術の実地を教えて頂けませんか。」
「実地? ・・・それは、実際に術を遣ってみたいってことか?」
「はい。何であれ、技を身に付ける際には、書物による勉強だけでは不充分です。実際に術を経験してこそ、技の習得の近道になると思われませんか。」
「それはまあ、確かにお前さんの言う通りなんだが・・・」

歯切れの悪い調子で言ったランバルスが、ユイシィに視線を向けた。手にしていたスプーンを置いたユイシィが、ランバルスを睨むようにして言う。

「私は協力できません。それは、この家の地竜なら皆同じはずです。」
「なあ、どうしても駄目か? キールは、俺たち竜術士の寄り合いで正式に見習いとして認めることになったんだぞ。それにな、術は遣わないと覚えられないことは、お前だってよく分かっているんだろう?」
「それとこれとは別問題です。どうしてもと仰るなら、里から他の地竜をお呼びになればよろしいでしょう。」
「・・・・・・。・・・分かりました。今しばらく、書庫での勉強を続けることに致します。」

小さく頭を下げたキールが、席を立つ。それが合図になったように、ロービィ以下の子竜たちも次々に食堂を出ていった。
二人だけが残された食堂。しばらくして、溜息をつきながら言ったのはランバルスの方だった。

「しかしな、ユイシィ。・・・お前も、本当に頑固だな。」
「師匠が呑気過ぎるんです。あの人は・・・師匠を殺そうとした人なんですよ!? そのせいで、師匠は杖なしでは歩けない体になってしまった。・・・師匠こそ、腹は立たないんですか!?」
「いいじゃないか、お蔭で俺が家に居るようになったんだぞ。嬉しくないのか?」
「師匠!!」

噛み付くような勢いで怒鳴ったユイシィが、勢いよく椅子から立ち上がった。テーブルを力任せに叩いた弾みに、上に乗っていた食器類が大きな音を立てる。

「とにかく、私はあの人を許しません! 竜を殺すために・・・私利私欲のために、私たちを狩りにこの地にやってきた人など・・・!」
「何故お前に、それが分かる。」
「!? 師匠・・・それは、一体どういう―――――」
「キールがお前に、そう言ったのか? 自分は竜の血肉が目的でここに来たとか、他人を殺すのが楽しみだとか・・・そう聞いたのか?」
「しかし・・・! それ以外に、一体何があるというのですか!? 現に、コーセルテルの歴史を紐解いても、外部からの侵入者は例外なく―――――」
「百聞は一見に如かず。この諺、お前なら知ってるよな。」

痛いところを突かれ、ユイシィはぐっと喉を鳴らした。そんなユイシィを正面から見据えながら、ランバルスは努めて冷静な様子で言葉を継いだ。

「なあユイシィ、聞いてくれ。・・・人にはそれぞれ、譲れない正義ってものがある。それがぶつかり合うときに、争いが起きるんだ。確かに俺たち、コーセルテルの住人から見れば、キールは憎むべき侵略者の一員だ。・・・けどな。キールにだって、ここに来ることになった、已むに已まれぬ理由があったのかも知れないぞ?」
「そんな・・・私は認めません! 竜殺しに、どのような正義があると師匠は仰るのですか!?」
「さあな。それは、俺にも分からん。だから、一度キールときちんと話をしてみろと言ってるんだ。」
「しかし・・・そんな―――――」
「もちろん、お前の気持ちも分かる。しかしな、このままじゃお互いに疑心暗鬼になっちまうだろう。・・・もう、あいつがここに来て半年だぞ? そろそろ、腹を割ってみるべきじゃないのか。」
「―――――ッ!」
「あっ・・・おい。ユイシィ!」

握り締めた拳をわなわなと震わせていたユイシィは、ここで不意に踵を返すと台所へと駆け込んでいった。その後ろ姿を見送っていたランバルスは、小さく溜息をついたのだった。


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