春よ、来い
プロローグ
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2
3
エピローグ
−3− (真竜暦4988年・土竜の月15日)
ふと人の気配を感じ、洞窟の壁に寄りかかっていたハシバミは視線を上げた。視線の先・・・洞窟の
入り口に僅かな月の光に照らされて立っていたのは、思いつめた表情のアヤメだった。
「アヤメ・・・。」
アヤメは何も言わず、洞窟に入ってくるとハシバミの隣に膝を抱えて座り込んだ。
「もう来ないと思ってたよ。」
「・・・・・・。」
「何かあったのかい? 僕でよかったら、話してくれないかな・・・。」
「・・・妹が、死んだんだ・・・。」
「!!!」
ハシバミの方を見ようともせず、アヤメは淡々と話し始めた。まるで、感情を押し隠そうとするかの
ように・・・。
「北都の連中を追っ払ったという話は、この前会った時にしたな。だが、山脈の向こうにはまだ南都の
連中が残っていたんだ。」
「・・・・・・。」
「私は、上層部に進言した。北都師団を撤退に追い込んだ今、放っておいても南都師団は撤退を
開始するはずだとな。それを待てば無駄な犠牲は避けられる、と・・・。」
「・・・・・・。」
「だが、勝利に慢心した上層部は南都師団への攻撃を強行したんだ。無傷だった奴らの抵抗は激しく、
我が軍にも多数の犠牲が出た・・・そして、最前線に投入されたカキツバタは敢えない最期を遂げて
しまったんだ・・・!」
ふいに顔を上げ、ハシバミの瞳を食い入るように見るアヤメ。その目には、やりきれなさから来る涙が
滲んでいた。
「私は・・・分からなくなったんだ。今までは、純粋に冬軍は敵だと思っていた・・・そうだ、互いに春軍と
冬軍は相容れぬ存在、相手は野蛮で冷血な奴らだとな。だがな、お前の話を聞き、今こうして自分の
身にこんなことが起こって考えを変えざるを得なくなった。・・・冬軍の中にも今の私と同じような
気持ちを味わっている者がいるのだと思うと・・・どうにもやりきれなくなったんだ。」
「・・・・・・。」
「なあハシバミ、一体私は・・・いや、私たちはどうしたらいいんだ? お前が言うように話し合いの
手段を模索するべきなのか、それとも・・・」
「それを決めるのはアヤメ、君だ。僕じゃない。」
「ハシバミ・・・。」
いつになく強い調子で話を遮ったハシバミに驚くアヤメ。そんなアヤメに追い討ちをかけるように、
ハシバミは言葉を継いだ。
「この前話したことは、あくまで僕個人の考えなんだ。冬軍の中には、確かに君が心配しているような
『野蛮で冷血』な人も数多くいる。そして、戦いしか目に入っていない、戦いこそが生きる喜びだと豪語
してはばからない人たちもね・・・。そして、それは程度の差こそあれ、きっと春軍だって同じだろう。」
「・・・しかし、それでは・・・」
「もちろん、大多数の人たちは和平を望んでいると信じたい。いや、信じて歩き始めるしかないんだ。
アヤメ、君にはその力も資格もあると思うから・・・。」
「・・・・・・。」
アヤメは唇を噛んでうなだれた。
「最後に一つ、これだけは伝えておくよ。もし冬軍と話をしようと思ったら、今の冬将軍を相手にすると
いい。シラカバ様はまだ若く、柔軟な思考ができる方だから・・・。」
「・・・そうか。」
「今の話を聞いて、敢えて茨の道である『話し合い』を選ぶのか。それとも今まで通り殺し合いを続けて
いくのか・・・それを決めるのは君に任せるよ。僕は、どうやらもういかなきゃならないようだから・・・。」
「・・・!?」
この時になって、初めてアヤメはハシバミが苦しそうに肩で息をしているのに気が付いた。
「そんな・・・そうならそうと、なぜもっと早く言わない・・・!」
「前に会った時から、そろそろ限界かな・・・とは思ってたんだ。でも、それを言い出せないまま君は
ここへ来なくなってしまったし・・・。」
(そうだった・・・!)
後悔の念に苛まれ、拳を握り締めるアヤメ。そんなアヤメの様子を見て、ハシバミは努めて明るい
調子でアヤメに話しかけた。
「アヤメ、最後に一つ頼みがあるんだ。・・・聞いてくれるかい?」
「あ・・・ああ、何だ? 何でも言ってみろ。」
「僕を外へ連れ出して欲しいんだ。・・・自然の精霊らしく、最期は外で迎えたいんだ・・・ダメかい?」
「よし分かった・・・ほら、つかまれ・・・。」
アヤメはハシバミを背負うと、洞窟の入り口に向かって歩き始めた。その体が初めて会ったときに
比べてかなり軽くなっていることを感じるにつけ、アヤメはハシバミとの別れが近いことを感じるの
だった。
洞窟から出たところで、ハシバミは正面の木を指差した。
「あの木・・・あそこに・・・。」
「ああ・・・分かった。」
ハシバミをそっと地面に下ろすアヤメ。木に寄りかかったハシバミは、アヤメににっこりと微笑み
かけた。
「ふふ・・・今だから打ち明けるけどね、実は最初から分かってたんだ・・・わざわざ君がここを選んだ
理由さ。・・・これ、桜の木なんだろう?」
「・・・何だ、ばれてたのか。」
「何となくね。・・・結局、桜の咲くのは見られなかったけど・・・それはそれで良かったのかも・・・。」
「何を言っている? ・・・ほら、もう花が咲いているじゃないか。」
「え・・・?」
驚いてハシバミが頭上を見上げると、先程までは完全な枯れ木だった桜の木がいつの間にか満開の
花をつけていた。目の前を横切る花びらを呆然と見詰めるハシバミ。
「これが・・・桜の花・・・」
「そうだ。お前が好きだと言っていたあの歌のな。・・・どうだ、歌人の気持ちは分かったか?」
「ああ・・・何となくね。」
にっこりするハシバミ。
「これで、本当に・・・思い残すことはない・・・。さあ、僕を斬るんだアヤメ・・・今ならまだ間に合う・・・。」
「何を・・・この期に及んで・・・!」
「こんな僕でも、討ち取ったとなれば・・・少しくらいの勲功にはなるだろう。・・・最期くらい、君の役に
立たせてくれ。」
「・・・そうか。では・・・ハシバミ、覚悟!」
「・・・・・・。」
ハシバミは無言で目を閉じた。アヤメは薙刀を一閃し、・・・ややあって、ハシバミのすぐ近くの一枝が
音もなく切り落とされた。
「・・・いいのかい、また軍規違反だね・・・。軍花の木を切ったりしてさ・・・。」
「うるさい死体だな。死体は死体らしく、黙っているがいい。」
「ふふ・・・そう・・・だね。」
そっぽを向いたアヤメに向かってハシバミは微笑むと、満足そうに目を閉じた。
「最期に・・・君のような・・・人に、・・・逢えて・・・良・・・かっ・・・」
ハシバミの言葉が終わらないうちに一陣の春風が林を吹き抜け、桜の花びらが吹雪のように散る。
風が収まった時、そこに残されていたのは、あの小さな手帳とハシバミの刀だけだった。
それをゆっくりと拾い上げながら、アヤメは桜の木に向かって静かに話しかけた。
「ハシバミ・・・お前は、本当にずるい奴だな。・・・言いたいことだけ言って、さっさと消えてしまうん
だからな・・・。」
「そうだ、お前の言ってた『歌詠み』な、一応やってみたんだぞ・・・? それも聞かないで消えてしまう
なんて、ひどいじゃないか・・・。」
「知ってるか? 桜の花びらを地面に落ちる前に拾うことができると、願いが叶うんだそうだ・・・我が
春軍に伝わる伝説さ。」
「お前の本当の願いは何だったんだ・・・? それくらい教えてくれても良かったのにな。なあ、
ハシバミ・・・」
「・・・うっ・・・くっ・・・」
「本当はな、・・・私は・・・お前がっ・・・!!」
「う・・・うわああああああああああ!!」