箱
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三日後。初めてここに現れたのと同じ時刻に、トレントさんは店にやってきた。今日は前回と違って、
片手に小さな包みを提げている。
トレントさんの来訪を告げる僕の声に、工房からオルゴールを抱えた親方が現れる。
「ほらよ。約束通り、完成させてやったぜ。」
「これは・・・!」
オルゴールを包んでいた布を、親方が解く。そこに現れたのは、純白の煌きを放つ箱だった。表面には
親方の技の粋を集めた装飾が余すところなく施され、蓋には水の紋章が彫り込まれている。髪飾りに
使われていたアクアマリンの宝石は紋章中央に埋め込まれ、それが全体の雰囲気を見事に引き
締めていた。
しばらくの間呆然とその箱を見つめていたトレントさんは、我に返ると困ったような顔になった。
「私が依頼したのは、オルゴールだけのつもりだったのですが・・・。まさか、ここまでしていただける
とは・・・」
「固いこと言うなよ。箱は、私からのサービスだと思えばいいだろう?」
「・・・はい。ありがとうございます。」
随分気前のいい“サービス”もあったもの。感に堪えないと言った様子のトレントさんは、言葉少なに
頭を下げた。その瞳が、期待に輝く。
「あの・・・持ち帰る前に、一度聴かせていただいてもよろしいですか?」
「当然だ。」
頷いた親方が、箱の蓋を開けた。一瞬の静寂の後、店の中にあの曲が響き始める。
以前聴いたハーモニカの哀愁ある調べとはまた違うものだったけど、この金属の透明な響きも僕は
好きだった。トレントさんの想いと、親方が細工物に追い求める“透明感”が一体となった、素晴らしい
出来栄えじゃないか。
目を閉じて聴き入っていたトレントさんは、やがて幸せそうに微笑んだ。
「ああ・・・何も申し上げることはありません。やはり、先生にお願いしてよかった。」
「おっと、喜ぶのはまだ早い。これを渡すのは、あんたの持ってきた“代金”を見せてもらってからだ。
言っておくが・・・」
「はい。ご満足いただけなかった場合は、これは渡せない、ということですね?」
「その通りだ。」
腕を組んだ親方の前で、トレントさんはまずポケットから小さな皮袋を取り出した。
「まずは、通常の謝礼として・・・二十ドレークを差し上げたいと思います。これは、箱の分は含んで
おりません。それから・・・」
次にトレントさんが差し出したのは、手に提げていた包みだった。
包みの中にあったのは、小さな木箱。それを開けた親方と僕は、思わず顔を見合わせることになった。
箱に収められていたのは、白金の大きな塊だった。ざっと見ただけでも二グレス以上ある・・・市場に
出したときの価格は、下手をすれば千ドレークを超えるだろう。
「お弟子さんから、白金が貴重品だと聞きまして。今後の作品に使っていただければと思って持参
しました。」
「こ・・・これほどのものを、どこで!」
「南大陸の南部・・・アミアン地方には、白金を産出する鉱山があります。責任者に無理を言って、
もらってきてしまいました。」
「もらったって・・・あんた・・・」
さすがの親方も、これには度肝を抜かれたらしい。
「あと・・・これは私個人から。サザクさん・・・何か、甕か壺のようなものはありませんか。」
「あ、はい・・・」
「先生は、緑茶を嗜まれるそうですね。それを淹れる水に困っているとのことでしたので・・・」
台所から空の甕を一つ持ち出し、半信半疑のまま僕はトレントさんにそれを手渡した。甕を抱えた
トレントさんが目を閉じる・・・と、見る間にその中に水が満ちていった。
呆然とその様子を眺めていた僕と親方に向かって、水の入った甕を地面に置いたトレントさんは
いたずらっぽく笑った。
「先日ご馳走になった緑茶の銘柄から、それに合う水を作らせていただきました。喜んでいただけると
いいのですが・・・。」
「あんた・・・一体、何者なんだ。トレントといったが・・・」
「それは、本当は私の昔の名前です。今は、皆にはイリュアスと呼ばれていますよ。」
「イリュアス・・・。・・・まさかあんた、竜王なのか!?」
「ええ、まあ・・・。」
トレントさんは、ちょっと恥ずかしそうに目を伏せた。
「あっはっは! 気に入った!!」
そこまで呆然としていた親方は、ここで破顔した。トレントさんに歩み寄ると、その肩をバンバンと叩く。
「まさか、竜王様自らがここまで来てくれるとはな・・・感動だぜ!! よっしゃ、これからも何かあったら
言ってくれよ。あんたの頼みなら、何でも聞いてやるからな!!」
「親方! 竜王様に向かってそんな口の利き方は・・・!」
「いいんですよ、サザクさん。先生の作品は、この後何千年も残るんです。私の治世は高々二百年
・・・どちらが上かは、考えるまでもなく明らかです。」
痛そうな顔をしていたトレントさんは、慌てた僕に向かってにっこりと笑った。その傍らに立っていた
親方が、不意に真面目な顔になる。
「そのオルゴール・・・」
「はい?」
「あんたの、大事な人のためのものだろう? 多分、あの髪飾りの持ち主の・・・」
「・・・はは、バレてましたか。」
「私は女だぞ。それくらい分からなくてどうする。」
親方は、トレントさんに向かって胸を張った。
「少なくとも、千年。いい環境に置いてやれば、一万年以上・・・私が責任を持って保証しよう。」
「それは・・・素晴らしい。」
「傍に・・・置いてやれ。相手も、そうすれば喜ぶだろうさ。」
「・・・はい。」
何度も頭を下げながら帰っていくトレントさんを、僕は店の前でボーっと見送っていた。
最後に、トレントさんが見せたあの微笑み。あれは、今でも忘れられない。
いつか、僕も・・・あんな笑顔を生み出せるようなものを、作れるようになるだろうか。
拳を握り締めた僕に、背後から親方の大声がぶつけられた。
「おいサザク! 何をボーっと突っ立ってる!! さっさと茶の一つも淹れろ!」
「あっ・・ああ、はいただ今!」
「飲み終わったら、お前にも細工の手解きをしてやる。音を上げるなよ!」
「あ・・・はい!!」
いや、なってみせる。きっと、いつの日か―――――!
はしがき
「絵巻物」本編にもたびたび登場しているオルゴール誕生の顛末です。トレントの言った「この後
何千年も残る」は本当になったわけですね。