Boarding Pass
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ラスカは空にいた。いつも恋焦がれている空に。
大空から眺める月は、いつもより大きく見えた。
(そうか・・・これは夢なんだな)
夢の中では、いつも自分は自由だった。ラスカを縛るものは何もない。
風に乗り、雲を踏み・・・今なら月にさえ行けるような気がした。
横を見るとさっきの少年がいる。目が合うと、少年は少し照れ臭そうに
微笑んだ。連られてラスカもにっこりした。そして・・・
(う・・・)
「・・・なんで、師匠はこんなことしたんだろ。ねえ、やっぱり・・・あたしたちがいけなかったのかな。」
「さあな。それは、後でゆっくり聞かせてもらうといいさ。何はともあれここに戻ってきたんだしさ。」
「でも・・・。」
(あ・・・頭がガンガンする・・・)
「ほら、そんな顔するなよ。・・・お、気が付きそうだな。フランカ、二人を呼んでこいよ。」
「うん!!」
ぱたぱたぱた・・・という軽い足音が遠ざかる。
薄目を開けたラスカの目に最初に飛び込んできたのは、石造りの部屋の天井だった。隅の方には
所々蜘蛛の巣やカビが生えているのが見て取れた。
(掃除・・・しなくちゃな・・・)
「よ、目ぇ覚めたか?」
ラスカが妙に所帯じみたことを考えていると、ふいに横合いから声をかけられた。視線をそちらに
振り向けると、何だか時代がかったローブを着込んだ青年がラスカの目を覗き込んでいた。胸元には
木の葉をイメージしたらしきブローチが見える。

「ったく、酒好きで有名なお前さんが酔っ払って寝込むなんてな、びっくりしたぜ。まさか『今回は樽を
一つ空けました』なんて言うつもりじゃないだろうな?」
「・・・・・・。」
「ほらよ、二日酔いの薬。・・・お前さんのために作るハメになるとは考えたこともなかったがな。」
はっはっは、とその青年は屈託なく笑い、水の入ったコップと「薬」と称する紙包みをラスカに手渡した。
「でもな、何があったかは知らんけど、あいつらにはちゃんと説明してやれよ。」
「・・・説明?」
「そうだ。仮にも預かっている子竜を放って外に出かけるなんて、褒められたもんじゃないだろ?」
「あの・・・あなたは? いや、それよりもここはどこなんです?」
呆然と青年の言葉を聞いていたラスカが、思い出したように青年に問う。一瞬びっくりした表情を
浮かべたその青年は、次の瞬間にやりとした。
「そうかそうか、あくまで他人のふりってワケな? いいだろ、お手並み拝見といこうか。」
「いや、その・・・本当に・・・」
「分かった分かった。ここはコーセルテルの風竜術士の家、俺は木竜術士のトレベスだ。どうだ、まだ
聞きたいことはあるかい、お嬢さん?」
「お・・・お嬢さん!?」
ラスカが目を剥いた時、部屋の中に三人の子供たちが駆け込んできた。一番年上と見受けられる
少年には見覚えがあったが、後の二人の女の子・・・上は十歳くらいで、下はまだ五・六歳に見えた
・・・はラスカには初めて見る顔だった。きっと、さっきここで話をしていたのもこの二人のうちの
どちらかだったのだろう。
三人はラスカが寝ているベッドの縁に縋りつくと、いっせいに泣き出した。
「!?」
「師匠・・・ごめんなさい! もう、あんなことは二度としません!!」
「え・・・?」
「これからは、修行もまじめにやるし・・・あたしたちをおいて、いなくなったりしないでぇ!」
「師匠・・・おねがい・・・!」
「いや・・・あの・・・。」
意味が分からず目を白黒させるラスカ。そんなラスカの反応を不安げに見守っていた女の子の
一人が、恐る恐る質問する。

「師匠・・・まだ、怒ってるの・・・?」
「いや・・・そういうわけじゃないけど。あのさ・・・君たちは誰で、ぼくはどうして『師匠』って呼ばれて
いるのかな?」
その瞬間、室内が凍り付いた。ややあって、トレベスが厳しい顔でラスカに詰め寄る。
「おい、それはさすがに冗談としてはひどいんじゃないか? こいつらだって、ちゃんと謝ってるじゃ
ないか・・・いい加減、機嫌直せよ。」
「機嫌も何も・・・」
「・・・ったく、何が不満なんだ? 今コーセルテルで風竜を育てられるのはお前さんだけだ。新しい卵も
預かったところなんだろ?」
「風竜? ・・・卵?」
「・・・おい、まさか本当に分からないのか?」
「・・・さっきから、そう言ってるじゃないですか。大体、さっきあなたはぼくのことを『お嬢さん』と呼び
ましたけど、ぼくは女じゃありません。」
「そんな・・・。」

ラスカがそちらを向くと、いつの間にか少年は真っ青になっていた。トレベスは咳払いを一つすると、
改めてラスカにこう問いかけた。
「じゃあ・・・あんたは一体誰なんだ? モニカじゃないのか?」
「ぼくはラスカ・クローヴィス。・・・モニカというのは、ぼくの姉さんの名前です。」
*
「そうか・・・本当に別人だったんだな。」
一番竜のライモンドがコーセルテルに連れ帰ってきたのが風竜術士のモニカではなかったと分かり、
ひとしきり大騒ぎや状況の説明を済ませた後、トレベスは遠い目になると言った。
「いや、こっちこそ・・・まさか姉さんが生きていたなんて・・・。」
「でもまあ、ライがモニカと見間違ったのも仕方ないよな。まさかモニカに双子の弟がいたなんて
なぁ・・・。」
「だって・・・いきなりだったのに風竜術も普通に使ってたし・・・。」
「本当なのか? それ・・・。」
「さ、さあ・・・酔っ払ってて覚えてないんだけど・・・。」
「ま、そうだよな。しかし・・・」
ラスカを上から下までじっくりと眺めるトレベス。
「見れば見るほどそっくりだよな。こりゃ、話さなければ分からないんじゃないか?」
「そうだよね。術の資質も同じくらいあるみたいだし・・・。」
「術の・・・資質?」

一番下のフィオと呼ばれていた女の子の言葉に、首を傾げるラスカ。トレベスは胸元から紫色の小さな
箱を取り出すと、それをラスカに放ってよこした。
「それ、開けてみな。」
「え・・・?」
「いいから。」
よく分からないまま、箱の蓋に手をかけてそれを外すラスカ。次の瞬間、箱から物凄い勢いで風が
吹き出し、部屋にかけられていた絵が吹き飛んだ。
「うわあっ!! なっ、何なんですこれは!?」
「それは『風の小箱』と言ってな、術道具の一つなんだ。風の術資質がなければ絶対に開けることは
できないし、それに・・・」
とトレベスはラスカの手から風の小箱を受け取ると、自分でも開けてみせた。だが、今回はちょっとした
そよ風が吹いただけだった。
「・・・こんな風に、その資質の強さによって起こすことのできる風の強さが変わるんだ。俺の風の
資質は非常に弱いからな、せいぜいこの程度なんだ。」
「はあ・・・。」
「つまりだな、お前さんの風の術資質は風竜並みだってことだ・・・姉と同じくな。で、それを見込んで
お前さんに折り入って頼みがあるんだが・・・。」
「?」
トレベスは改まった調子でラスカの方に向き直った。
「実は、詳しい事情は明かせないんだが・・・訳あって今、術士不在の家は作りたくないんだ。特に
風竜たちはまだ小さいしな、どうしても術士が必要だ。」
「はあ・・・。」
「それで、しばらくの間お前さんに風竜術士代理を務めてもらいたいんだ。」
「えぇ!? そんな、急に・・・」
慌てふためくラスカ。トレベスはそんなラスカを諭すように言葉を続ける。
「もちろん、教えてもいないのにいきなり風竜術を使ったり、子竜たちにそれを教えたりしろとは俺も
言わないさ。ただ、一緒に生活していてくれればいい。」
「それくらいなら・・・多分。ただ、それだけで大丈夫なんですか?」
「こいつらにとっては、ちゃんとした術資質のある人間が一緒にいることが重要なんだ。風竜術に
ついては俺と、もう一人火竜術士が多少は使えるから、必要があるときはこっちでサポートするさ。
・・・どうだ?」
「うーん・・・。」
ラスカは、腕を組んで考え込んだ。これはどう考えても本来姉さんの仕事だ、やはり断ろう・・・と思い
目を上げると、そこには縋るような目をした三人の子竜たちがいた。
「・・・分かりました。引き受けます。」
「そうか。」
「良かった・・・。」
「わーい!」
微笑むトレベス、胸を撫で下ろすライモンド。胸に飛び込んできた二人の女の子を受け止めながら、
ラスカはくすぐったいような、恥ずかしいような気持ちを味わっていた。