春よ、来い  プロローグ    2    エピローグ

 −2− (真竜暦4988年・土竜の月10日)

「ハシバミ・・・そこにいるのか?」
「うん・・・今行くよ。」

冬軍ハシバミ(リンさん作画)

小さな手帳に何事かを書きつけていたハシバミは、自分を呼ぶアヤメの声に答えると手帳を胸元に
しまい、立ち上がった。洞窟の入り口に立っていたアヤメは、いつもと違って左手に小さなカゴを
提げていた。

「やあ。今日もそろそろ来る頃だと思ってたよ。」
「もちろんだ。大事な捕虜だからな、逃げられないように毎日様子を見に来るのは当然だろう?」
「ふふ・・・そうだったね。」
「な・・・何がおかしい?」
「いや、なんでもないよ。」

赤くなっていたアヤメは、咳払いを一つすると再びハシバミに話しかけた。

「どうだハシバミ、久しぶりに外へ出てみないか? 幸い今日は気温も低めだし・・・たまには外の風に
当たった方がいいだろう。」
「でも・・・見つかったりしないかな?」
「それは大丈夫だ。実はな、今晩は春軍では祝勝会が開かれているんだ。今頃、本営ではどんちゃん
騒ぎの最中だろう。」

と、胸を張るアヤメ。

「・・・でも、アヤメは出なくてもいいの? 春一番隊の人たちだって、隊長がいないんじゃ盛り上がら
ないと思うけど・・・。」
「いやその、なんだ・・・そうだ、これを上層部に見られるとまずかったのでな・・・。」

と、アヤメは左手に提げていたカゴをちらりと見た。

「さっきから気になっていたんだけど、それは何が入ってるんだい?」
「これか? ほら・・・」

カゴを差し出すアヤメ。ハシバミが中を覗き込むと、そこには小さなリンゴがたくさん入っているのが
見えた。

「これ・・・リンゴじゃないか! こんなところでリンゴがとれるのかい?」
「ああ。この近くにはかなり標高の高いところがあってな、そこで少しだけな。毎年春軍がこの地を
解放すると差し入れてくれるのさ。」
「・・・にしても、多くない? 一人で食べるの? これ全部・・・。」
「私もそう言ったんだがな、『どうしても』と聞いてくれなくてな。腐らせるのももったいないし・・・仕方
ない、お前にも恵んでやる。」
「ありがとう・・・気を遣ってくれて。」
「な・・・だから、仕方なくだと言ってるだろう!」
「あ、ごめんごめん。」

などと他愛のないやりとりをしながら、洞窟を出たところにある小さなテラス状の岩場に並んで腰を
下ろす二人。天頂近くにはイルベックが一際大きく輝き、辺りを照らしていた。

「ここだけの話だが、私はどうも春の果物は好かんのだ。一番はリンゴだな・・・やはり、冬の寒さが
良いのか・・・皮肉なものだ。」
「へえ・・・意外だなぁ。」

カゴから取り出したリンゴにそのままかぶりついたアヤメは、満足そうな顔でハシバミにこう打ち
明けた。その様子をにこにこしながら眺めていたハシバミは、やおら腰の刀を抜くと、器用にリンゴの
皮を剥き始めた。

「ほう・・・器用なものだな。剣技としてはからっきしのようだが、料理人にでもなったら大成したんじゃ
ないのか?」

その様子を意外そうな様子で眺めていたアヤメが、正直な感想を述べる。「からっきし」という言葉を
聞いて苦笑いするハシバミ。

「はは・・・皮むきがうまいだけじゃ料理はできないよ。・・・それに、僕がなりたかったものは料理人じゃ
ないしね。」
「じゃあ何なんだ? ・・・よし、今日はその話を聞かせてもらおうか。」
「いいけど・・・ねえアヤメ、こんなことばっかり聞いて、本当に君の役に立つのかい?」
「う・・・うるさい、捕虜は捕虜らしくおとなしく聞かれたことに答えていればいい。」
「あ・・・うん。分かったよ。」

リンゴの皮を剥く手を止め、遠い目になるハシバミ。

「僕は本当は、・・・歌人になりたかった。」
「歌人? ・・・と言うと、あの『歌詠み』とやらをする連中か?」
「うん。」
「では、なぜそうしなかったのだ? 少なくとも、軍に入るよりはずっと向いていると思うがな。」

不思議そうに尋ねるアヤメ。ハシバミは肩を落とし、溜息をついた。

「冬の精霊たちにとっては、軍に入るのが一番のステイタスなんだ。僕の場合、向いてないことは
分かってたんだけど、周囲・・・両親さえも僕が軍に入ることを望んだよ。・・・断りきれなかったんだ。」
「ありそうな話だな。もっとも、軍に入るのがステイタスというのは春も同じだが・・・」
「そう言えば、アヤメはどうなんだい? 望んで春軍に入ったのかい?」
「私か? もちろん、そうだが・・・」
「たまには、君のことを話してくれたっていいだろう?」
「そうだな・・・いいだろう、聞かせてやる。」

しばらくの間アヤメは戸惑った様子だったが、やがてどことなく嬉しそうな表情になると、自分のことを
話し始めた。

「我が家はもともと春の精霊の中でも『名家』と称される武門の家柄でな、妹が四人いるが皆春軍に
入っている。」
「へえ・・・。」
「今回の戦ではすぐ下の妹の活躍が目覚しくてな、『いずれアヤメかカキツバタ』と言われたもんさ。」
「はあ・・・すごいなぁ。」

自分とのあまりの立場の違いに驚くハシバミの言葉を最後に、二人は黙り込んだ。涼しい夜風が頬を
撫でていく。


  *


しばらくして、少し遠慮がちに再びアヤメが口を開いた。

「なあハシバミ、お前がなりたいと言ってた『歌人』なんだがな・・・」
「え?」
「『歌詠み』というのは、実際にはどんなものなんだ?」
「あれ・・・春軍では歌詠みをしないのかい?」
「いや、そういう訳じゃないんだが・・・前線に立って戦っている者たちは、ああいったものを軽蔑しがち
だからな。実は私もよく知らないんだ。」
「春軍でもそういうことがあるんだね。僕は北都の出身だけど、あそこもそういう文化を軟弱だって
軽蔑する傾向が強くて・・・。南都では教養として必要っていう考え方があるからまだマシらしいけど・・・
僕も南都の勢力圏に生まれていればよかったかな。」

遠い目になり、寂しそうに呟くハシバミ。

「・・・で、結局『歌詠み』とは何なんだ?」
「あ・・・ごめんごめん。『歌詠み』というのはね、何か自分が感動した時にそれを決められた数の音で
表現するものなんだ。バカにする人も多いけど、確かな感性と技術がないとできないんだよ。」
「そ・・・そういうものなのか?」
「そう、そういうものです。」

ハシバミは、胸元から小さな手帳を取り出すとページを繰った。

「例えば、こんな歌を詠んだ人がいるんだけど・・・」

 『世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』

「・・・? よく分からんが・・・」
「これはね、『もし桜がなければ、みんな平静でいられるのに』という意味らしいんだけど・・・どうもピンと
来なくて。」
「まあ確かにな、桜にはそういう部分があるかも知れないが・・・だがこれは春の歌だろう? 冬軍に
入っているのに、まずいんじゃないのか?」
「そうなんだよ。こっそり本を探すのは大変だった。」

苦笑いするハシバミ。その様子を見て、ふと何かに気付いた様子のアヤメはハシバミにこう問い
かけた。

「お前、あの時桜を見たいって言ってたのは・・・」
「うん。実物を見れば、この歌を詠んだ人の気持ちが分かると思ってね。」

照れ臭そうに笑うハシバミ。

「僕が冬の弱小精霊である限り無理な話だって分かってはいるんだけど・・・どうしてもこの気持ちを
抑えられなくて・・・。」
「そうだったのか。・・・なあハシバミ、もし・・・」
「そうだ! アヤメも歌詠みをしてみないかい?」
「わっ・・・私がか?」

思わぬ提案にアヤメは目を丸くした。

「そうだよ。・・・実は、興味津々なんだろう?」
「いや、私など・・・戦いしか能がないから・・・」
「でも、こっちの才能もあるかも知れないよ? やってみる前から諦めてたら、何もできないと思う
けどな・・・。」
「・・・・・・。」


  *


やがて、ハシバミはポツリとこんなことを言い出した。

「ねえアヤメ、この戦いはいつまで続くんだろう。」
「さてな。どちらかの軍が毎年の交戦区域を恒久的に確保することができれば、あるいは勝利と
言えるのかも知れないが・・・今のような状況では難しいだろうな。・・・どうしたんだ急に?」
「僕は時々思うんだ。この戦いに意味があるのかな・・・ってさ。」
「戦いの意味だと?」

驚いた様子で聞き返すアヤメ。

「そうさ。冬軍と春軍は長い間戦い続けてきた・・・それこそ、きっと有史以前からじゃないかな。なのに、
未だに決着が付かないんだろう? それなら、話し合いで支配地域と期間を決めれば・・・」
「何を言う! 冬軍が大地を雪で覆い水を凍らせるために、一年の実に三分の一近くが荒涼とした
死の世界になってしまうのだ。この地に生きとし生けるもの全てにとってこれは脅威以外の何物でも
ないではないか!」
「でも、それがあってこそ成り立つ物だってあるんじゃないかな。ほら、さっきアヤメが食べてたリンゴ
だって、冬の寒さがないとできないんだし。」
「そ・・・それはそうだが・・・」

たじたじとなるアヤメ。その様子を見ながら、ハシバミは静かに言葉を続ける。

「確かに僕も、冬は死の季節だと思うよ。でも、それがあるからこそ生物の営みが保たれているとは
思わないかい?」
「冬があるからこそ・・・?」
「うん。僕らは毎日夜になると寝るわけだけど、そうしないと生きていけないだろう? それと同じで、
冬は言わば一年の『夜』の役目を果たしていると・・・」
「確かに、お前の言うことには一理あるようだな・・・それは認めよう。しかし!」

立ち上がり、早口でハシバミの言葉を遮るアヤメ。

「春軍と冬軍は長い間仇敵の間柄だった。犠牲になった春の精霊は数え切れん・・・今更手を結ぶ
ことなど、絶対にできん!」
「それは冬軍だって同じさ。・・・でも、憎しみからは何も生まれないよ。いつか、誰かがそれを乗り越え
なくちゃ、死んでいった人たちも無駄死にってことに・・・」
「何だと!? もう一度言ってみろ!!」

鋭い言葉と共に、ハシバミの喉元にアヤメの薙刀が突きつけられる。どうやら、ハシバミの発した
「無駄死に」という言葉が、生粋の軍人であるアヤメの逆鱗に触れたようだった。

「冬軍はどうだか知らんが、春軍においては戦での死は最高の名誉とされている。その神聖な
ものを・・・言うに事欠いて『無駄死に』だと!? 二度と、私の前でそのようなことを口にするな!
・・・次は無いものと思えよ!!」
「あ・・・アヤメ、どこへ・・・」
「帰る! お前のような奴とはこれ以上話してられん・・・中に引っ込んでろ!」

振り返りもせずにハシバミを怒鳴りつけると、アヤメは春軍の本営目指して飛び去った。
悲しそうな顔をしてそれを見送ったハシバミは、小さな溜息をつくとアヤメの残していったカゴを片手に
洞窟の中へと引き返していった。


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