春よ、来い
プロローグ
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エピローグ
−1− (真竜暦4988年・土竜の月5日)
今から半世紀近く前の、やはり春のこと・・・。ここライロン近郊の山岳地帯に設けられた冬軍・
北都師団の臨時野戦指揮所は、ひっきりなしに入ってくる敗戦の報で騒然となっていた。
「第二・第三寒波隊はいずれも全滅です!!」
「セシー方面の前線は各地で分断され、各隊の壊滅は時間の問題と思われます!」
「しょっ・・・将軍! 味方は総崩れです!! これでは、寒冷前線の維持ができません!!」
「うむ。今年の春軍は例年とは一味違うようだな・・・。」
まだ若い冬将軍・・・シラカバは、参謀の悲痛な叫びに重々しく頷いた。
「北都からの援軍はどうした? もうそろそろ到着しても良い頃だが。」
「はい、それが・・・各地で既に気温が上昇し、移動が思うに任せないようで・・・。」
「そうか・・・。」
そこへまた、伝令兵が走りこんでくると新たな敗戦の報を伝えた。
「もっ・・・申し上げますっ! 北海寒気団、敗走しましたっ!!」
「何だと!?」
「あの、北都の最精鋭がか!!」
色めき立つ面々。
「団長は・・・団長はどうされた!?」
「はっ・・・団長は敵春一番隊隊長と一騎打ちの末、負傷され退却!! それを境に、一帯の味方は
後退・潰走を余儀なくされましたっ・・・!!」
「おのれ・・・またあやつか!!」
「あの春一番隊を何とかせねば・・・全軍の士気に影響が出るわ!!」
「こうなったら全軍で・・・」
歯噛みする参謀たちを前に、シラカバは冷静に言った。
「よし、退却しよう。現在の停滞前線は放棄! 今夜じゅうに北へ撤退し、改めて閉塞前線を構築
する。・・・全軍に伝令を送れ!」
「何ですと!? これだけいいようにやられて、おめおめと引き下がるのですか!?」
「落ち着け。この戦、すでに我らの負けだ。敵は春軍だけではない・・・例年にない高い気温も我らの
敵となっているのが分からぬか?」
「しっ・・・しかし・・・」
「春軍との戦はこれで終わりではない。来年も、再来年も・・・この地に我らが覇権を打ち立てる
その日まで続くのだ。そのためには無駄な犠牲を避け、将来のために戦力を温存するのも必要な
ことではないのか?」
「・・・・・・。」
「悔しいだろうが、ここは堪えてくれ。後は南都の者に任せよう。」
「・・・承知しました。」
「分かってくれたか・・・。よし、全軍に伝令! 日没と共に装備をまとめ、フェザンまで撤退する!!」
*
その頃、最前線では冬軍の敗北が決定的になりつつあった。その一角では、逃げ遅れた一人の
冬軍が春軍に追い詰められていた。
「どうした。もう終わりか?」
「う・・・くっ!」
「やれやれ・・・もう少し楽しませてくれると思ったが・・・。」
「な、何だと!?」
「余興は終わりだ! 覚悟しろっ!!」

薙刀を持ち、春軍は無造作に近付く。腰だめに刀を構えたまま冬軍はジリジリと後退していたが、
その一言で自棄になったのか刀を構え直すと春軍に飛びかかった。
「う・・・うわあああああぁぁぁ!!」
「・・・やァッ!!」
ガキィィィン。
刃先が合うと見えた瞬間、鋭い金属音と共に冬軍の持っていた刀が彼方まで吹き飛んだ。冬軍は
そちらへ手を差し伸べようとしたが、力尽きたのかそのまま仰向けに倒れた。
「ぐ・・・はっ・・・。」
「他愛ない・・・。これが、冬軍でも勇猛を謳われた北海寒気団とはな。」
刃先に付いた血を払うと、その女春軍は倒れたままの冬軍の喉元に薙刀を突きつけた。
「死ぬ前に、言い遺すことがあれば聞こう。」
しばらく黙っていた冬軍は、やがて荒い息の下、ポツリとこう言った。
「一度でいい・・・桜を・・・見てみたかった。」
「桜だと?」
意外な言葉に、春軍の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
「なぜだ?」
「・・・なぜかって?」
「そうだ。桜は我が春軍の軍花。貴様ら冬軍にとっては憎き春軍の象徴なんだろう?」
冬軍は、少し笑ったようだった。
「単に・・・美しい花・・・じゃだめかい?」
「・・・おかしな奴だな。」
「そう・・・かも知れない。よく・・・冬軍でも・・・そう言われたよ。」
そこまで言い、目を閉じる冬軍。
「でも・・・もういい。さあ・・・やってくれ。」
「ああ・・・。」
その言葉とは裏腹に、春軍は一向に止めを刺そうとしなかった。
「・・・そうだ。お前、名前は?」
「・・・ふふふ。」
「何がおかしい?」
「僕を・・・討ち取ったって・・・言っても、・・・誰もほめて・・・くれないよ。」
「うるさい! 黙って名乗れ!」
「・・・ハシバミ。」
「そうか。・・・ではハシバミ、覚悟!!」
冬軍・・・ハシバミは、首への一撃を予想して目を固く閉じた。だが、次の瞬間予想に反し、ハシバミの
腹部に春軍の拳がめり込んだ。
「ぐ・・・ッ!?」
目を白黒させるハシバミに、春軍の容赦ない声がかけられる。
「いつまで寝ているんだ! もう歩けるだろう・・・一緒に来い!」
「え・・・あれ?」
慌てて体を起こすと、さっき斬られたはずの傷がいつの間にかふさがっている。
驚いてハシバミは春軍の方を見た。
「なぜ・・・君は・・・?」
「アヤメだ。」
「アヤメ・・・って、あの春一番隊隊長の!?」
「そうだ。今決めた! お前は殺さないで、捕虜にすることにした。色々と話を聞かせてもらおう。」
「えぇ!? そんな急に・・・」
「ほら、ぼんやりと突っ立ってるんじゃない! こっちへ来るんだ。」
「えっ? あっ、あの・・・えぇぇ!?」
薙刀を小脇に抱えると、戸惑うハシバミを半ば引きずるようにしてアヤメは歩き始めた。
*
「さ、ついたぞ。ここだ。」
日が暮れる頃、アヤメとハシバミが到着したのは、小さな北向きの洞窟だった。辺り一帯は林に
なっていて、さしあたり他人に見つかる心配はなさそうだった。
「ここは?」
「この辺り一帯は、私が毎年管轄下に置いている場所なんだ。ここなら余計な邪魔も入らないし、
弱小精霊のお前でもしばらくは保つだろう。日中はこの中でおとなしくしているといい。」
「ありがとう。気を遣ってくれたんだね。」
「か・・・勘違いするなよ! 折角の捕虜があっさり消滅してしまっては敵わんから・・・それだけだ!」
「うん・・・そうだね。」
赤くなるアヤメ、くすっと笑うハシバミ。
「それに・・・」
「?」
「いや、なんでもない。・・・それより、ここはもう春軍の勢力範囲。万が一他の者に見つかったら命は
無いだろう。このことを忘れるなよ。」
「大丈夫、逃げたりはしないよ。これが特別な措置、というのも分かっているつもりだしね。」
「そ、そうか・・・それならばいい。・・・では、また来る。」
「うん。」
アヤメは軽く手を上げると、南を目指して飛び去った。
ハシバミはそれを見送りながら、何を思ったのかもう一度くすっと笑い、洞窟の中へ入っていった。