卒業
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セトの家の前にある坂を下り切ったところには、小さな広場があった。
いくら夜も更けたとは言え、フェザンの中心部に近いこの辺りでは人通りが絶えることはない。
人間に姿を見られずに元竜の姿になるため、二人はこの広場に足を踏み入れたのだった。
もちろん、遠い昔・・・セトがここから暗竜の里に来ることになったとは二人とも知らない。
「お母様・・・元気そうだったね。うふふ、これでこっちにくる楽しみがまた一つ増えちゃったな。」
「ココ。」
「何、トト?」
楽しそうに振り返ったココに向かって、トトは自らの決心を告げた。
「今日のことは、忘れよう。ここのことも・・・母さんのことも。」
「え? トト、何を言って・・・」
「もう、ここには来ない。そう言ったんだ。」
「ちょっとトト! どうしたの!? さっきから、何か変よ!?」
目を剥いたココは、腰に手を当てるとトトを睨み付けた。そんなココの様子には頓着せず、トトは静かに
言った。
「母さんを見て、どう思った?」
「どう・・・って。そんなこと、いきなり言われても・・・」
「辛そうだったか? 生きるのに、苦労しているようだったか?」
しばらく考えたココは、小さく首を振った。
「ううん。そんなことはなかったな。ちょっと寂しそうだったけど、でも・・・幸せなんじゃないかな。」
「おれも、そう思う。」
ココの言葉に、トトは頷いた。
「おれも、初めは・・・本当のことを言おうかと思ってた。もし、母さんが惨めな暮らしをしているなら、
無理にでもコーセルテルへさらって帰ろうとも思った。」
「うん。」
「でも、母さんは幸せそうだった。おまえが今言ったように、少し寂しい思いはしていたようだが・・・
それでも、普通の人間として幸せな家庭にも恵まれている。それをおれたちが邪魔しちゃいけない。」
「でも・・・でも! お母様は、元々私たちの・・・」
「そして、母さんは・・・コーセルテルの風景を見ても、おれたちのことを思い出さなかった。」
ココの言葉が聞こえなかったように、トトは言葉を続けた。
「このままここに来ることを繰り返せば、いつかは本当にことを言わなくちゃいけなくなる・・・。」
「・・・・・・。」
「もし、おれたちのことを思い出してくれたなら・・・母さんは苦しむ。思い出してくれなければ、
おれたちが辛い。・・・どっちにしても、いいことはないんだ。」
「トト・・・。」
「わかってくれ。何も知らないうちに、別れた方がいいんだ。」
ここまで言ったトトは、俯いたココに背を向けた。
「もう一つ、言っておく。・・・もう、おれに会いにコーセルテルには来るな。」
「トト・・・そんな・・・」
「おまえは光竜族の族長だ。守るべき相手がたくさんいる。・・・本当なら、用もないのにコーセルテルに
来ることなどできないはずだ。」
「でも・・・」
「いつまでも、甘えてるんじゃない。もう、母さんからは卒業しないと。・・・おれも、おまえもな。」
心にもないことを言っている。それは、ココにも分かったらしい。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、ココは小さく頷いた。その肩を優しく抱いたトトは、頬を伝う涙を
拭ってやった。
「向こうに帰ったら、海の話でもしてやれ。みんな、喜ぶだろう。」
「うん。トトも元気で、長生き・・・してよね。」
「おまえもな。・・・いい加減、その泣き虫は治せよ。族長が台なしだぞ。」
「うん・・・。頑張って、みるよ・・・。」
泣き笑いの表情になったココは、元竜に姿を変えた。その瞳が、イルベックの月明かりを反射して
キラリと光った。
『・・・さよなら。』
「ああ・・・。」
満月のイルベックに向かって飛び去るココの後姿を見送りながら、トトは複雑な表情を浮かべていた。
本当に、セトは自分たちのことを思い出していなかったのか。
明らかに人間とは違う姿の自分たちを目の当たりにしても、セトはそれを全く気にする様子を見せ
なかった。思えば、自分たちの名前を呼ぶ時にも全く澱みがなかった。記憶が消されているなら、
今日初めて耳にした名前のはずなのに。
何より、なぜセトはコーセルテルの風景を見て涙を流したのだろうか。そして、最後の言葉。あれは、
自分たちに対して謎をかけていたようにも聞こえる。
・・・もしかしたら、気付いていたのではないか。自分たちと同じことを考え、わざと知らないふりを
したのではないか。
あの時・・・セトが里を去ったときに現役だった竜術士たちは、その全てが既に死んでいた。どこまで
セトの記憶を消したのか、今となっては確かめようもない。
いや、セト本人に訊くことはできる。そして、今なら・・・セトは本当のことを言うだろう。しかし、トトは
戻って確かめる気にはならなかった。
もう一度、セトの顔を見たら・・・今度こそ、ここから離れられなくなってしまう。それが、はっきりと
分かったからだ。
(さよなら。ありがとう、母さん・・・)
自らも元竜に姿を変え、コーセルテルを目指して飛び立つ。眼下に煌くフェザンの町の灯りが、
たちまちのうちに滲んでいった。
はしがき
この話は、野出潔さんのリクエストで書きました。指定されたトトに関しては他にもいくつかの状況での
「卒業」を考えましたが、やはりこれが一番しっくりくるような気がします。
結局、この話も元ネタの『カントリー・ロード』の歌詞に影響を受けました。「帰りたい 帰れない
カントリー・ロード」という最後の部分は聞くたびに泣けますね。
BGM:カントリー・ロード(本名陽子)