約束〜アリシアの場合〜      3 

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「元気になって、よかった。倒れてるあなたを見つけたときは、本当に慌てたんですよ。」
「・・・・・・。」
「急いでここに運んで・・・もうそれから、大変だったんです。ここのご主人には、不審者と思われたり
して。」
「・・・・・・。」
「あ、自己紹介がまだでしたね。僕の名前、テーセウスっていうんです。昔の英雄の名前らしいんです
けど、肝心の僕はそっちの才能はないみたいで・・・。はは、こういうのを名前負けっていうのかな。」
「どうして・・・」
「え?」

頭を掻くテーセウス。それまでずっと黙っていた相手が口を開いたのは、このときだった。

「どうして・・・私を、助けたりしたの。」
「やっと、声を聞かせてくれましたね。」
「質問に答えて。」

目を上げた相手と、視線が合う。その眼に湛えられていたのは、思わず身震いしてしまいそうな
真っ暗な絶望。顔が引き攣りそうになるのを堪え、テーセウスは必死に笑顔を浮かべた。

「生まれてからずっと・・・何の救いもない日々だった。それでも耐えて来られたのは、あの方が・・・いて
くださったから。」
「・・・・・・。」
「それなのに、どうして・・・。どうして、私があの方を・・・殺す、なんて―――――」

消え入るような口調で言った相手が、顔を両手で覆った。掌の間から、涙が零れ落ちていく。

「あのまま放っておいてくれれば、あの方の許へ・・・行くことができたのよ? ・・・それを、どうして。
どうして、こんなところへ連れてきたの?」
「・・・・・・。僕は、あなたのことが心配で―――――」
「いい加減なことを言わないで!!」

溢れる涙を拭おうともせず、相手がテーセウスをキッと睨み付けた。

「やっと、楽になることができたのに!! どうして、私の邪魔を―――――」
「嘘だ!!」
「!?」
「僕には、詳しい事情はわかりません! でも、あなたは・・・住んでいた場所から、逃げてきたん
でしょう!? 死んでもいい、楽になりたいと思っていたなら、辛く苦しい思いをして・・・逃げたりは
しなかったはずです!!」
「!!」
「死にかけているあなたを見たとき、ただ助けたい・・・心から助かってもらいたいと思いました!
その気持ちだけは、信じて欲しいんです!!」

ここが、恐らく正念場だ。大声を出したテーセウスは、怯むことなく相手の目を見返した。
時間にして、五分はそのままだっただろうか。先に目を逸らしたのは、相手の方だった。

「・・・すみません、わかったようなことを言って。」
「・・・・・・。」
「さっきの質問に、答えますね。」

微笑を浮かべたテーセウスは、ここで僅かに俯いた。

「あなたは、僕の想い人にそっくりなんです。」
「想い、人・・・?」
「はい。僕の国の姫君で・・・みんな憧れているんですが、高嶺の花過ぎてとても。」
「・・・・・・。」
「最初、道に倒れているあなたを見つけたときは・・・まさか、と思いました。とてもじゃないですけど、
見過ごすことはできなくて。」
「じゃあ、それで・・・。」
「はい。さっき、純粋にあなたを助けたいと思ったって言いましたけど・・・もしかしたら、ちょっぴり下心は
入っていたかもしれません。」

小さく笑ったテーセウスは、ここで頭を掻いた。それを見ていた相手の表情も、少し和らいだよう
だった。

「僕は、人間じゃありません。季節の精霊の一つである、夏の精霊なんです。夏軍っていう、その軍隊に
入っていました。」
「・・・いた?」
「はい。実は僕、軍から逃げ出してきたんです。これからは、みんなに見付らないようにどこか遠い
ところで、ひっそりと一人で暮らそうと思って・・・あなたと会ったのは、その途中のことでした。」

季節の精霊の中でも、特に気性の荒い夏の精霊たち。その中にあって、自分のような穏やかな性格の
者は“落ち零れ”以外の何者でもない。
それだけなら、まだいい。しかし、自分には身分不相応な立派な名が与えられていた。そのせいで、
都にいた頃も、こうして軍に入ってからも・・・必要以上に蔑まれ、嘲られてきた気がする。
・・・こんな生活は、いい加減終わりにしたかった。そのための方法は、二つある。

「さっき、名前の話をしましたよね。・・・昔から、僕は自分の名前が嫌いでした。英雄だかなんだか
知らないけど、いつもそれと比較されて。戦いだって、もともと好きじゃないんです。それなのに、
無理矢理軍に入れられて・・・嫌で嫌で、とうとう脱走しちゃったんです。」
「・・・なぜ、私にそれを・・・?」

相手の問いに、テーセウスは微笑んだ。

「あなたにだけ、立派なことを言うのは不公平ですよね。だから僕、戻ろうと思うんです・・・軍へ。」
「・・・・・・。」
「あなたと話しているうちに、なんだか自分のことが恥ずかしくなってきたんです。だから・・・」

真剣な顔になったテーセウスは、ここで相手に改めて向き直った。

「一つ、僕に約束をしてくれませんか。」
「約束・・・?」
「はい。僕は軍に戻れたら、今度こそ真面目に軍務に励もうと思うんです。どんな辛い目にあっても、
逃げずに歯を食いしばって耐えて・・・必ずやり遂げてみせます。」
「・・・・・・。」
「無事に軍役を終えて、胸を張って他人にそのことを言えるようになったら。その暁には、あなたを
迎えにきます。だから・・・ここで、待っていてくれませんか。」
「私を・・・?」
「はい。」

頷くテーセウス。その瞳には、紛れもない強い意志の輝きがあった。

「あなたを助けようと決めたとき。それは、もしかしたら僕の気紛れからだったのかもしれません。
・・・でも、今はもう違う。」
「・・・・・・。」
「自分のことを、待っていてくれる人がいる。それだけで、なぜか頑張れそうな気がするんです。」
「・・・・・・。」
「勝手なお願いであることは、よくわかっているつもりですが・・・どうでしょうか。」

しばらくの間、考える表情をしていた相手は、やがて仕方なさそうに小さく溜息をついた。しかし、その
横顔には・・・出会ってから初めてとなる微笑が浮かべられていた。

「・・・アリシア。」
「え?」
「私の、名前よ。」
「・・・きれいな、名前ですね。」
「ありがとう。」

笑顔になった相手―――――アリシアを、テーセウスは眩しそうに見つめた。アリシアが、テーセウスに
向かって手を差し出す。

「分かったわ。そうまで言われたら、無下に断れないものね。」
「じゃあ・・・!」
「自分の大事な人が死ぬのは、もうたくさん。だから―――――」
「はい! 必ず、生きて戻ります!」
「ええ。・・・待ってるわ。」


  *


「よくやった。これで、あいつは生き延びるだろう。」
「はい。これからも、あの人のことを・・・よろしくお願いします。」
「ああ、任せとけ。ここからは、俺の仕事だからな。」

客間の入り口で待っていたトレベスに、テーセウスは深々と頭を下げた。

「ところで、あんた。さっきあいつに言ってたことは、本当なのか?」
「さっき・・・?」
「ほら、軍を脱走した云々のくだりさ。」
「・・・・・・。」

トレベスにじっと見つめられ、テーセウスは黙って俯いた。

「軍において、脱走は重罪だ。軍紀を守るために、見せしめとして脱走者は普通死罪になる。」
「・・・かも、しれません。」
「分かってて、言ったのか?」
「こんな僕でも、誰かの役に立てるなら。そう思って―――――」
「それで、あいつを待たせたまま、黙って死のうってのか。守れもしない約束をするなんて、卑怯だとは
思わないのか?」
「でも・・・。あのときは、それ以外に方法は・・・」

溜息をついたトレベスが、テーセウスに向かって何かを放った。

「ったく、そんなことだろうと思ったぜ。ほれ。」
「これ、は・・・?」
「木竜術士からの、人命救助への感謝状だ。これがあれば、流石に死罪は免れるだろ。」
「それじゃあ・・・!」
「俺にも、一つ約束しろ。」

弾かれたように顔を上げたテーセウスに、真面目な顔になったトレベスが言った。

「たとえ死罪は免れても、あんたには茨の道が待ってるだろうな。でもな。落ち着いたら、必ず手紙を
よこせ。俺にじゃないぞ・・・あいつにだ。」
「アリシア・・・さんに?」
「いくらかかってもいい。あいつは、きっとお前を待ってる。だから・・・」
「・・・はい! 必ず!」
「よし。」

頷いたトレベスが、笑顔になる。それを見たテーセウスも、釣られて笑みを浮かべた。

「頑張れよ。早く戻ってこないと、俺がもらっちまうからな。」
「え!? そ・・・それは・・・ッ!」
「はっはっは、冗談だよ冗談。もう少し、そのお人よしなところ直せよ。そんなんじゃ、お偉いさんには
なれないぜ?」

並んで玄関へと歩きながら、トレベスがテーセウスの肩をどやしつける。

「では。」
「おう、しっかりな。約束、忘れるなよ。」
「はい!」

そのまま家の外に出る。トレベスに頭を下げたテーセウスは、一直線に南に向かって飛び去った。
その後姿を見送っていたトレベスは、ふっと笑うと家の中に引き返していった。


はしがき

記念すべき「漉嵌」50作目は、地竜術士アリシアがコーセルテルを訪れるきっかけの話になりました。
実は、この話を書いていた時期は小説がひどいスランプで、何を書いてもうまくいかない状態でした。
なので、「これは初心に帰らないとだめかなあ」ということで、会話文中心の組み立てに戻しました (普段に比べて会話文の分量が多くなっているのは、そういう理由です(笑))。

本編で正式に登場した夏の精霊。ネーミングの基準はよく分からないままですが(笑)、今回の名前は
とりあえずギリシャ神話から取りました(「テーセウス」はミノタウロスを退治した英雄です)。
ちなみに、軍に戻ったテーセウスは順当に活躍し、アリシアとの「文通」はその後も続きました。
・・・って、『ROUND TRIP』でラスカと勝負した冬軍の面々と顔を合わせたら、また一騒動ありそう
ですね(邪笑)。