約束〜アリシアの場合〜
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「リア。おい・・・こんなところで寝るな。風邪引くぞ。」
「うー・・・ん。」
「・・・ったく、仕方ねえなあ。」
客間のベッドの傍らで眠り込んでいたリアに毛布をかけると、トレベスはその頭を撫でた。
あれから、三日が過ぎた。先代の木竜術士による治療によって、怪我人は何とか一命を取り留めた。
予断を許さなかった容体も、その後のトレベスたちの懸命な看護で何とか安定し、後は本人が
目覚めるのを待つだけの状態になっていた。
(さて、と・・・)
――――――――――コトン。
小さく伸びをしたトレベスが、立ち上がったときだ。玄関の方から、小さな物音が聞こえた。
(・・・?)
そのまま、足音を忍ばせて玄関に向かう。
ドアを開けたところには、小さな藤の籠があった。中には、南方特有の果物や野菜が山盛りになって
いる。
(やっぱり・・・今日も来たか)
三日前・・・あの怪我人を家に運び込んでから、不意に誰かに見られているような気がすることが
あった。そして、こうして毎朝玄関前に置かれる“差し入れ”の品。
少なくとも、仲間内の竜術士たちや、顔見知りの竜たちの仕業ではないことは確かだ。となれば、
残された可能性はそう多くはない。
もしかしたら、今日はその正体が判るかも知れない。一つ頷いたトレベスは、ゆっくりと客間の窓の
方へと回った。
(あれは・・・)
果たして、そこには窓からしきりと家の中を覗き込んでいる人影があった。その背後に回り込んだ
トレベスは、相手の肩に手を置いた。
「おい。」
「ひえぇっ!!??」
跳び上がった相手が、素っ頓狂な叫び声を上げる。褐色の肌に、派手な金の装飾。黄金色の髪に
琥珀色の瞳は、間違いなく夏の精霊の証である。
取り落とした槍を拾うのもそこそこに、そのまますたこらと逃げ出そうとする相手の服の裾を、
トレベスは慌てて掴んだ。
「おい・・・待てよ!」
「ごめんなさい! 覗き見する気はなかったんです!!」
「だから、それを言いにきたんじゃない! あの差し入れは、あんたの仕業かって訊きにきたんだ!」
「お・・・お願いします! 見逃してください!!」
情けない声を上げ、じたばたと暴れる相手は、既に完全に泣きべそをかいていた。季節の精霊である
はずなのに、飛ぶことすらすっかり忘れている様子である。
ともあれ、事情を訊く必要があった。呆れた顔になったトレベスは、相手の襟首を掴むとその身体を
玄関の方へと引きずっていった。
「とりあえず、こっちへ来い! じっくりと、事情を聞かせてもらうからな。」
*
「・・・それで、木竜術士である俺のところへと連れてきた、ってわけか。」
「はい・・・。僕たちの都に運んでも、手当てはできませんし。・・・それで、今年の駐留地である
コーセルテルのことを思い出したんです。」
「なるほどな。・・・じゃあ、あの差し入れはあんたか?」
「はい。少しでも、あの人に元気になってもらいたくて・・・。」
精霊の名は、テーセウスといった。今年の夏軍の駐留地にはコーセルテルが選ばれており、その縁で
彼もこの地に足を踏み入れたのだという。
「それにしても、妙だな。」
「な・・・なにがです?」
「ずばり訊くが。どうして、人間なんか助けたりしたんだ?」
「え・・・?」
首を傾げたトレベスの問いに、テーセウスは目をぱちくりさせた。
「あんたは夏の精霊で、夏軍の一員なんだろう? 今は夏、つまり夏軍は活動の真っ最中のはずだ。
・・・人間の行き倒れに関わってる暇は、ないと思うんだが。」
「それは・・・」
「大体、あいつを見付けたっていう場所だってそうだ。あんた、あいつを一体どこから運んで
きたんだ?」
「それは・・・さっき言ったじゃないですか。ずっと南の―――――」
「それが、おかしいんだよ。」
テーセウスの言葉を遮り、トレベスが小さく指を振る。
「夏軍は今年、コーセルテルに駐留しているんだろう? だったら、その一員であるあんたも、
コーセルテルの周囲で任務に当たるはずだ。違うか?」
「それは・・・その。」
「コーセルテルの周囲は、険しい山と谷に囲まれている。ここから一番近い人里がどこにあるか、
あんた知ってて言ってるんだろうな。」
「・・・・・・。」
「・・・まあいい。それは、あんたの問題だからな。今は関係のないことだ。」
黙って俯いたテーセウスの様子に、トレベスは小さく溜息をついた。改めて相手に向き直る。
「で、あんたが連れてきた怪我人のことだがな。」
「はい。助かりますよね・・・?」
「・・・・・・。あんたには悪いが、どうやら無駄骨になりそうだ。」
「え!? それは、どういう・・・」
「木竜術で、あいつにはできる限りのことをした。傷は大方治ったし、高かった熱も下がった。けどな。
もう三日になるのに、一向に目を覚まそうとしないんだ。」
「そんな・・・! あなたは木竜術士でしょう!? なんとか、ならないんですか!!」
「おいおい、無茶言うなよ。木竜術だって、万能じゃないんだ。」
必死の形相のテーセウスに詰め寄られ、トレベスは苦笑した。
「原因は・・・なにか、原因があるんでしょう!?」
「こいつは俺の推測だが・・・。恐らくあいつは今、生きる気力を失くしているんだと思う。たとえ身体が
元通りになっても・・・心が死んだままじゃ、人間は長くは生きられない。」
「そんな・・・!!」
「もちろん、その場合でも・・・あいつを救う手立ては、あるにはある。」
「教えてください! なんですかそれは!?」
「・・・生きる目標を、与えることだ。」
「生きる、目標・・・。」
「ああ。だがこれは、口で言うほど簡単じゃない。例えば、あいつとは赤の他人である俺が何を言った
ところで、あいつの心には届かないだろう。だが・・・」
ここで言葉を切ったトレベスは、テーセウスの瞳をじっと見つめた。
「・・・命の恩人であるあんたになら、心を開くかも知れん。」
「僕に・・・?」
「そうだ。」
戸惑いの表情を浮かべるテーセウス。そんな相手に向かって、トレベスは静かに言葉を継いだ。
「一つ、言っておく。・・・今の話、あまり気軽に考えてくれるなよ?」
「・・・どういうことです?」
「さっき言ったろう。あいつを救えるのは、多分あんたしかいない。だが、もし・・・あんたの説得を、
あいつが拒んだ場合。あいつは、今度こそ間違いなく死ぬことになる。そうだ・・・これは、あんたと
あいつの真剣勝負だと思え。」
「・・・・・・。」
「あんたは、一応軍人らしいな。だが、さっきの反応からすると、恐らく戦場で命の遣り取りなんぞ
したことはないんだろう。まだ新兵なのか、それとも元々兵には向いていないのか・・・どちらにしても、
あんたには正直荷が重過ぎる勝負だ。・・・それでも、やるか?」
トレベスの言葉を最後に、辺りには重苦しい沈黙が漂った。
やがて、決然とした表情を浮かべたテーセウスが顔を上げた。トレベスの瞳を正面から見据え、
はっきりと頷く。
「・・・やります。少しでも、希望があるなら。」
「よし。ついてこい。」
こちらも頷いたトレベスが、席を立つ。木竜術士家の客間は家の一階、南東の角にあった。