いとしのまおうさま 1       

いとしのまおうさま


 −1−

目覚めたのは、薄暗い部屋だった。

「・・・―――――」

ゆっくりと、上体を起こす。虚ろな眼で周囲を見回したコンシェンティアの耳に、遠雷の響きが微かに届いた。

(ここ、は・・・?)

自身の記憶は、あの日―――――主人である魔王カザルスに封じられた瞬間を最後に途絶えていた。ここはどこで、あれからどれくらいの時間が経っているのかなど、知る由もなかった。

「・・・・・・。」

ゆっくりと、床に降り立つ。
押し開けた扉の外には、同じ石造りの廊下が続いていた。恐らくここは、魔王城の地下の一角に違いない。そう判断したコンシェンティアは、地上を目指して歩き始めた。
城の内部は、どこも森閑と静まり返っていた。自身がカザルスの傍に控えていた頃、昼夜を問わずあれほど賑やかだった魔王城の佇まいは、既に影も形もない。

(もしかして・・・ちじょうへ、うつりすまれたのでしょうか)

そもそも、自身がカザルスに封を受けたのは、地上世界の住人との間で取り決めたという約束のためだった。・・・その封が解けたということは、魔界の念願であった地上との和合が成った、と解釈するのが最も自然だった。もしそうならば、灼熱の暗黒世界である魔界を捨て、多くの魔族が地上へと移住したとしても、何の不思議もない。

「カザルスさま。・・・どちらにいらっしゃいますか。」

ようやくのことで、見覚えのある魔王城の地上階に辿り着いたコンシェンティアは、城の主の名を呼んだ。しかし、その声に応える者の姿は皆無だった。

「カザルスさま・・・。・・・クーデリカさま・・・?」

玉座の間、魔族たちの居住区、中庭に城壁の上。くまなく巡った城内は、どこもひどく荒れ果てた様子だった。そのあまりの様子に、コンシェンティアは目を瞠った。
長い間手入れをする者もいないのか、そこかしこで崩れた城壁がそのままになっている。中庭を初め、至る所に城の住人のものと思われる武器が散らばっていたが、その刃は一様に錆び付き、その多くが砂に埋もれた状態だった。放置されてから、長い年月が経っていることは一目瞭然である。

(カザルスさま・・・。いったい、どちらに・・・)

小一時間歩き回って分かったことは、この城は既にもぬけの殻だということだった。城の中庭の中央に座り込んだコンシェンティアは、困り果てた顔でどんよりと曇った魔界の空を見上げていた。先程は遠かった雷鳴が徐々に近付きつつあり、閃光が煌く度にその横顔が照らし出される。
城が捨てられた、ということは分かった。しかし、魔王であるカザルスまでもが、あっさりと魔王城から出ていく、などということが果たしてあるのだろうか。それも、城内には眠りに就いたままの自分がいたのだ。・・・捨てられた、とは思いたくなかった。

(ティアは・・・これから、どうすれば・・・)

やがて、暗くなった空からぽつぽつと雨粒が落ち始めた。と、見る間にそれは篠突くような雨へと変わっていった。
途中から俯いていたコンシェンティアが、ここでキッと空を見上げた。その瞳には、強い意志の輝きがあった。
このままここで途方に暮れていても、何も変わらない。今自分に出来ることは、少しでもカザルスが居る可能性のある場所を探すことだけだ。それは、まさに自分の頭上、遥か彼方にあった。

(もうしわけありません・・・カザルスさま。ティアは、はじめてじぶんのいしで、へんげをときます!)

かつてカザルスに与えられた、人化を保つ魔装具である手袋と靴を脱ぐ。きちんと揃えて置いたそれに小さく頭を下げたコンシェンティアは、次の瞬間古代竜の姿に戻ると、勢いよく空へと舞い上がった。
自分が封じられることになった、そもそもの元凶・・・地上へ行けば、何か分かるかも知れない。
自分の“故郷”とでも言うべき、魔王城が見る間に遠ざかっていく。滝のような豪雨の中、コンシェンティアは魔界を揺るがす咆哮を上げた。


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