六花の誓い      3   

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「―――――ッ!!」

声にならない悲鳴を上げ、クーは自分のハンモックの上に飛び起きた。
かけていたタオルケットを握り締める両手が、小さく震えている。心臓の鼓動は早鐘を打つようで、まるで部屋中に響き渡るような錯覚を覚えてしまう。しばらくの間、肩で大きく息をしていたクーは、やがて額にびっしりと浮かんだ汗を拭った。

(また・・・この夢か・・・)

どんなに熟睡していたつもりでも、夜半になると悪夢にうなされ、飛び起きる毎日。それが始まったのは、もう一月ほども前のことだっただろうか。
夢は、初めはひどく断片的なものだった。
血みどろの自分。無残に殺された仲間。そして、粉々に砕けて消えた、誰よりも大切な相手。・・・まるで心をばらばらに千切られてしまいそうな、悲痛で陰惨な光景の連続。
しかし何故、自分がこのような夢を繰り返し見るのか。その心当たりが、クーには全くなかった。・・・それ以上に、断片的だった夢が、ここのところ少しずつ鮮明になりつつある。そのことが、ひどく不気味でもあった。

(・・・・・・)

両手で顔を覆っていたクーが、ゆっくりとその手を下ろした。ぼんやりとした目で、開け放たれていた大きな窓に顔を向ける。そこには、パンヤ島の夜空を彩る二つの大きな月の姿があった。
クーとタンプーが普段暮らしているコテージは、リベラ村から程近い崖の上にあった。海に面したその景色をいたく気に入ったクーが、リベラ村村長の娘であるロロの伝手で借り受けることに成功した、付近でも人気の物件の一つである。
それ以来、二人はここを拠点に、島中で開催されるパンヤ祭の大会に出かけるようになった。慣れないベッドでは極度の睡眠不足に陥るというクーの悩みが解消されたことで、それ以降は大会の成績も安定するようになった。

(・・・・・・)

ようやく、落ち着いてきた鼓動。二度、三度と深呼吸をしたクーは、裸足でそっと寝室の床に降り立った。そして、まだ灯りの洩れている隣室へと向かう。

「おや、クー殿。・・・眠れませんのかな?」

居間では、タンプーがまだクラブセットの手入れをしていた。手を休め、自らに視線を向けた相手の横に、クーはちょこんと腰を下ろした。

「何やら、ひどく顔色が悪いご様子ですが。・・・もしや、お加減がよろしくないのでは―――――」
「いや、大丈夫だ。ちょっと、目が覚めただけ。・・・ああ、邪魔するつもりはないんだ。続けてくれ。」
「そうですか。では・・・」

小さく頷いたタンプーが、クラブセットの手入れに戻る。その手つきは、その巨躯とは裏腹に実に繊細かつ緻密だった。注がれる視線からは、クラブセットへの掛け値なしの“愛情”が垣間見える。

「疲れているのかな。・・・最近、よく眠れないことが多い。」

長い間、黙ってタンプーの傍らに座っていたクーが、不意にぽつりと言った。

「ほう。それはいけませんな。」
「夢を、よく見るんだ。・・・心の張り裂けそうな、ひどく悲しい夢だ。」
「夢、ですか。確かに、疲れていると悪夢を見ると申しますが―――――」
「そういうものとは、違う気がする。・・・なぜ、あんな夢をくり返し見るのか・・・全く心当たりはないんだが。」
「ふーむ。・・・こういうのはいかがでしょうな、クー殿。明後日のホワイトウィズの大会が終われば、今年のパンヤ祭もめでたく終了ですぞ。それを待って、ルナーテューム号の皆様の許へと里帰りをするというのは。」
「そうだな・・・。それも、いいかも知れん・・・。」

タンプーの言葉に、クーはふと遠い眼になった。
前に里帰りをしたのは、確か半年ほど前のことだった。懐かしい“生家”に戻れば、新たな気分で新年を迎えられることは確かだろう。

「・・・・・・。」

常夏のリベラ地方とあって、深夜と言っても窓の外は賑やかなものだった。打ち寄せる波の音、虫たちの大合唱に交じって、遠くからは夜間限定で使用されるパンヤコース、ブルームーンの熱気が伝わってくる。
しばらくして、再び口を開いたのはクーの方だった。

「なあ、タンプー・・・。・・・どうして、父は私を残していなくなってしまったのだろう。」
「・・・クー殿?」

怪訝そうな顔で、タンプーが振り向く。その視線の先、膝を抱えるクーの表情は今一つはっきりしない。

「私の目的は、お前と契約を交わすときに話したな。・・・ルナーテューム号からいなくなった父を捜すこと。パンヤ祭に参加するのは、あくまでそのための手段に過ぎないと。」
「はい。確かにそう伺いましたな。」
「そして、その言葉通り・・・私はお前からパンヤを学び、数々の大会に出場してきた。既に、島にある全てのコースを回ったのだ。・・・しかし、これだけ探しても、父は見付からん。噂すら聞かないということが、果たしてあるのか? これではまるで、父が意識して私から逃げ回っているのではないかと・・・そう考えたくもなる。」
「・・・・・・。」
「ここのところ、ふと思うのだ。・・・もしや、父はもう―――――」
「クー殿。」

いつもの威勢からは考えられない、弱く小さな背中。そこにそっと手を置きながら、タンプーが一言ずつ、はっきりと口にする。

「クー殿。当事者ではない私には、クー殿の抱える悩み・・・焦りや苦しみを、本当には理解できないのだとは思います。しかし、これだけははっきり言い切れます。」
「・・・?」

縋るような眼を向けたクーに向かって、ここでタンプーは重々しく頷いてみせた。

「自らの子供のことを、かわいいと思わない親はおりません。ましてや、自らの子供を好きで置き去りにする親がいるものですか。・・・クー殿のお父上が、クー殿を一人残され旅立たれたのも、きっと何か深い事情があってのことだと思います。そして今、姿を隠されているのも・・・ひょっとしたら、その已むに已まれぬ事情のせいなのかも知れないではありませんか。」
「タンプー・・・。」
「必ず、クー殿の想いが通じる日が参るはずです。その日まで、決して諦めてはいけませんぞ。・・・微力ながら、私もお手伝いさせていただきますゆえ。」
「ありがとう、タンプー。・・・そうだな。私が弱気になってはいかんな。」
「そう、その意気ですぞ!」

自らに言い聞かせるように、二度、三度と頷くクー。その傍らで、笑顔になったタンプーがその肩をぽんと叩いた。

「おやすみ。」
「おやすみなさいませ、クー殿。」

立ち上がったクーが、寝室へと向かう。その小さな後ろ姿を見送りながら、タンプーはちらりと不安そうな表情を浮かべたのだった。


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