Christmas Eve          5

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降り出した雨は、夜になって本降りになった。
ガラス窓に、次々に雨粒がぶつかってくる。その様子を、窓の前の椅子に腰掛けたエディスは見るとはなしに眺めていた。
げっそりとこけた頬。生気のない瞳。それは、以前の彼女を知っている者であれば、思わず目を背けたくなるような、やつれ切った様子だった。

(・・・・・・)

もう、何もかもが分からなかった。
ここは、一体どこなのか。
毎日顔を見せる、あの二人は一体誰なのか。
そして、自分は・・・誰なのか。

「エディス、だいじょうぶ?」
「・・・・・・。」

傍らから、幼い声がした。
エディス。・・・それが、自分の名前らしい。
いつの間にか、自分の傍らに立って心配そうな眼を向けてきた木の精霊に向かって、エディスが不意に呟いた。

「ねえ、レム・・・」
「なに、エディス?」
「・・・・・・。私は、誰なの?」
「エディス・・・」
「ねえ、答えてよ。・・・私は、誰? これから、どうしたらいいの・・・?」

言いながら、エディスは自嘲気味に頬を歪めた。
本当は、大声で喚き散らしたかった。自分は誰なのか。ここはどこなのか。
しかし、いくら騒いだところで、それに応えてくれる相手は誰もいないのだった。
困り果てた様子で俯くレム。その様子に小さく溜息をついたエディスが、その視線を再び窓へと向ける。

「・・・あ。」
「?」

窓の外は、いつの間にか雪になっていた。
思わず立ち上がり、エディスは窓の外に目をやった。眼下の中庭は既に白く染まりつつあり、しんしんと降り積もる雪によって、先程までの雨音もいつのまにか消えている。

(・・・!)

神秘的とも言える、雪景色。それをうっとりとした様子で眺めていたエディスが、不意に顔を上げた。
風に乗って聞こえた、微かな鈴の音。気のせいかと思っていたそれが、少しずつ大きくなってくる。

「エディス! ・・・ねえ、エディス、どうしたの!?」

レムの問いかけには答えず、エディスは窓を大きく開け放った。
室内に流れ込む、身震いするような寒さ。吹き込む雪をものともせず、エディスはじっと空の彼方に眼を凝らした。
北大陸には、様々な“クリスマス”の伝説が伝わっていた。
エディスの故郷、ヴァンフォーラのミルトア村で言い伝えられていたそれは、クリスマスイブの晩に橇に乗った精霊が家々を訪れ、善行を積んだ相手にはささやかな贈り物をするというものだった。

(本当・・・だったんだ・・・)

やがて、小さな橇が窓の外に停まる。
荷台には、懐かしい顔があった。その姿を認めたエディスの唇から、ややあって相手の名前が切れぎれに漏れた。

「ニコル・・・。・・・それに、ラド・・・。」
「やあ、エディス。久しぶりだね。」

窓側に座っていた人の良さそうな少年が、笑顔でエディスの名を呼ぶ。
しばらくの間、驚いた様子で相手の顔を見つめていたエディスが、やがてふっと微笑んだ。

「・・・初めてね。あなたが、外にいる姿を見るのは・・・。」
「そう・・・だったかな?」
「ええ。知り合ったときから、あなたはベッドの中。それを訪ねるのが、私の日課だったんですもの。」
「言われてみれば・・・そうだったね。」

どちらともなく、微笑み合う二人。そこへ、棘のある言葉がかけられる。

「おい、お前ら。何をこんなときにイチャついてやがるんだ。」
「ラド・・・」
「せっかく、俺様が迎えに来てやったんだぞ。とっとと乗れよ。」
「ええ。そう、よね・・・。」

声の主は、ニコルと呼ばれた少年の反対側に座っていた少年だった。
栗色の癖っ毛に、袖口から覗く木の葉。その姿は、エディスの傍らでおろおろと両者に目をやっているレムと、奇妙な一致を見せていた。

「あ、そうだ。ラド、私・・・あなたに謝らなければならないことがあるの。」
「謝る? あんだよ。」
「実は、あなたにもらったリコーダーを折ってしまって―――――」
「あんだと?」

済まなそうに謝るエディスに向かって、ラドと呼ばれた少年が口を尖らせる。

「ったく、人様の形見を何だと思ってやがるんだ。あんだけ大切にするって言ってたくせによ。」
「ごめんなさい。でも、それは―――――」

言いかけて、エディスは不意に口を噤んだ。
形見のリコーダーが、折れてしまったことは覚えている。それを折ったのが、自分であることも。・・・しかし、どのような経緯でそうなってしまったのかは、全く思い出せない。
俯き、黙り込んだままのエディスの様子に、ラドが肩を竦める。

「まあ、いいだろ。これからは、そんなものも要らなくなるんだからな。」
「・・・・・・。」
「んで、どうすんだ。乗るのか、乗らねえのか。ハッキリしろよ。」
「も・・・もちろん乗るわ! 待って、今―――――」
「でも、いいのかい。・・・その子のことは?」
「おい、ニコル。てめえはいつも一言余計なんだよ。」
「そうかな・・・?」
「決めるのはエディスだろ。そのエディスが、乗るって言ってんだ。何の問題もねえだろが。」
「それはそうだけど、でも・・・。」

遠慮がちに言ったニコルに、ラドが食って掛かる。ニコルの視線の先、自らのガウンの裾に縋り付いていたレムに向かって、その場にしゃがみ込んだエディスは穏やかな笑みを向けた。

「エディス! 行っちゃだめだ、エディス!」
「レム・・・。・・・ごめんなさい。私、もう決めたの。・・・お願い、行かせて?」
「だめだよ、エディス! ・・・そうだ、字をおしえてくれるって、言ったじゃないか! あのやくそくは、どうするの!?」

涙をぼろぼろと零しながら、エディスにしがみ付くレム。その頭を優しく撫でながら、エディスがゆっくりと言葉を継いだ。

「そうだったわね・・・。でも、言ったはずよ。あれは、“私がこの部屋にいる間は”・・・だって。」
「そんなの・・・そんなの、へりくつだよ!」
「ふふ・・・。知らない間に、そんな言葉も覚えたのね。・・・もう、一人でも大丈夫よ。だから・・・ね?」
「いやだ! エディス―――――」
「ありがとう、レム。あなたがいてくれて、寂しくなかったわ。」

立ち上がったエディスが、窓の桟に足をかけた。そして、そこから大きく身を乗り出す。

「エディス―――――!!」

小さな木の精霊の悲鳴と、何か重いものが地面に落ちる音。しかし、周囲でそれに気付いた者は誰もいなかった。
雪は、ますます激しくなっていく。


  *


「まさか・・・こんなことに、なるなんて・・・」

翌朝、息絶えたエディスは中庭の片隅で発見された。
その顔に浮かべられた微笑みが、尚更痛々しい印象を与える。
最期の瞬間に、エディスが何を見、そして何を考えていたのか。それは、今となっては誰にも分からない。
エディスの病室は、病棟の三階にあった。窓に格子は嵌められていなかったが、まさかそこから身を投げるとは、誰が考えただろう。

「・・・・・・。」

遺体の前に立ち尽くしている木竜兄弟に、ジークはかける言葉を見付けられないでいた。
竜と術士の別れは多い。ジークリート自身、テラを初めとして多くの別れを見聞きしてきたが、このような形での離別を目の当たりにするのは、正直初めての経験だった。
やがて、エルフィートとアルフェリアはゆっくりとその場から踵を返した。その顔色は、傍目にも真っ青だと分かるものだった。

「おい・・・。エル・・・アル・・・?」

声をかけはしたものの、ジークリートはその後姿を追うことができなかった。
今の自分に、彼らにしてやれることは何もない。それがよく分かっていたからだ。


  ***


かつての“兄妹王”、木竜エルフィートとアルフェリアが無断で宮廷から姿を消したのは、この直後のことだった。居場所すら掴めない時期が長く続き、ようやくその消息が明らかになったのは、実にその五年後のこと。以後、彼らが揃って宮廷に復帰するまでには、長い長い歳月が必要となったのである。


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