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「あ、親方! お疲れ様でした。」
「ああ、まったくだ・・・ったく、やっと形になったわ。・・・おいサザク、早いところ風呂の用意をしてくれ。
今日は、酒かっ食らってとっとと寝てしまいたい。」
「はい、分かりました。で、親方・・・」
「ん? ・・・何だお前は。」
「こちらはトレントさん。ほら、昼間言った人ですよ。」
「ああ、わざわざ私に会いに来たっていう物好きか。」

何時間も待たせた相手に向かって、“何だお前”はないだろう。だけど、トレントさんはそんな親方の
態度に怒るでもなく、びっくりした様子で親方をただ眺めている。

「ふん。私が若い女で、失望したのか?」

親方が、そんなトレントさんをじろりと睨む。親方は自分が女だとか若いからという理由で馬鹿に
されるのが大嫌いだった。これは、大爆発の前触れだった。
また病院送りにされる人が出るのか・・・と僕が頭を抱えかけた時、トレントさんが不意ににっこりと
微笑んだ。

「いいえ。ただ、納得しただけですよ。」
「納得?」
「ええ。お名前からは、男とも女ともとれましたので・・・最初は男だと思っていたのは本当です。ですが、
こちらに並べられている細工物は、繊細さと同時に優美さ、そして可憐さも兼ね備えています。これは、
男にはなかなかできないものですよ。」
「ふん。おだてても何も出ないぞ。」

トレントさんの褒め言葉にも、親方は相変わらず仏頂面のまま小さく肩を竦めただけだった。でも、
僕には親方が喜んでいることがはっきりと分かった。

「まあいい。・・・で、用件は何だ。」
「はい。ああ、申し遅れましたが、私はトレント。折り入って、クリステル先生にお願いしたいものが
あって、失礼ながらここでお待ちしておりました。」
「言うだけ言ってみろ。引き受けるとは限らんがな。」

(うわ、珍しい・・・)

親方が、自分から客の注文を聞こうとすることは滅多にない。
多分、親方はトレントさんのことが気に入ったんだろう。そして、そんな客の注文を親方が断ることは
まずない。

「オルゴールを、作っていただきたいのです。」
「オルゴール? あの、機械仕掛けで音楽を奏でるヤツか?」
「そうです。作られた経験はおありですか?」
「バカにするな。もう何年この仕事をしてると思ってる。」
「これは、失礼しました。楽譜はここに・・・」
「ああ、私は楽譜は読めん。それは後でこのサザクにでも渡しておいてくれ。」

胸元から楽譜を取り出したトレントさんを、親方は押し止めるような格好をした。楽譜をショー
ウィンドウの上に置くと、トレントさんは真剣な顔で親方に向き直った。

「いえ、これは先生にもぜひ、一度聴いておいていただきたいのです。」
「は? おい、お前・・・」

親方が止めようとするのにも構わず、コートのポケットからハーモニカを取り出したトレントさんは、
それを一心に吹き始めた。
ハーモニカから流れ出す、妙なる調べ。通りの喧騒、そして雨の降りしきる音・・・そうしたものが、
僕には一瞬この場から消え失せたように感じられた。隣の親方も、どうやら同じことを感じている
らしい。口をぽかんと開けたまま、トレントさんの演奏に聴き入っている。
やがて、ハーモニカの演奏が終わった。トレントさんは、呆然としたままの親方と僕に向かって深々と
頭を下げた。

「失礼をいたしました。どうしても、このオルゴールを作っていただくに当たって、その曲をクリステル
先生ご自身に聞いていただきたかったのですよ。」
「これは・・・」

親方の声は、珍しく掠れていた。

「あんたの作った曲なのか?」
「ええ。私の想いを込めて、ね・・・。」
「そうか・・・。」

何かを考えている風だった親方は、やがて大きく頷いた。心配そうな顔で返事を待っているトレント
さんに向かって、にやりと笑いかける。

「いいだろう。引き受けてやる。」
「本当ですか!」
「三日後に、また取りに来い。それまでには、完成させておいてやる。」
「ありがとうございます!」

心からホッとした様子のトレントさんは、親方に向かってにっこりと笑った。

「引き受けていただくに当たって、二三お願いがあるのですが・・・。」
「ふん。この私に注文を付ける気か。・・・まあいい、聞いてやる。」
「ありがとうございます。一つは、この髪飾りの宝石をそのオルゴールに使っていただくということ。
そして、もう一つは・・・難しい注文なのですが、そのオルゴールが長持ちするようにして欲しいの
です。」
「長持ち・・・か。どれくらいだ?」
「長ければ、長いほど。その方法は、クリステル先生にお任せします。」

ポケットから取り出した髪飾りをショーウインドウに置くと、トレントさんは親方に頭を下げた。

「では、三日後に。楽しみにお待ちしています。」
「そうだ、言い忘れていた。代金のことなのだがな・・・」
「私が、自分で考えるのですね? お弟子さんから、そのことは伺いました。」
「ふん。余計なことを・・・」

僕をちらりと振り返った親方は、小さく舌打ちした。だけど、その横顔はどことなく嬉しそうだった。
店を出て行くトレントさんを見送っていた親方が、そのまま僕に向かって声をかける。

「サザク、今夜のことだが・・・」
「はい。親方がお風呂に入られている間に、ひとっ走り買い物に行ってきます。上がられたら、夕食に
しますね。お酒はなしで。」
「ああ。それから・・・」
「はい、炉の火も見ておきます。もらった楽譜をオルゴール用に書き直して、倉庫から材料を出して
おきます。・・・今日からはまた徹夜なんですから、夜食には親方の大好物を出しますね。もちろん、
いつでも仮眠できる準備もしておきます。」
「ふん。勝手にしろ。」

ここまですらすらと言った僕の方を振り向き、親方はにやりと笑った。
依頼を受けて、すぐに親方が作品に取り掛かることは滅多にない。それがあるのは、余程心に響く
部分があった場合だけ。あの曲に、多分親方はいたく感動したんだろう。

「さて、忙しくなるな・・・」

店の奥に向かって引っ込みながら、親方が呟く。
これは、久しぶりの大作になる。僕には、それが何となく分かったんだ。


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