約束〜ユーニスの場合〜  1     

約束
〜ユーニスの場合〜


 −1−

ひんやりとした晩秋の空気に包まれながら、グレーシスはロアノークの宮殿の廊下を歩いていた。
目指すのは、二階にある“竜王の竜術士”ユーニスの居室。その入り口の扉の前に立った
グレーシスは、静かに扉を叩いた。

「ユーニス様。」

微かに、庭園からの虫の声が聞こえてくる。それに耳を澄ましながら、グレーシスはしばらくの間
その場に佇んでいた。しかし、部屋の中からは何の返答も返ってこない。

(もう、お休みになられたのでしょうか・・・?)

小さく首を傾げたグレーシスは、扉に手をかけた。意外にも鍵はかかっておらず、静かに扉を開いた
グレーシスは、そのまま部屋の中へと足を踏み入れた。

「失礼します・・・。」

竜王の竜術士ユーニスが、突然術士を辞めると言い出したのは今週の初めのことだった。
突然の引退宣言に、宮廷は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。あまりにも急な話だったと
いうのもあるが、何よりユーニスの真意が誰にも分からないのである。
この南大陸を訪れてからこの方、怪我と病気の双方と全く縁のなかったユーニス。いかに高齢だとは
言え本人は至って健康な様子であり、術士を引退する理由がどこを探しても見当たらない。これでは、
誰もが納得できなくて当然である。
中でも、特におさまらなかったのが、当代の風竜王でありまた彼女の夫でもあるヒュー、彼との間に
できた息子のアステル、そして・・・ユーニス自身が育て上げた七人の子竜たちだった。
夫、息子、そして自分の預かった子竜たち・・・十名だけで行われた「家族会議」は、延々半日に
及んだ。
そこで何が話し合われたのか、当事者以外には知る由もない。ただ一つ確かだったのは、ユーニスの
“家族”たちが、その後表立ってユーニスの引退に異を唱えることはなくなったということだった。
そのため、周囲の廷臣たちによる反対も次第に下火になり、結果として彼女の引退は諦めと共に
皆に受け入れられることになったのだった。

こうして自身の引退騒動が一段落した後、ユーニスが次に始めたのが身の周りの片付けだった。
ユーニスの居室の隣には、小さな書斎があった。自らの勉強のために、長年宮殿の書庫から
借り受けていた多数の本、そして数々の資料。そういったものを、元あった場所へと返し始めたので
ある。
隠居して宮殿の外へと移り住むために、居室の片付けをしている。宮廷の皆はそう思っていたし、事実
グレーシスも初めはそう考えていた。おかしいと思い始めたのは、ユーニスがそれをたった一人で・・・
地竜であるヴィスタの助けを借りることなく行っていると聞いた時だった。
不吉な予感に襲われたグレーシスは、それからの毎日というもの・・・夕食前のひととき、ユーニスの
居室を訪れるようになった。顔を合わせ、二言三言他愛のない話をして彼女の無事を確認する。
・・・そうしないと、ある日突然ユーニスがここから消えてしまいそうで、不安で仕方なかったからだ。

「・・・ユーニス様?」

ユーニスの姿を探し、グレーシスは束の間部屋の中を見回した。

(この部屋・・・こんなに、広かったでしょうか)

七人の子竜たち・・・そして、ヒューとの息子であるアステルは、この部屋で育ったといっても過言では
なかった。彼らがまだ小さい頃は、グレーシスがここを訪れるたびに大勢の子供たちのはしゃぎ声や
泣き声に出迎えられたものだった。
子供たちが長じてからは、それぞれに居室が与えられて「一緒に住む」こと自体はなくなった。
それでも、この部屋には夫であるヒューや彼女の一番の親友であるパルムなど、いつも必ず誰かが
いたものだ。
しかし、今この部屋にはその誰もがいない。いや・・・件の「家族会議」から後は、この部屋にユーニス
以外の誰かがいた覚えがなかった。綺麗に片付けられ、すっかり人気のなくなった部屋は寒々しい
気配すら漂わせていた。

(・・・あれは!)

辺りを見回していたグレーシスの目が、驚きに見開かれる。
ベッドの枕元。そこに、いつもユーニスが肌身離さず身に付けていた肩布と竜術士の正装が、きちんと
折りたたまれて置かれていたからだ。そして、その傍らにはユーニス愛用の術杖もある。・・・しかし、
肝心の持ち主の姿はない。

(まさか・・・!?)

嫌な胸騒ぎに襲われたグレーシスは、肩布と上着を手に取ると急いでユーニスの居室を飛び出した。
心当たりは、一箇所しかない。庭園へと出たグレーシスは、迷うことなく歩を進めた。
小さなせせらぎの畔、庭園の南東の一角には一本の大樹がある。果たして、木の下に佇む人影を
見付けたグレーシスは、大きな声で相手の名を呼んだ。


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