日記
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真竜暦五〇四〇年 毒竜の月二日 雨のち晴 墓は、生者のためのもの。
*
朝から降りしきっていた雨は、午後になって上がった。
「あんたも、若いのにマメだね。」
「!」
墓石を磨いていたキールは、かけられた声に振り向いた。
そこに立っていたのは、長身の女性だった。年の頃は五十前後。頭の両側にある大きな巻角が一際目を引く。それは、幻獣人の一種族であるフォルカ族特有のものだ。両手には、それぞれ小さな花束と徳利が提げられている。
「ああ。あの人は、酒が好きだったからね。」
「・・・・・・。」
向けられた視線から、キールの考えていたことが分かったのだろう。小さく徳利を持ち上げる仕草をしながら、相手が言った。
墓石の前に花と徳利を供え、黙祷を捧げる。やがて立ち上がった相手に向かって、キールは頭を下げた。
「では、私はこれで。」
「待ちな。」
「あの・・・私に何か?」
「用がなきゃ、呼んだりしないよ。・・・今日は、あんたと話がしてみたくてね。わざわざ声をかけたのさ。とりあえず、座らないかい。」
「はい。・・・では、失礼します。」
相手に促され、墓から少し離れた石段に並んで腰を下ろす。
「自己紹介がまだだったね。あたしはファルハ。そこに眠ってる・・・フォルカの前の長だった、ディークの妻さ。」
「私はキール。コーセルテル調査隊の一員でした。」
「聞いてるよ。・・・全く、何が“調査隊”なもんかね。竜を狩り、コーセルテルを蹂躙するのが目的だったんだろ?」
「・・・・・・。」
キールは、黙って頭を下げた。
確かに、言葉の通りだった。自分たちがこのコーセルテルに来て行ったことは、結果だけ見れば単なる虐殺と同じだった。
自分には、ここに来て剣を振るう真っ当な理由があった。いや・・・少なくとも、あるはずだった。だが、今それを犠牲者の遺族に向かって語ることは、ただ空しいだけだ。
「今回のことで、死んだ幻獣人は何人もいる。・・・あんた、ひょっとして他の墓にも同じことをしてるのかい?」
「はい。私に出来ることは、他に無いと考えましたもので・・・。こうして、週に一度はそれぞれの墓の手入れをさせて頂いています。」
「あたしに限って、言わせてもらうけどね。金輪際、こんなことはやめとくれ。」
「・・・やはり、ご迷惑でしょうか?」
「そういうわけじゃないんだけどね。」
苦笑いをしたファルハが、雨上がりの青空を見上げた。浮かんだ千切れ雲が、かなりの速さで流れていく。
「あたしもね。初めは、人並みにあんたらのことを恨んだもんさ。まあ、実際あんたらがここに来なければ、あの人は天寿を全うできたんだろうからね。夫が死んで、最初の一月のうちにあんたに会ってたら・・・そうさね。多分、顔を見るなりあんたに掴みかかってたと思うね。」
「・・・・・・。」
「でもね・・・。怒りってのは、長続きしないもんなんだね。二月経ち、三月経つうちに・・・あれほど自分の中で荒れ狂っていたはずの怒りが、いつの間にか消えちまったことに気付いてね。・・・残ったのは、諦めと悲しみさね。」
「・・・・・・。」
「あの人は、もう歳だった。・・・それに、一族の子供たちを庇っての結果だからね。きっとあの人も、自分のしたことに満足してると、そう思えるようになってね。・・・ま、族長を継いだ息子は色々と言ってるけどね。あの人を斬ったのは、あんたじゃなかった。それだけで、あたしには充分なのさ。」
フォルカ族の族長を斬ったのは、調査隊の護衛を請け負っていた傭兵部隊の隊長だった。野営地探しの途中で、森の中で遭遇した幻獣人の子供たち。そして、それを庇う形で出てきた族長が斬られることで、子供たちは無事に逃げのびることができた。
確かに、“自分たちの存在を、他の住民に知られないようにする”という大義名分はあった。だが、剣を手に無抵抗の相手を追い回す隊長や他の隊員たちの表情は、斉しく残忍な殺人者のそれだった。そうだ。あの瞬間から、自分はこの任務について、疑問を持つようになったのだ。
しばらくの間黙り込んでいたファルハが、やがて何気ない様子で言った。
「ねえ、キールと言ったかい。・・・あんた、墓は何のためにあると思う?」
「そうですね・・・。死者を弔い、その生前の様子に想いを馳せる為にあるのではないでしょうか?」
「そうだよね。つまり、遺された者にとっては、墓は死者を思い出すための大切な“縁”ってわけだ。・・・ところが、その周りにいつまで経っても“仇”であるあんたがうろついてたらどうなる? 残された家族にとっちゃ、あんたの姿を見るたびに忌まわしい出来事を思い出す羽目になるわけだ。違うかい?」
「それは・・・」
「あたしだったら、そんなのは御免こうむりたいね。大切な墓を、あんたに穢されたって考える人も出るかも知れないね。」
「・・・・・・。」
俯くキール。その横顔を覗き込んだファルハは、柔和な表情を浮かべていた。しかし、その眼には強い意志の光がある。
「それにね。死者は、あくまで死者でしかない。何をしようと、蘇ることはないんだからさ。・・・もし、あんたが祈ることであの人が帰ってくるってんなら、寝る間も惜しんで祈れとあたしは言うだろうさ。でも、そんなことをしても何の意味もないだろ? だったら、墓の手入れよりも他に、やることがあるんじゃないのかね。」
「他に・・・ですか?」
「これは、あくまであたしの考えさ。他の人たちが同じように思っているかは分からないけどね・・・やっぱり、遺された家族のことを考えた方がいいんじゃないのかね。働き手を失った家、最愛の伴侶を失った家。事情は色々だけど、あんたができることは他にあるんじゃないのかね。」
「しかし・・・。仇の仲間である、私などが顔を見せてもよろしいのでしょうか?」
「いいじゃないか。断られても断られても、また出かけて行ったらいい。水をかけられたり、時には殴られたりするかもしれないけど・・・それくらいのこと、あんたは覚悟の上なんだろう? それが、本当の誠意ってもんだと、あたしは思うね。」
「・・・はい。」
「相手だってそうさ。今は怒ったり泣いたりしてても、いずれ時がその傷は癒してくれる。そのとき、あんたが力になってやればいいじゃないか。」
「・・・・・・。」
確かに、ファルハの言葉には一理あった。しかし、本当にそのように割り切れるものなのか。現に、謝罪のために訪れた遺族の中には、再度の訪問を堅く拒まれた相手もいるのだ。その場合、無理強いは相手に新たな傷を負わせることになってしまわないのか。
視線を落とし、地面をじっと見つめるキール。その様子を眺めていたファルハが、小さく肩を竦めた。
「ま、色々と考えたところで・・・あんたも相手も、所詮は自分が思うようにしかできないってことかね。・・・あたしの話は、参考にしてくれればそれでいいよ。これで、言いたいことは言ったからね。」
「はい。お言葉は、心に刻みます。」
「全くね・・・。あんたのそのくそ真面目なところだけは、直した方がいいんじゃないかね。それじゃあ、気楽に話もできやしない。」
「・・・・・・。」
「じゃ、あたしはこれで帰ることにするよ。・・・ああ、あたしの家は村の北の外れにあるから。大きな家だからね、すぐに分かるだろうよ。」
「は・・・?」
立ち上がり、歩き始めたファルハがちらりとキールを振り向いた。訝し気に訊き返したキールを見る眼には、いたずらっぽい光がある。
「は、じゃないよ。さっき言ったろう? もう、墓の手入れをする必要はないって。そんな暇があるんなら、あたしの家にきて話し相手にでもなっとくれ。茶ぐらいは出すよ。」
「は・・・はあ。あの・・・ありがとうございます。」
「分かったね。・・・じゃ。」
片手を小さく挙げ、再び歩き始めるファルハ。去っていくその後姿に向かって、キールは深く頭を下げたのだった。