Boarding Pass  1     

Boarding Pass


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「ちくしょう!」

だん、という音を立ててジョッキが机に叩き付けられる。
春を間近に控えたその日、竜都ロアノークの外れにある大衆酒場で、ラスカ・クローヴィスは荒れに
荒れていた。
彼は竜大の四年生だった。ちなみに、去年も一昨年も、ついでに言えばその前二年間も四年生
だった・・・つまり、四年連続の留年という偉業を成し遂げていた訳である。竜大の規則では留年は
四回までしか認められておらず、それ以上になった場合は「放校処分」になる。早い話が、ラスカは
今日大学をクビになったのだった。
しかし、彼がサボり魔や病弱、あるいは頭が悪かったのかと言えば決してそうではない。それどころか、
竜大の中でも最難関である航空学部にストレートで入学し、抜群の成績を修めて順調に進学して
きた・・・そう、四年生になるまでは。

「ぼくの・・・ぼくのっ・・・、どこがいけないってんだ!」

いくら普段飲み慣れていないとは言え、ビール一杯でここまで酔っ払えるというのはもはや才能と
言うべきだろうか。家族の中でアルコールが苦手だったのはラスカだけだった・・・父母も、そして姉も
大変な酒豪で、ラスカはいつも苦労させられて来たのだった。もっとも、今はその誰もがこの世に
いなかったが・・・。

「なぜなんだっ・・・! ぼくは、こんなに・・・空を愛しているのにっ!!」

“航空学”はその名の通り「空を飛ぶ」ことを学び、研究する分野である。古代には翼竜を使った交通
手段があったことが分かっているが、現代では空を飛ぶことはまだ実現されていない。人間だけの
手で空を飛ぶ・・・という、夢とロマンに溢れた最先端の研究に携わるためにラスカはこの大学を
目指したのだった。
しかし、現実は無残だった。彼の持つ唯一にして最大とも言える欠点のために、ラスカはどうしても
実技の試験に合格することができなかったのである。その欠点とは・・・

「あの〜・・・お客様?」
「・・・なんだ?」
「大変申し訳ないんですが、もう少しお静かに・・・」
「君にぼくの何が分かる!!」

当然である。分かる訳がない。

「ですが、他のお客様のご迷惑に・・・」
「えーい・・・うるさいっ!」
「うわっ!!」

がしゃーん。
ラスカが投げつけたジョッキが、店員の背後のガラスを粉砕する。辺りは騒然となり、こうして傷心の
ラスカ青年は見事に店の外へ放り出されたのであった。


  *


「へん・・・いいさ。・・・どうせ・・・ぼくなんて・・・」

ふらふらになりながら、ラスカは自分の下宿へ向かっていた。下宿は酒場から歩いて三十分程の
所にあったのだが、気が付けば彼はいつの間にか郊外の川の土手に立っていた。

「ふん・・・またか。」

肩を竦めたラスカは、そのまま土手に寝転んだ。見上げると満月のイルベックが美しく輝いている。
もう、急いで帰って明日に備える必要もない。課題も、研究も、授業も・・・もう明日からの自分には
関係ないのだから。ラスカは静かに目を閉じた。





それから、どのくらい経ったのだろうか。
ふと川面の方に目をやったラスカは、土手の下に一人の少年が立っているのに気が付いた。まだ
十二・三に見えるその少年は、ラスカと目が合った瞬間、凄い勢いでラスカの腕の中へと飛び込んで
きた。

「うわっ!」

少年は泣きながら何か言っている。どうやら彼に向かって何か頼んでいる様子だったが、泥酔していた
ラスカには良く聞き取れなかった・・・辛うじて「戻ってきて」や「名前を」というフレーズが分かっただけ
だった。
どうせこれから、自分の人生はお先真っ暗なのだ。自暴自棄になっていたラスカは、相手の言っている
ことをよく確かめもせず、大きな声でこう宣言した。

「ああ・・・いいとも! どこへでも行くし、何にでもなってやるぞぉー!!」

この台詞を最後に、ラスカの記憶は途絶えたのだった。


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