四重奏  1       

四重奏


 −1−

トレベスは、人の気配で目が覚めた。ベッドの中でじっとしていると、しばらくして部屋のドアが小さく
ノックされる。

(さて、始めるか・・・)

そうなのだ。目覚めたこの瞬間から、今日も彼の“勝負”が始まる。

「誰だ? ドアは開いてるぞ。」

トレベスの声に、ゆっくりと寝室のドアが開いた。しばらくしてそこから顔を覗かせたのは、四番竜の
サイだった。

「おはよ、トレベス。」
「おう、サイか。おはよう・・・って、なんだそりゃ。」
「あたしが初めて作った、果物のジュースだよ。」

にこにこしながら、サイはお盆を差し出した。その上には、橙色の液体の入ったコップが載せられて
いる。

「トレベスが起きたら飲んでもらおうと思って、準備しておいたの。これで、目がすっきり覚めると
思うよ!」
「へえ。そりゃ、ご丁寧なこって・・・」

お盆からコップを取り上げる。傍目にはごく普通のオレンジジュースで、木竜であるサイが作ったという
だけあって色も香りも申し分ない。従って、残された問題は味ということになる。サイの顔に浮かんだ
“陰”を見抜いたトレベスは、心の中で苦笑いした。

(初めて・・・ねぇ)

「木は森に隠せ」という諺があるが、何もないところにいきなり脈絡なく森があったら、誰でも不審に
思う。この場合もそうだ・・・自分を引っ掛けたいと思うなら、少なくとも一週間は毎朝普通のジュースを
持って来るべきだ。預かっている木竜たちは術力こそ備えても、まだまだその辺りが未熟なのだ。

(ふーん・・・)

サイは、トレベスが預かっている木竜たちの中では最年少だった。まだ尻尾も消えていない子竜の身
では、トレベスが教えていないこともあって大した術を操ることはできない。今のサイにできるのは、
せいぜい果物の味を変えることくらいだろう。
そうと分かっていれば、何も怖いものはない。伏兵は、あると知っていれば伏兵ではなくなるのだ。心の
中でにやりと笑ったトレベスは、コップのジュースを一気に空けた。
予想通り、そのジュースは奇天烈な味がした。甘酸っぱいはずが、やたらと辛いのだ。・・・だが、
確かにサイの言うように目はいっぺんに覚めるだろう。

(低血圧のアリシアにでも勧めてやるかな・・・って、んなことしたらノルテに殴られるか・・・)

そんなことを考えながらジュースを飲み干し、口の周りを拭う。

「・・・どう?」
「ぷはーっ! うん、うまい・・・やっぱ朝は果物のジュースに限るよな!!」

残念ながら、多少の変な味を顔に出さない訓練は、日頃からサイの兄弟竜たちにイヤと言うほど
積まされている。
極上の笑顔を浮かべ、コップを返しながらトレベスははっきりと言い切った。期待に満ちた瞳でじっと
トレベスの様子を伺っていたサイは、その言葉に明らかに落胆した様子をみせた。

「そ・・・そう。」
「ああ。これからも、毎朝頼むぜ。」
「・・・うん。」

間違いなく「次」がないことを知りつつも、トレベスはにこやかに促した。こうした方が、相手のダメージは
大きいのだ。

(さてと・・・)

サイが肩を落として部屋を出て行ったのを確認すると、トレベスは静かに部屋の扉を閉めて鍵を
かけた。部屋の片隅に姿を見せている木の幹に歩み寄ると、持っていた「森の種」の力を解放する。
その幹に耳をつけると、階下の食堂にいるらしいロンド、アーク、そしてサイの声がトレベスの耳に
届いた。

『え? ・・・うまくいかなかったの?』
『うん・・・。トレベス、すごくおいしそうに飲んでたよ。』
『おかしいなあ。あれでいいはずなんだけど・・・』

木竜術士の家の内部には、一本の大きな木が根を下ろしている。トレベスはその木にちょっとした
細工をして、伝声管のような機能を持たせていた。その結果、こうして自室にいながらにして、この
木が枝や根を行き渡らせている全ての部屋の様子を聞き取ることができるのだ。それを使って、時々
こうして木竜たちの会話を盗み聞きするのが、トレベスの隠れた楽しみの一つだった。

『僕らも飲んでみようか。サイ、残りはないの?』
『そこの、かげに・・・』
『ありがと。どれどれ・・・』
『・・・!!』
『・・・!?』
『・・・ちょっと、二人とも大丈夫!?』

最後に聞こえた声にならない悲鳴に、トレベスは腹を抱えて笑い出した。これでこそ、そ知らぬ顔で
ジュースを飲んでやった甲斐があるというものだ。

(へへ・・・朝メシの時、あの三人がどんな顔して俺を迎えるのか見物だな!)

朝食のために階下へと階段を下りながら、そんなことを考えたトレベスは思わずにやりと笑ったの
だった。


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