沈黙者  1     

沈黙者


 −1−

地竜術士の家の寝室。泥のように眠り込んでいた地竜術士のアリシアは、小さな手に揺り起こされて
寝惚けた声を上げた。

「んー・・・もう朝ぁ・・・?」

ベッド脇に立っていたのは、地竜のノルテだった。現在アリシアが預かっている唯一の子竜である。
このしっかりした補佐竜に、アリシアは既に家のことは任せるようになっていた。

「・・・・・・。」

アリシアが目を開けたことを確認したノルテは、無言で寝室を出ていった。その後姿をぼんやりと
眺めていたアリシアは、口に手を当てると小さな欠伸を漏らした。
元々、朝は苦手なのだ。ここ数日の寝不足も手伝って、一向に意識がはっきりしてこない。おまけに、
今日は何だか熱っぽい。・・・こんな日は、昼までゆっくり休みたかった。

(・・・・・・)

がんがんがん。
アリシアがとろとろと再び眠りに落ちようとしたとき、耳を劈くような音が寝室に響き渡った。
寝室の入り口には、フライパンとすりこぎを手にしたノルテが立っている。アリシアがなかなか起き
出してこないことを予想して、「次なる手」を持ち出してきたのだろう。

「わかった・・・わかったわよぅ・・・」

不承不承身を起こしたアリシアは、ベッドの上に座り込む格好になった。意地を張って我慢していると、
次はベッドごと横倒しにされるからだ。そういったところは、ノルテは容赦がない。

「ねえノルテ・・・できたら、今日はもうちょっと寝かせて・・・」

アリシアの言葉を聞いていたノルテは、黙って手にしていたすりこぎで窓を指した。
日が昇って随分になるはずなのに、未だに外は薄暗かった。今コーセルテルは雨季の真っ只中で
あり、今日も外はかなりの雨量だった。
ぼんやりした目で窓の外を眺めていたアリシアは、不意にノルテの言わんとすることを察した。
この長雨のせいで、コーセルテル各所で崖崩れや地滑りといった土砂災害が頻発していた。そうした
ものの復旧、そして荒れた幻獣人たちの田畑を補修するのは、水竜術士のヴィーカと地竜術士である
自分の役目だった。今日は、そのために朝から出かける予定だったのだ。

「ノルテ、今・・・」

何時、と言おうとしたアリシアの前に、今度は時計が突き出される。針は既に九時半を回っていた。
現地の集合時間は正午だったはずだ。場所はクランガ山の北側であり、この悪天候もあってここから
歩いて二時間はかかる。・・・つまり、もう一刻の猶予もないということだ。

「いっけない!」

慌ててアリシアはベッドから立ち上がった。
枕元を振り返ると、そこにはアリシアの普段着一式がきちんと畳まれて揃えられていた。もちろん、
竜術士の象徴である肩布も添えられている。
きっと、食堂には朝食がしっかりと準備されているのだろう。当然、外へ出かける準備も既に万端
整っているに違いない。
ノルテは、とても賢い子だった。いつもアリシアの考えを読み、必要なことは先回りして片付ける。
もちろん、元来あまり丈夫でないアリシアの体調にも常に気を遣い、できる限りその負担を減らす
ようにしてくれる。今朝も結局、寝ていていいギリギリの時間までアリシアを起こさなかったのは、その
寝不足を見抜いていたからなのだろう。
そんなノルテに対して、アリシアが不満に思うことは何もなかった。そう、たった一つの点を除いて・・・。

(今朝も・・・何も言ってくれなかったな・・・)

この朝も、結局ノルテは黙ったままだった。
普段の会話だけではない。「おはよう」や「おやすみなさい」といった日々の何気ない挨拶に対してさえ、
ノルテは良くて頷くだけで返事をしたことはない。それは、出会ってから一年経った今でも変わらない
ままだった。
もう半ば諦めていることとは言え、やはりそうした態度を見せ付けられるのは辛いことだった。

(いつになったら・・・返事をしてくれるのかな・・・)

小さく溜息をついたアリシアは、窓のカーテンを閉めると着替えを始めた。


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