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春よ、来い


 −プロローグ− (真竜暦5036年・土竜の月1日)

土竜の月に入って間もないある日。今日もコーセルテルではカシが春軍に追われていた。

「待ちなさい、そこの冬軍!」
「土竜の月は春軍の管轄よ! おとなしく冬の都に引っ込んでなさいっ!!」
「うっうるせえっ! だから、何もしないって言ってんだろ!!」

必死に逃げるカシ。だが春軍も追及の手をゆるめないでどこまでも追ってくる。

「いいえ、この時期に冬の都を出てくること自体が重大な条約違反だわ!」
「構わないわ、多少手荒になってもいいから、捕まえて強制送還よ!」
「手荒になっても・・・だと?」

春軍の何気ない一言に反応し、カシは憤然と春軍に向き直った。

「この俺を力ずくで捕まえられると思ってるのか?」
「今よ!!」
「覚悟なさい!」
「面白い! やれるもんならやって・・・おわっ!?」

春軍がカシに飛び掛ろうとしたその瞬間、カシの体は見えない力に引っ張られて湖の方へ墜落
していった。

「お・・・おい、誰だ! こんなことをするヤツは・・・竜術士か!?」
「あ、逃げたわよ!」
「待て、冬軍! 神妙にしなさいっ!!」
「ちょ、ちょっと待てって・・・うわーーーーーーっ!!!」

どぼーーん。
派手な音を立てて、カシはそのまま湖に飛び込んでしまった。

「ふん、墓穴を掘ったわね。」
「今に出てくると思うから、その時に捕まえるわよ!」

湖の上で待ち構える春軍。だが、時間が過ぎても一向にカシは浮かんでこない。
さすがの春軍も心配になってきたらしく、

「出て・・・来ないわね。」
「まさか、溶けちゃったのかしら?」
「これは、あたしたちの罪にはならないよね? あいつが勝手に飛び込んだんだから・・・。」
「そ・・・そうね。大丈夫だと思うけど・・・。」

などと言い合っていたが、その間もカシは浮いてこない。顔を見合わせていた春軍は、きまりが
悪くなったのか退散していった。


  *


その頃マシェルの家では、びしょぬれになったカシがぶつぶつ言いながら頭を拭いていた。

「ったくよ、いつもお前はそうだよな。もう少し『お手柔らか』な方法はねえのか?」
「はは、ごめんごめん。ちょっとやり過ぎたかな?」
「当たり前だ! 地竜術で俺を湖に墜落させておいて、今度は水竜術でここまで連れてきた、ってん
だからな・・・。やれやれ、竜術には手も足も出ねえな。」
「でも、今にも斬り合いが始まりそうだったから・・・。」
「斬り合い? バカだな、この俺様が春軍ども程度を相手にこの刀を抜くわけないだろ。」

と、カシは腰の刀に手をやった。

「これは冬将軍直々に授けられた大事なもんだからな。」
「・・・その割には、考えなしに使っているくせに。」
「う・・・いや、そんなことはない・・・ないはずだ。」

すかさずナータに突っ込まれ、たじたじとなるカシ。

「じゃあ、あの時はどうするつもりだったの?」
「ああ、吹雪の一発もかましてやればおとなしく退散すると思ってな。」
「ふう。・・・やっぱり、ナータの言うとおり君を春軍から引き離してきて正解だったよ。折角春になった
のにまた雪なんて降ったら、みんなが大変だよ。」
「ははは。・・・おう、タオルありがとな。」

使い終わったタオルをマータに渡すカシ。マータは幸せそうにそれを抱きしめたが、アータとナータが
呆れた表情で自分を見ていることに気が付くと『何よ!』という顔をした。

「まあでも、何事もなくすんでよかった。・・・それにしてもさ、春軍の人たちもなんでそうカシを目の敵に
するんだろう。別にカシが何かしたわけじゃないのにね。」

がたん。
これを聞いたカシは、座っていた椅子から派手にずっこけた。

「その内ケガでもしたら大変・・・ってカシ、どうしたの?」
「お・・・おいマシェル、念のため聞くが・・・今のは本気で言ったのか?」
「そうだけど・・・え? 何か変な事言ったかな、僕?」

体を起こすとカシは肩を竦め、溜息をついた。

「やれやれ。他の竜術士どもが、お前は歴史の勉強が足りないって言ってるのを聞いたことが
あるが・・・確かにこりゃ重症だな。」
「え? え?」

ティーポットを持ったまま、目を白黒させているマシェル。

「あのな! 俺の肩書きに付いている『軍』は飾りじゃねえんだぞ。これでも、ほんの数十年前までは
各季軍の間で実際に殺し合いがあったんだからな。」
「えぇ!? 本当!?」
「そうだ。って本当に知らなかったのか? 特に俺たち冬軍と春軍の間の争いは規模がでかくてな・・・
まあ、それも俺たちが季軍の中で最強だったからだが・・・。」

と、いつものようにふんぞり返るカシ。

「でも、殺し合いだなんて・・・僕そんなの見たことないよ!」
「当たり前だ!! 言ったろ、数十年前までは・・・って。その後、誰がどう根回ししたのか知らんが
各季軍間に不可侵条約が結ばれてな、戦争はなくなったのさ。」
「カシ、君・・・まさか・・・」
「心配しなくてもいいぞ。俺が冬軍に入ったのは、その不可侵条約締結後だからな。」
「そう・・・か。」

青くなっていたマシェルは、その答えを聞いてほっとした様子で胸をなでおろした。その様子を見ていた
カシは、胸元から古びた手帳を取り出した。

「・・・それは?」
「これか?・・・昔な、冬将軍に渡されたのさ。」
「冬将軍に?」
「ああ。もっとも、さっき誰かさんのせいで危うく失くすところだったがな。」
「ごめん、悪かったってば・・・。」

きまり悪そうに謝るマシェルに、カシは軽く手を振った。

「まあいいさ。・・・その頃俺はまだ冬軍に入ったばかりでな、毎年春になるとおとなしく冬の都に帰る
のが気に食わなかった。で、ある日冬将軍に向かって『なぜ春軍どもと一戦もせずに退却するん
ですか!?』ってつっかかったことがあってな。」
「うん。」
「それに対する冬将軍の答えがこの手帳だった。その時冬将軍はこの手帳について教えてくれたん
だが・・・結局俺に分かったのは『もう戦はしない』ってことだけだったな。」
「・・・ふーん?」

首を傾げるマシェル。遠い目をしていたカシはふいにぽん、と手を叩くと、マシェルにこんなことを
言い出した。

「・・・そうだ! その時俺が冬将軍にされた話をお前にも聞かせるから、一体冬将軍が何を言い
たかったのか後で教えてくれないか?」
「うん、いいけど・・・。」
「この手帳の由来はな・・・」


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