沈黙者      3 

 −3−

「ん・・・」

ベッドの中で小さく声を上げたアリシアは、次いで薄目を開けた。

(ここは・・・どこだろう)

目に映った寝室の天井も、かけられている布団も自分の家のものではない。しかし、そうだとすれば
一体ここはどこなのか。

(そうだ、確か・・・家に帰る途中で倒れて・・・)

徐々に記憶が戻ってくる。身を起こしたアリシアがベッドの脇に目をやると、そこには膝を折り、床に
座り込むようにしているノルテの姿があった。まだ、帰り道で着ていた雨合羽を脱いでもいない。

「ノルテ・・・?」

うつらうつらしていたノルテは、このアリシアの声にばっと顔を上げた。たちまちのうちにその両目に
涙を溢れさせたノルテは、次の瞬間・・・アリシアに抱き付くと大声でその名前を呼んだのだった。

「アリシアぁっ!!」

初めて聞くノルテの“言葉”。それに気付いたアリシアは、抱き締めたノルテをしばらくの間呆然と
見つめた。

「よかっ、た。・・・もう、目を、覚まさ、ない、の、かと・・・思った。」
「ノルテ・・・あなた・・・」
「あ! 起きた!!」
「アネゴー!」
「アリシアさんが、目をさましたよー!」

ノルテの声に気付いたのだろう。部屋の入り口に姿を見せた火竜たちが、そのままバタバタと駆け
去っていく。してみると、ここはどうやら火竜術士ダイナの家らしい。

「おー! 気がついたか。」

しばらくして部屋に入ってきたのは、ダイナの補佐をしているカランだった。右手には、水の入った
コップを持っている。

「あたし・・・どうしてここに?」
「いやー、あの時は大変だったぜ。そいつがさあ・・・物すごい形相であんたを抱えてきたんだよ。」

ノルテの方をちらりと見たカランは、にやっと笑うとベッドの縁に腰掛けた。

「よくわかんねえけど、びしょ濡れで熱もあったしよ。これ以上悪くしちゃいけねえと思って、とりあえず
トレベスに来てもらって・・・」

と、カランはアリシアが寝ていたベッドの枕元を指差した。そこには、薬らしき紙包みが置かれている。

「とりあえず、起きたら飲むようにって言われてるんだ。・・・一人で飲めるか?」
「ええ。ありがとう・・・大丈夫よ。」

手渡されたコップの水で、用意されていた薬を飲む。コップをカランに返したアリシアは、しばらく
躊躇った後・・・傍らで俯いたままのノルテに向かって話しかけた。

「ねえ、ノルテ。さっきの・・・」
「・・・っと待った。」

話し始めたアリシアに向かって、カランが口の前に指を一本立てて“静かに”という仕草をする。抜き足
差し足で部屋のドアに近付いたカランは、それを勢いよく開け放った。

「うわあああっ!」

すると、奇声と共にダイナの預かる三人の火竜たちが部屋の中に飛び込んできた。どうやら、ドアに
耳をつけて中の様子を盗み聞きしようとしていたらしい。
床の上に折り重なって倒れ込んだ火竜たちに向かって、カランが目を吊り上げる。

「コラァ! その歳でデバガメたぁいい度胸じゃねえか!! 後で覚えてろよ!!」
「キャーーー!」

悲鳴を上げて、しかしどことなく楽しそうに火竜たちが逃げていく。唖然としてその様子を眺めていた
二人に向かって、カランは小さく肩を竦めてみせた。

「ったくよ。こういうところばっかり悪賢くなりやがってよ。」
「は・・・はあ。」
「じゃ、ゆっくりな。なんかあったら呼んでくれよ。」
「ええ。ありがとう。」

ノルテに向かって片目をつぶったカランは、寝室のドアを静かに閉めると部屋を出ていった。
静かな寝室に、草木を濡らす雨音とノルテのすすり泣きの声だけが響く。しばらくして口を開いたのは、
アリシアの方だった。

「ここに、あたしを運んできてくれたのは・・・ノルテ、あなただったのね。」
「うん・・・。暗、竜、術士は、今、いない、し・・・一、番、近、かった、の、が、ここ、だった、から・・・。」
「ありがとう。おかげで、命拾いしたみたい。」
「そん、な・・・。」

ノルテらしい、的確な判断だった。うろたえて冷静な判断ができなければ、アリシアが雨晒しの屋外に
放置される時間ももっと長くなっていたはずだ。もしそうなっていれば、恐らくアリシアが寝込む期間も
この程度では済まなかっただろう。
下を向いたままだったノルテに向かって、アリシアは努めて明るく話しかけた。

「ねえノルテ。・・・今まで何も話さなかった理由は、やっぱりその・・・上手くしゃべれなかったから
なの?」
「うん・・・。」
「でも・・・あたしの名前。それは、ちゃんと呼んでくれたよね。・・・初めて呼んでもらえて、嬉しかった
な。」
「アリシアの、名前、だけ、は・・・隠れて、一、生、懸命、練、習、したの。・・・途中で、切った、ら・・・
悪い、から。」
「そうだったの・・・。」

小声で呟いていたノルテは、ここで顔を上げると何かが吹っ切れたかのように話し始めた。・・・まるで、
今までの一年間に溜め込んでいた想いを一気に解き放つかのように。

「私、昔、から、うまく、しゃべ、れ、なくて。里、で、は、いつ、も、いじめ、られ、てた。父、さん、も、母、
さん、も・・・あきれ、て、私、の、ことを、捨て、たんだ。」
「ノルテ・・・」
「そんな、私、にも・・・アリシア、は、とて、も、優し、かった。生ま、れて、初めて・・・こんな、に、優しく、
して、もらった。・・・アリシア、に、も、捨て、られる、と、思うと、怖く、て・・・本当、の、こと、は、言え、
なかった、の。ずっと、隠し、てて・・・ごめ、ん、なさい。」

上手く回らない舌で、ノルテは泣きながらも懸命に喋っていた。その様子をこちらも涙ぐみながら
見守っていたアリシアは、俯いたノルテの頭を優しく撫でた。

「ノルテ、それは違うわよ。」
「・・・え?」
「竜術士に子竜を預かってもらうっていうのは、とても名誉なことなの。それも、最初に竜術士が預かる
子は、将来は補佐竜になって・・・その竜術士が死んだ後は、住んでいた家を守るっていうとても大事な
役目もあるのよ。捨ててしまうような見込みのない子だったら、竜術士に・・・それも一番初めに預けたり
しないわよ。」
「・・・・・・。そう、なの、かな・・・?」
「そうよ。お父さんも、お母さんも・・・あなたのことを捨てたりなんかしてない。きっと将来は立派な
大人になると思っていたから、あたしに預けたのよ。」
「うん・・・」
「里のみんなだってそうよ。ノルテのことをバカにしたり、いじめた相手だって・・・ノルテが本当はとても
頭がいい、優しい子だって知らなかったのよ。」
「・・・・・・。」
「これから二人で頑張って、胸を張って里に帰れるようになろうよ。何たって・・・」

ここで、アリシアはノルテに向かってにっこりと笑いかけた。

「これからは、ノルテはお姉さんになるんだからね。」
「え・・・?」
「実はね、あたしもずっと悩んでたんだ。ノルテが口を利いてくれないのは、あたしがまだ一人前じゃ
ないからじゃないかって。・・・里からはね、次の子竜を預かって欲しいっていう手紙も何回かもらって
たんだけど、そういうわけでずっと断ってたの。」
「それ、も・・・私、の、せい、だよ、ね。・・・ごめん、な、さい。」
「いいのよ。あたしには、今ノルテがこうやってあたしと話をしてくれることが何より嬉しいんだから。」
「うん・・・。」

布団から出たアリシアは、ベッドに腰掛けるとカランを呼んだ。しばらくして部屋に姿を見せたカランが、
二人を等分に見る。

「おう、話は終わったのか?」
「ええ。それで、今から家に帰ろうと思うの。悪いんだけど・・・ダイナさんにね、モニカを呼ぶよう頼んで
くれないかな。」
「は? おいおい、もう十時過ぎてるんだぜ・・・?」
「アリシア、無理、しちゃ、だめ、だ、よ。」

目を剥いたカランは、ノルテの言葉に頷いた。

「そうだ、そいつの言うとおりだぜ。体も万全じゃねえんだし、悪いことは言わねえから、今日は
泊まってけよ。」
「それがね、そうも行かないの。今日はね、この子がコーセルテルに来てちょうど一年・・・そのお祝いを
しようと思って、ちょっと前から色々準備してたの。今日帰らないと、それが無駄になっちゃう。」
「アリシア・・・まさ、か・・・」
「そう、寝不足はそのせいだったり。今日倒れちゃったのも、元はといえばそれが原因なんだよね。」

感激した様子で両手を組み合わせたノルテに向かって、アリシアはにっこりと笑いかけた。しかし、
ノルテの背後に立っていたカランはにべもなく首を振った。

「ダメだ。トレベスからも、くれぐれも無茶はさせるなって言われてるからな。」
「そんな、カラン・・・」
「だから・・・代わりに、オレたちが一緒に祝ってやるよ。それでどうだ?」

顰め面だったカランは、ここで不意ににやりと笑った。ノルテの頭に手を置き、アリシアの顔を
覗き込む。

「大体よ、今帰るって言い出したらダイナが怖えぞ? あれだけ気合入れて料理してたんだからなぁ・・・
食べなかったら後で何言われるか。」
「そ・・・そうなの?」
「おうよ。・・・な、いいだろ? こういう祝いごとってのはよ、たくさんでやる方が楽しいじゃねえか。」
「・・・ねえノルテ、どうする? 今日は、ここに泊めてもらおっか?」

カランの言葉に、アリシアは傍らに立っていたノルテを見やった。アリシア、カランとその顔を順に見た
ノルテは、顔を輝かせると勢いよく頷いた。

「・・・うん!」
「よっしゃ、決まりだな。ダイナにそう言ってくるぜ・・・おいライノ! リッツ! ミーシャ! お前らも
手伝いがあるから、一緒に来い!」
「ガッテンだアネゴ!」
「あいあいさー!」

寝室の入り口に固まっていた火竜たちを引き連れて、カランは騒々しく階下へと降りていった。その
後姿を眺めていた二人は、やがてどちらともなく顔を見合わせると笑い合ったのだった。

「改めまして・・・これからもよろしくね。」
「こちら、こそ。よろ、しく、お願い、します・・・アリシア。」

それが、出会って初めて二人の交わした“約束”だった。


はしがき

「四重奏」に続いて、『ROUND TRIP』登場キャラクターによるサイドストーリー第2弾です。今回の
主役は地竜術士のアリシアとその補佐のノルテです。
手が早い地竜って・・・とても怖い気がするのは気のせいでしょうか(邪笑)。