カオス～秋の歌会Ⅰ～（１）

カオス～秋の歌会Ⅰ～　１　２　３　４　

カオス
～秋の歌会Ⅰ～

　－１－

「これはこれは、冬軍北都の皆様。本日は遠路はるばる、ようこそ春の都にお出で下さいました。」

真竜暦五〇〇九年、秋。歌会のために春の都を訪れた冬軍の一行を出迎えたのは、長身の文官
だった。小さな丸眼鏡をかけたその春の精霊は、ここで優美に一礼するとにっこりと微笑んだ。大柄
だからなのか、その所作が一々ユーモラスな印象を与える。

「只今、宮殿では都の威信をかけて宴席の用意を致しております。準備が整いますまで、こちらの
迎賓館にて今しばらくお過ごしくださいませ。」
「丁重な挨拶、痛み入る。私はヒノキ、此度の使節団の頭を務める者だ。差し支えなくば、そなたの
名を聞かせてもらえないだろうか。」

対して冬軍側から進み出たのは、北海寒気団団長のヒノキだった。冬軍を代表する知勇兼備の
猛将で、冬将軍であるシラカバの信頼も篤い。春の都で催される歌会については、冬の都を離れ
られないシラカバに代わって彼が事実上の冬軍代表を務めることになる。

「これは申し遅れました。私、此度の歌会の間皆様の接待役を仰せつかりましたフジと申します。
これより春の都にて過ごされる間、何か不足や疑問の点がございましたら、遠慮なく私にお声を
お掛け下さいませ。」
「そうか。かたじけない、フジ殿。」
「程無く、大都督のアヤメを初めとする春軍の諸将がご挨拶に参ります。それまで、どうかゆるりと
お過ごし下さい。」

その言葉は不要だった。既に、冬軍の面々の大半は会場に用意されていた山海の珍味に舌鼓を
打っており、律儀にフジの言葉に耳を傾けている者はごく僅かだったからだ。
一座の盛り上がりぶりに微笑んだフジは、ここで再び一礼すると迎賓館を出ていった。その後姿を
眺めていたミズキは、小声で傍らのセンジュに問いかけた。

「ねえ、センジュ。ちょっといい？」
「んー？」
「さっき話してた、あのフジさんって人・・・あの人、春軍の人じゃないのかしら。」
「さあな。」
「・・・ちょっと！　行儀が悪いわね、そんなにがつがつしなくても、誰も取らないわよ。」
「うるせえな。いいだろ、年の一度の機会なんだからさ。」
「センジュ！　やめなさいってば。」
「ちぇっ。わーったよ。」

目の前に並べられた料理を味わうのに余念のなかったセンジュは、ミズキにじっと睨まれて渋々
その手を止めた。未練がましい様子で後ろを振り向くと、テーブルに軽く寄りかかるような格好になる。

「それで？　あー、さっきの奴の話な。」
「ええ。どう思う？」
「そういや、あいつの顔はオレも初めて見たからな。そうだなあ・・・軍の関係者なら、多分軍服を
着てるんじゃないか？　一応、これって両軍の公式の行事なんだし。」
「じゃあ、軍の人じゃないってこと？　・・・でも、春の都の文官の人たちは冬軍と仲が悪いんでしょ？」
「それはほら、アレだよ。お互い様ってヤツ。」
「え？　それって、どういう―――――」
「ああもう面倒くせえな！　おいミズメ、あとは任せた！！」
「つまり、こういうことですよ。」

くるりと振り向いたセンジュは、再びテーブルの上の料理を片っ端から口に入れ始めた。隣で一連の
遣り取りを見守っていたミズメが、ミズキの方に向き直ると苦笑しながら口を挟んだ。

「この歌会は冬春両軍の親睦を深めるために執り行われている行事ですが、その昔我々と春の
精霊は互いに敵同士で、毎年戦・・・つまり、正真正銘の“殺し合い”を演じていました。そのことは、
ミズキ殿もご存知ですね？」
「はい。でも、今は和平条約が結ばれて、戦争はなくなったんでしょう？」
「その通りです。その“四季条約”締結の立役者となったのが、冬将軍のシラカバ様と春軍大都督の
アヤメ殿でした。」

頷いたミズメは、手にしていた杯を口に運んだ。
中に入れられているのは、酒ではなくコーヒーという名の飲み物だった。もちろん、春の都の中を
流れる谷川の水によって淹れられ、ほどよく冷やされたものである。近くに産地があるらしく、この
迎賓館では酒や茶の代わりにこのコーヒーがいつも出されるのだと、ミズキはついさっきセンジュに
聞いたばかりだった。

「ご存知の通り、シラカバ様は冬軍北都の最高権力者であらせられます。それに対し、アヤメ殿は
あくまで春軍の頂点に立たれるお方。春の都では軍の頂点である大都督と、都の行政全てを預かる
丞相とが並び立っており、その上に春帝がおわします。従いまして、大都督の意向が即ち春の精霊
たちの意向であるかと言えば、必ずしもそうではないのですよ。」
「ふーん。」
「もちろん、武官の中にも冬軍嫌いはいるでしょうし、文官であっても我らを歓迎してくれる者がいても
何ら不思議はありません。現に、衛将軍のシャガ殿は未だに我らを目の仇にされており、そうした
言動を隠されもしません。・・・こうした意味では、先程のフジ殿の歓迎の言葉も充分頷けるものだと
言えるでしょう。」
「へえ、そうなんですか。・・・じゃあ、さっきセンジュが言ってた“お互い様”っていうのは？」
「・・・これは推測ですが、恐らくセンジュ様はこう仰りたかったのではないでしょうか。つまり
―――――」
「お話中申し訳ありません。」

ミズメが話の核心に触れようとしたそのとき、不意に横合いから声をかけられた。話を中断した二人が
声のした方に目をやると、そこには一人の春の精霊が立っていた。
目立たない、春軍一般兵の軍装。腰までの豊かな黒髪を具えた相手は、無表情でミズキに向かって
拝礼した。

「ご無礼仕ります。冬軍リュネル寒気団団長、アズサ様でいらっしゃいますか？」
「え？　あ、いえ、違います。」
「これは、不調法を致しました。・・・では、アズサ様はいずこにいらっしゃるか、ご存知ですか？」
「はい。えーと、確かさっきまではそこに・・・あ！　団長さん！」

辺りをきょろきょろと見回したミズキが、アズサの名を大声で呼ぶ。ややあって一同の許に姿を見せた
アズサは、大分ご機嫌な様子だった。大方、久しぶりに会った友人と大いに盛り上がっていたところ
なのだろう。

「呼んだか、ミズキ殿。」
「あ、はい。この人が―――――」
「アズサ様でいらっしゃいますか？」
「そうだが。その方は？」

鷹揚に頷いたアズサに向かって、相手は深々と拝礼した。

「大都督アヤメの命を受けて参りました。こちらに参る前に、アズサ様お一人に内密に相談なさりたい
ことがあるそうです。」
「大都督殿が、私に相談事だと？　・・・用件は？」
「私はただの使いです。そこまで知らされてはおりません。」
「だろうな。・・・分かった。では、案内してくれ。」
「かしこまりました。」
「ミズキ殿、センジュを頼んだぞ。くれぐれも、羽目を外しすぎて我が寒気団の恥とならぬようにな。」
「はい、もちろんです。」
「こちらです。」

頭を下げたミズメとミズキに向かっておどけた様子で小さく手を挙げ、アズサは相手の後について
歩き出した。迎賓館から外へと出たところで、眩い太陽の光に思わず手を翳すと目を細める。

カオス～秋の歌会Ⅰ～（２）へ