いとしのまおうさま       4 

 −4−

(う・・・)

意識を取り戻したのは、暖かなベッドの中だった。
瞼を開き、ゆっくりと周囲を見回す。
木造の壁や天井に、明るい外の光の射し込むガラス窓。小さく音を立てるストーブの上の薬缶に、どこからともなく漂ってくる優しい花の香り。・・・そうしたものは皆、物心ついてからこの方を過ごしてきた魔王城にはなかったものだ。

「目が覚めたみたいだな。・・・気分はどうだ?」

身動ぎした自分に気付いたのだろう。ベッドの傍らで手元の本に目を落としていた相手が、労わるような笑顔で声をかけてくる。
声の主は、精悍な顔つきをした銀髪の青年だった。そのときになって、コンシェンティアは自分の左手が相手にそっと握られていたことに気が付いた。

「心配したよ。この寒い中、雪の中に倒れているんだもんな。」
「ゆ・・・き? たおれて・・・」
「ああ。すぐにここに運んだんだが、正直助かるかどうかは五分五分だと思っていた。多分、応急手当てが良かったんだろうな。」
「・・・・・・。」
「今、医者を呼びにやっているところだ。辛いかも知れないが、もう少し頑張ってくれ。」

いつの間に張られたのか、魔界と地上を隔てる通路―――――“死の島”に位置する火山の噴火口には、強固な対魔の結界があった。辛うじてそれを突破することに成功はしたものの、自分が負ったダメージもまた大きかった。・・・それから後の記憶は、はっきりしない。

(・・・・・・)

しばらく躊躇った後、コンシェンティアは青年に向かっておずおずと問いかけた。

「あの・・・。ここは、どこなのですか。」
「ああ、そうだったな。・・・ここは、マガ森にある当代一の魔法使い、カディエの家だ。」
「マガ・・・もり。・・・カディエ・・・?」
「そうだ。俺は、マックス。パンヤをやってるんだが、俺のキャディがカディエさんの妹でな。その縁で、この家を訪ねる途中で君を見つけたってわけだ。・・・ところで、君の名前は?」
「なま、え・・・」
「マックス。目覚めたのか?」
「おう、クーか。ああ、ついさっきな。」

相手の問いに、答えようとしたときだった。軽い足音と共に、部屋に入ってきた相手の姿に、コンシェンティアの視線は釘付けになった。

「クーデリカ・・・さま・・・」
「久しいな、ティアよ。こんなところで出会うとはな・・・我らは、よくよくの縁と見える。」

枕元に立ち、コンシェンティアに向かって笑いかけたのは、紛れもない魔王城のかつての近衛隊長、“紅の雷帝”クーデリカその人だった。
燃えるような紅い髪に、金のリボン。赤と黒を基調としたドレスに、金糸をあしらった手甲とブーツ。愛用の大鎌こそ手にしていないが、不敵そうなその眼差しも、外見にそぐわない老成した言葉遣いも・・・全て自身の記憶の中のものと全く同じだった。

(よかった・・・。・・・ほんとう、に―――――)

久方の眠りから目覚めて、初めて出逢えた“同胞”。
もう、限界だった。たちまちのうちに、視界が涙で滲んでいく。

「ほれ、そうやってすぐに泣くでない。魔王城の皆に“泣き虫ティア”と呼ばれていたことを、忘れたわけではあるまい?」
「はい・・・ですが・・・」

宥めるような相手の声にも、溢れる涙は止まらない。
感極まった様子のコンシェンティアを見つめていたマックスが、傍らのクーの方を振り向いた。

「なあ、クー。今の話だと・・・お前、この子のことを知ってるのか?」
「うむ。私自身は会ったことはないのだが、夢で見たことがあるのだ。・・・こ奴は魔王であったカザルスの忠実な僕、騎竜のコンシェンティアだ。古代竜の末裔でな、カザルスによって人化の術を施され、こんな姿をしているというわけだ。」
「竜、か・・・。・・・そう言えば、昔の聖戦のとき、闇のアズテックとやらを作ったって奴が、確かそんな名前じゃなかったか?」
「ほう、詳しいな。異界出身のお前が、パンヤ島の歴史に興味を持っているとは意外だった。」
「いや、全部ティッキーの受け売りなんだよ。・・・で、本当のところはどうなんだ?」
「無論、あれは魔族を悪し様に言うために、後の世に作られた嘘よ。・・・大体、こ奴がパンヤ島の支配を企む邪竜に見えるか?」
「まあ、確かにそうだな。・・・しかし、その魔王のお付きだったっていう竜が、どうして今頃、こうして地上に現れたんだ? 勇者が魔王を封印したってのは、もう百年以上も前の話なんだろう?」
「それは、そうなんだが・・・。うむ、どうやら何か分かったようだぞ。」

最後の言葉はマックスではなく、部屋に入ってきた相手に向けられたものだった。

「あら、目が覚めたんですね。・・・良かった。」
「あ・・・あの・・・」
「私はアリン。・・・どう、起きられそうですか? 落ち着いたら、何か口に入れないと。何か、食べたいものがあれば、言ってくださいね。」
「・・・・・・。」

遠慮がちに頷くコンシェンティア。その視線が、アリンと名乗った相手の後ろ、分厚い本を片手に部屋に入ってきた青年に向けられた刹那だった。

「カッ・・・カザルスさまッ!!」
「ちょ、ちょっと・・・! まだ傷も良くなっていないんですから、急に起き上がったりしちゃ―――――!」
「カザルスさまッ!! ティアですッ、よくぞ、ごぶじで・・・ッ!!」

血を吐くような叫び。必死に起き上がろうとするコンシェンティアを、アリンが慌てて押し留める。

(やっと・・・やっと、おあいできた・・・!!)

髪はクーデリカと同じ紅に染まり、また魔王の象徴である角こそ見えないが、そのまとっている気配は、自らの最愛の魔王のものと寸分違わない。
両手で顔を覆って泣き出したコンシェンティアの様子に、青年が戸惑った表情になる。そこへ、傍らからクーが声をかけた。

「それで? 何か、手掛かりは見付かったのか?」
「ああ。ここを見てくれ。・・・当時、地上と魔界の間で結ばれた条約の中に、“強大な戦力と為り得る霊獣を封印し、他意無き証とせよ”という条文があった。古代竜は、霊獣の一種族。それに従いカザルスに封じられ、今まで眠りに就いていたのだろう。」
「なるほど。封が解けたのは、やはり・・・?」
「恐らくはな。本人にとっては、残酷な現実だろうが―――――」
「あの・・・カザルスさま。さきほどから、いったいなにをおおせになっているのですか?」

ようやくのことで少し落ち着いた様子になったコンシェンティアが、ここで恐るおそる尋ねる。振り向いた青年が、気の毒そうな様子で首を振った。

「ティア・・・で、良いのか。お前には気の毒な話だが、言わなければなるまい。」
「はい・・・。」
「魔王カザルスは、もういない。私は、その生まれ変わりなのだ。名を、カズという。」
「そん、な・・・。」

カズの言葉に、コンシェンティアの顔からさっと血の気が引いた。

「し・・・しかし! クーデリカさまは、げんにこうして―――――」
「クーの場合は、少々事情が違う。残念だが、魔王カザルスはかの“最後の聖戦”の際、勇者との一騎討ちに敗れ、死んだのだ。・・・クー、そうだな?」
「その通りだ。最期を看取ったのが、私だった。」

クーの言葉を最後に、部屋を死んだような静けさが支配する。しばらくして、再び口を開いたのはカズだった。

「ティア。・・・これからお前は、どうするつもりだ?」
「・・・・・・。」
「今、聞いた通りだ。お前の愛した魔王は、もうこの世のどこにもいない。・・・その傷、恐らくは魔導士たちの張った結界を通り抜けた際に負ったものだろう。今、魔導士たちは血眼になって、魔界からの闖入者を探している。もし見付かれば、ただでは済まないだろう。」
「・・・・・・。」
「魔界に戻るか。あるいは、このまま地上世界で隠れ棲むことにするのか。どちらにしても、我々は留め立てはしない。何か、できることがあれば力にもなろう。」

話の途中から項垂れていたコンシェンティアが、ややあってパッと顔を上げた。その肩を抱いていたアリンを振り払うようにしてベッドから出ると、よろめきながらその場に膝をつく。体の各所に巻かれた包帯が痛々しい。

「ティアのいのちは、まおうカザルスさまのものでした。・・・あなたさまは、そのカザルスさまのうまれかわりと、ただいまうかがいました。もしもゆるされるならば、カズさま・・・あなたさまに、ティアののこされたいのちをささげたく、ここにおねがいもうしあげます。」
「・・・・・・。もし、私が断れば?」
「・・・カザルスさまのいらっしゃらないせかいなど、なんのみりょくもありません。そのばあいは、ティアのいのちをこのばでたっていただきたいとおもいます。」

真っ直ぐにカズを見据え、はっきりと言い切るコンシェンティア。しばらくの間、その澄み切った空色の瞳を見つめていたカズが、やがてふっと微笑んだ。コンシェンティアの前に屈み込みながら、傍らのクーをちらりと見上げる。

「何とも、一途なものだな。・・・なあ、クー。魔王カザルスは、それほどまでに皆に想い慕われていたのか?」
「無論だ。だからこそ、私の前世であるクーデリカも命を懸けた。・・・そしてまた、こうしてティアも命を捧げようとしているのだ。」
「そう、か。・・・これも、前世からの宿縁、ということかな。」

目を閉じ、納得したように一つ頷いたカズが、ここでコンシェンティアを抱き締めた。泣きながら自分に縋り付いた相手の頭を優しく撫でながら、ゆっくりと言う。

「お前の願い、聞き届けよう。これからは、私と共に生きてくれ。」
「カズ・・・さま・・・ッ!」
「カディエが戻ってきたら、私から事情を話そう。しばらくの間でも、ここで共に暮らすことはできないかと、頼んでみるつもりだ。・・・この姿ならともかく、古代竜の姿は目立ち過ぎる。話が広まれば、竜狩りなどという事態にもなりかねん。」

立ち上がったカズが、今までの遣り取りをじっと見守っていたマックスに向き直った。

「マックス。・・・済まないが、今日ここでのことは全て他言無用に願う。」
「もちろん、分かってるさ。民族だの、種族だのって考えがいかに無意味だったかってことは、パンヤ島に来て俺が最初に気付いたことさ。」
「・・・・・・。」
「何より、俺はその子のことが好きになったんだ。・・・今時、泣かせる話じゃないか。俺に出来ることがあったら、いつでも言ってくれ。」
「そう言ってもらえると、ありがたい。」

小さく頭を下げるカズ。これが、百年以上の時を経て、主従の絆が再び固く結び直された瞬間だった。
そしてこのことが、長らく平和な年月が続いていたパンヤ島に、再びの風雲を巻き起こす端緒になるとは、このときこの場にいる者の誰一人として気付いていなかったのである。


あとがき

前作『私の愛したドラゴン』と対になる話です。
話を考えることになった端緒は、ディープインフェルノのフィールドに登場するドラゴンに、どうして鎖がかけられているのかな・・・と疑問に思ったことでした。シャイニングサンドの“砂”の由来といい(『GENOCIDE』参照)、どうも僕はパンヤ内で目にしたものを、穿った解釈で自分の二次創作内に取り込んでしまうという悪い癖があるようです(笑)。

今回の話で、マックスが初登場しています。同じく登場しているアリンと共に、言葉遣いは公式設定からわざと変更しています(イメージ的に自分の中でしっくりこないもので(苦笑))。なお、今回クーの言葉遣いもかなり変化していますし、服装もクーデリカのものと同じという表現されていますが、こちらにはれっきとした理由があります。それはまた別の話で語りたいと思います(邪笑)。

BGM:『White The Heart』(桜庭統/STAR OCEAN THE SECOND STORYより)