Christmas Eve
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「ふう・・・。」
小さく溜息をついたエディスは、手にしていたペンをしばらくの間見つめ、やがてそれをテーブルの上に投げ出した。
目の前には、日記を書こうと思って手に入れたノートがあった。その欄外には、“死竜の月十八日”と日付だけが記されている。
(何を、書いたらいいのかしら・・・)
日々は、判で捺したように同じことの繰り返しだった。朝起きて着替え、三度の食事をし、そして寝るだけの毎日。出される食事の質は悪くなかったが、一人きりの食事はひどく味気ないものだった。
それでも、初めのうちは午後になると毎日のように面会があった。だが、訪れる相手はエディスにとって見知らぬ相手ばかりであり、その上まともな会話が成立しないのでは、それはエディスにとって拷問にも等しいものだった。
何せ、相手の口にする言葉の八割方が理解できないのだ。恐らく、エディスの戸惑いや苛立ちが相手にも伝わったのだろう。見舞い客の多くは二度と訪れることはなく、今や毎日この部屋に顔を見せる人物は、たったの二人になっていた。同じ緑の髪と瞳を具えた二人は、木竜の双子の兄妹なのだという。名前は確か―――――
(・・・・・・)
ペンを拾い上げたエディスは、少し考えてからその名前をノートに書き付けた。
“エルフィート”
“アルフェリア”
まっさらなノートに、ポツンと並んだ見覚えのない名前。
眺めていても、何の感慨も浮かんでこない。
しかし、二人が交互に話して聞かせてくれたところによると、この名前は自分自身が二人に対して与えたものなのだという。あまつさえ、この二人は自分が育てたのだというのだ。
ただの人間である自分が、別の種族であるという木竜をどうやって。そもそも、竜という種族は実在したのか。そして、竜術、それに竜術士とは何のことなのだろうか。・・・ここでも様々な疑問が浮かんだが、それを解決する術をエディスは持たなかった。
再びペンを放り出し、浮かない表情になったエディスが何となく窓の方へと顔を向けたときだ。
(・・・!)
窓の外から、部屋の中を覗き込んでいた相手と、目が合った。
栗色の髪に、飾り気のない粗末な服。人間で言えば、五歳か六歳程度のまだ幼い子供の年恰好。肩口から覗く木の葉は、中庭の木々の葉と同じ鮮やかな紅だった。
ふと、脳裏に閃くものがあった。窓の方へと歩み寄り、ガラス窓を開け放ったエディスが、窓の桟の上で恐るおそる自分を見上げた相手に向かってにっこりと笑いかけた。
「あなたは・・・もしかして、その木の精霊さん?」
中庭には、中央の巨木の他にも多くのカエデの木があった。エディスの病室の窓のすぐ下にもカエデの若木があり、その樹頂は窓から身を乗り出せば触れることができるほどの近さにあった。
おどおどと頷いた相手が、エディスの手招きによってゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。円らな瞳で自らのことを見上げた相手に向かって、その場にしゃがみ込んだエディスが笑顔で話しかける。
「初めまして。私は、エディス。・・・あなたのお名前は?」
「なまえ・・・?」
「ええ。・・・もしかして、名前がないの?」
「・・・・・・。」
しばらく考え、コクンと頷く相手。その反応に、エディスは眼を瞬いた。
考えてみれば、カエデは風媒花だった。その種は風に乗り、親の木から遠く離れた場所で芽吹くことも珍しくない。
「ここの人たちと、話をしたことはないの?」
「・・・・・・。今まで、すがたを見せたことは、ない。」
「じゃあ、どうして・・・?」
「・・・・・・。エディスが、すごく・・・さびしそうだった、から。」
(寂しそう・・・私が・・・?)
不意に、胸を抉られた気がした。
そんなエディスの動揺に気付かなかったらしい相手が、真剣そのものの瞳でエディスを見上げる。
「まい日、まどから見てた。・・・エディスは、いつも、かなしそうだった。だから―――――」
「・・・・・・。」
「・・・エディス?」
眼を閉じ、小さく溜息をついたエディスが、元通りの笑顔になると相手の頭を優しく撫でた。
「どうやら、あなたに心配をかけちゃったみたいね。ごめんなさい。」
「いや、・・・そんな・・・」
「そうだ。あなたの名前・・・レム、というのはどうかしら。」
「レ、ム・・・?」
「ええ。これからもずっと“あなた”じゃ、話しにくいでしょう?」
「これ、から・・・?」
戸惑いの表情を浮かべ、エディスの言葉を反芻するように口にした相手が、やがてその言外の意味に気付いたらしい。ぱあっと顔を輝かせ、エディスが差し出した手を勢いよく握り締める。
「なまえ・・・レム。エディスに、もらった・・・!」
「ええ。それでね、レムが良ければ・・・私の話し相手になってくれないかしら。」
「でも・・・いいの?」
「もちろんよ。・・・じゃあ、レム。こっちにいらっしゃい。」
「うん!」
テーブルセットの傍らに立ち、手招きをするエディス。その顔には、この部屋で暮らすようになってから、初めての穏やかな笑みが浮かべられていたのだった。