いとしのまおうさま     3   

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夢は、いつも紅色だった。
真っ赤に染まった空。魔界の夕焼けを背景に、自分の前に二つの人影が佇んでいる。その片方が、小さく頭を下げる仕草をした。

「済まぬ・・・ティアよ。」
「カザルスさま。そのように、おおせにならないでください。・・・ティアをふうじることで、ちじょうのひとびととなかよくできるのでしょう?」
「・・・・・・。」
「これは、いぜんにももうしあげたことです。カザルスさまのため、ティアはよろこんでこのみをささげます。」
「・・・・・・。そうか。」

本当は、今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。逃げて逃げて、誰にも見付からないような魔界の辺境で、ひっそりと一生を終えたかった。
“封印”は死ではなく、ただの眠りであり、それを施すカザルスの意志次第で、いつでも解くことができるものなのだという。
しかしそれは、一体いつのことなのか。地上世界との和合が成った暁には、封印は解かれるというが・・・現在の魔界と地上との関係を考えれば、和解などは不可能に近い。その場合、自分は永遠に眠り続けることになってしまう。
永遠の眠り、即ち死である。つまり、この“封印”は自分にとって、“死を賜る”以外の何物でもないということだ。
しかし、今・・・自分がこの場から逃げ出すようなことがあれば、魔王であるカザルスの立場はますます苦しくなってしまう。自分を守り育ててくれた、実の両親よりも大事な相手。そのカザルスを困らせるようなことだけは、したくなかった。 だから自分は、笑顔で頷いたのだ。

「クーデリカさま。」
「・・・何だ。」

俯いたカザルスの傍ら、話の始まる前からずっと自分に背を向けていた近衛隊長に向き直ると、コンシェンティアは深々と頭を下げた。

「おききのとおりです。ティアがいないあいだは、カザルスさまのことを・・・どうか、ティアのぶんまでおまもりください。」
「言わずもがなのことだ。・・・お前は安心して、暫しの眠りに就くが良い。」
「はい。」

愛用の大鎌にもたれた格好のまま、相手がぶっきら棒に言った。努めて何事もない様子を装ってはいたが、その語尾が僅かに震えるのをコンシェンティアは敏感に感じ取った。

(クーデリカさま・・・)

そうだ。普段人前で滅多に見せることはないが、相手が誰よりも優しい心の持ち主であることを、自分は知っている。
だからこそ、カザルスも近衛隊長という要職にクーデリカを就けたのだ。そしてまた自分も、カザルスのことを任せ・・・安心して、死ぬことができる。

「おまたせいたしました。・・・おねがいいたします、カザルスさま。」
「うむ。・・・暫しの、別れとなるな。」
「はい。ふたたびカザルスさまをこのせにのせておおぞらをかけるひを、こころまちにしております。きっと、そうとおいひではありませんよ。」
「ティア・・・。」

間に合った。最後まで、笑顔で口にすることができた。
僅かに躊躇う様子だったカザルスが、やがて右手を自分の額の前に翳した。

(さようなら、カザルスさま―――――)

掌が光ったと見えた瞬間、体中の力が抜けた。その場にくずおれる自分を、カザルスの力強い腕が抱き留めてくれた。
真っ暗になった視界。薄れゆく意識の中、二人の会話が聞こえてくる。

「魔王様! かような・・・かような無体が、罷り通って良いのですか! ・・・ティアが、一体何をしたと言うのです!?」
「言うな、クー。幾千の魔界の民の為、堪えねばならぬこともある。・・・我らは地上において新参だ。受け入れて貰うためには、ある程度の譲歩も必要だろう。」
「譲歩!? ティアも“魔界の民”の一人ではありませんか!! いかに他の民を救う為とは言え、こうして無辜の仲間が犠牲になっても良いと、本気でお考えなのですか!? ・・・今からでも遅くはありません!! 一方的に押し付けられた条約などは破棄し、我等の力を見せ付けて―――――」
「それでは、以前の魔界と何も変わらぬ! ・・・我は、その魔界を変えようと父を追った。その志を、お前は理解してくれていたと思っていたが。」
「―――――ッ!」
「聞いてくれ、クーよ。・・・我も無念なのだ。しかし、今は耐えねばならぬ。・・・いかに我らを毛嫌いしている地上人であっても、分かり合える日は必ず来る。愚直に、無条件に相手を信頼することによってのみ、その道は拓かれるはずだ。」
「しかし・・・」

ここで、なおも反駁しようとしたクーデリカが、息を呑む様子が伝わってきた。
自分も、気付いてはいた。平静な表情、冷静な口調ではあったが、強く握りしめられた魔王の拳からは、血が滴っていたことを。

「・・・・・・。承知、致しました。」

ここで、自分の意識は完全に途絶えた。そしてこれが、自分の最期の記憶・・・永久の“夢”になるはずだった。


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