ある朝目が覚めると  1       

ある朝目が覚めると


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ある朝玄関の扉を開けると、そこには山盛りのトマトが置かれていた。

「・・・・・・。何じゃ、これは。」

たっぷり一分間の沈黙の後、ニアキス族のガトーは呟いた。
簡素な竹籠の上には、鮮やかなルビー色に色付いたトマトが十個ほど載せられている。果肉がみっちりと詰まっていることを表す均整の取れた丸い形状、糖度の高さを示す底部からヘタにかけての多数の放射状の白い線。長年野菜の目利きに携わってきたガトーにとって、このトマトが“特級品”と表現すべき出来であることは明らかだった。
しかし、今は夏の最中。トマトは夏野菜の代表のように扱われることが多いが、本当に甘く美味なのは春である。夏場にこのような見事なトマトが収穫されることは極めて稀であり、ガトー自身これほどのものにお目にかかったのは、これが人生で初めての経験だった。

(誰かの、忘れ物か・・・?)

周囲を見回してみるが、それらしい人影は見えない。
そもそも、隣人との付き合いを煩わしいと感じるガトーは、村の中心部から遠く離れた場所に居を構えていた。周囲には畑の類や水場があるわけではなく、日頃から他の村人の姿を見かけることはほぼ皆無だった。第一、これが誰かの忘れ物であるならば、それをわざわざ他人の家の玄関前に置いておく理由が見当たらない。
ならば、誰かが自分にこれを届けてくれた、という可能性はないか。しかし、その場合は一声かけてから置いていくのが普通のはずだ。
それに、そもそもガトーには自分に贈り物をしてくれるような相手の心当たりはなかった。無論、トマトを家に届けてくれと自分が誰かに頼んだ覚えもない。

「・・・!」

何か持ち主の手がかりはないものかと、トマトの山をひっくり返していたガトーは、その一番下に一枚の紙が挟まっているのに気が付いた。そこには、まだ幼い筆跡で、

“ご自由にどうぞ”

との一言が書かれていた。
どうやら、このトマトは自分の好きにしても構わない代物らしい。思えば、今朝はまだ起きてから何も口にしていない。
急に空腹を覚えたガトーは、トマトの山からその一つを手に取ると、それを徐に口へと運んだ。

(これは・・・!)

一口齧った瞬間、口の中に広がる圧倒的な甘みと控えめな酸味。まるで果物のようなその味わいは、生で食べるのにまさに打って付けだった。
瞬く間に一つのトマトを食べ終えたガトーは、人知れず溜息をついた。

(これほどのものを・・・一体誰が作ったんじゃろう)

間違いなく、これまで食べたことのある中で最高のトマトだった。単にそのまま、生で食べてしまうだけでは勿体ない。
本来、トマトは“万能”の名に恥じない野菜だった。そのまま生で食べるだけではなく、焼いてその甘みを際立たせる、あるいは煮て種々のソースやスープのベースにするなど、その使い途は実に様々だ。
「トマトの使い方を見れば、その料理人の腕が分かる」。これは、かつてガトーに料理の道を志させた“師匠”の口癖だった。

(久しぶりに、何か作ってみるかの・・・)

終の住処と定めたこの家に引き籠もって、今年で三年目になる。この間、特に料理らしい料理をした記憶はなかった。
誰とも会わず、生命を繋ぐための必要最低限のものを口にする毎日。そこには、“料理”の必要性はない。
しかし、こうした素晴らしい食材を目の前にすると、抑えようとしてもその使い途について様々なアイデアが浮かんできてしまう。・・・思えば、昔からこの時間が自分は一番好きだった。

(・・・・・・)

やはり、自分は根っからの料理人ということなのだろうか。そう思うと、何やら愉快になってくる。
トマトの載せられた竹籠を手に、家の中へと戻るガトー。その横顔には、長い間忘れていた微笑みが浮かべられていたのだった。


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