カムフラージュ
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「いや・・・先程は大変失礼した。若に何かあっては・・・と、つい取り乱してしまってな。」
「もういいわ。・・・まさか、大の男に胸倉を掴まれるとは思わなかったけど。」
「重ね重ね、申し訳ない。」
恐縮しきりの相手に向かって、メリアは肩を竦めてみせた。
ここは、魔獣族居住区の一角にある居酒屋。若と呼ばれていた魔獣の子供は、少し離れたテーブルに
一人で腰掛けている。どうやら、相手はこの子に話の内容を聞かせる気はないらしい。
まだ昼間とあって、店内には他の客の姿はまばらだった。もちろん、その全てが魔獣族である。およそ
人間の女性を連れ込むにはお世辞にも相応しい場所とは言えなかったが、他の人間たちが近付か
ないところでもあり、騒動の種になることは避けられそうだった。
「ところで、いい加減そのフードをとってもらえないかしら? いつまでも顔を隠したままだなんて、
失礼だと思うけど。」
「おお、これは気が付かなかった。」
小さく頭を下げた相手は、深く被っていたフードを脱いだ。その頭頂から後頭部にかけて、三本の
大きな角があるのがメリアの目に入った。
(立派な角・・・)
角は、本来魔獣族のステイタスである。しかし、最近ではこれほどの角を具えた魔獣族は珍しかった。
・・・栄養状態が悪く、また厳しい環境で生活するうちに角を失うことが多いからだ。
角に見とれていたメリアに向かって、相手は徐に口を開いた。
「そうだ、自己紹介がまだであったな。・・・儂の名はヴェレス。そなたは?」
「私はメリア。」
「メリアか。・・・良い名ではないか。」
「そう? ありがとう。」
ここで初めて笑顔を見せたメリアに向かって、ヴェレスと名乗った壮年の魔獣族は牙を剥き出した。
普通の人間なら驚いて悲鳴の一つも上げるところだろうが、メリアはそれが人間でいうところの
「笑顔」に当たる魔獣族特有の友愛の仕草だと知っていた。
「ねえ、ヴェレス・・・と言ったわね。一つ、聞いてもいいかしら?」
「おお、何だろうか?」
「詮索する気はないんだけど・・・。こんなところに、何しに来たの?」
「・・・どういう意味かな?」
メリアの問いかけに、ヴェレスは警戒するようにすっと目を細めた。そんな相手の様子には委細
構わず、メリアはヴェレスの目をじっと見つめると言葉を継いだ。
「あなたはここの人じゃないわね。ここ、ウォラストは確かに魔獣族の多い町だけど・・・白昼堂々と
術士ギルドに来る魔獣族はいないわ。それに、あなたが『若』と呼んでたあの子のこともあるし。
・・・何か、訳ありなの?」
深く考えて訊いた訳ではなかった。
しばらくの間、探るような目付きでメリアのことを眺めていたヴェレスは、やがてふっと表情を和らげた。
「・・・そうだな。若の命の恩人であるそなたには、本当のことを話さねばなるまい。」
「別に、無理にとは言わないけど・・・。」
「後ろめたい目的ではないのだ、構わぬよ。・・・若の為にな、術士を探しに来たのだ。術士ギルドが
ある最寄の町がここ、ウォラストだったのでな。」
「そうだったの。」
エリオットは広い領土を持つ国であるが、特にその西部は気候も悪く土地は荒れている。そのため、
一旦全土を制圧した人間族は、主にウォラストとレヴェリスを結ぶ通商路・・・ラパロ街道よりも東に
居住していた。当然、都市らしい都市は全て、この街道より東側に存在することになる。
「それで? 待望の術士は見つかったのかしら?」
「いや。ギルドの主人の返事は、実にそっけないものであった。」
「・・・・・・。」
自分が、その魔獣術士なのだと言ったら・・・相手はどんな反応をするのだろうか。一瞬そんなことを
考えかけたメリアは、慌ててそれを打ち消した。
「今度は、こちらから尋ねたいことがあるのだが・・・良いかな?」
「え・・・ええ。何かしら。」
「若は、そなたの魔獣術によって救われた。・・・失礼ながら、あの魔獣術は一体どこで身に付け
られたのだ?」
ヴェレスの質問に、メリアは少し遠い目をした。
「ちょっと・・・ね。死んだ父さんが、魔獣術士だったから・・・」
「ほう。・・・よろしければ、名前を教えていただけないだろうか?」
「父さんの?」
メリアの父の名を聞いたヴェレスは、次の瞬間椅子を蹴倒さんばかりにして立ち上がった。
「何と!! それでは、そなたは・・・かの高名な魔獣術士に連なる者なのか!!」
「え・・・ええ、そう・・・なるのかしらね。」
血相を変えたヴェレスの様子に、たじろいだメリアは肯定の言葉を口にした。
周囲のテーブルから、何事かと驚いた魔獣たちの視線が二人に集中する。「魔獣術士だって?」
「まさか・・・あんな若い女がか?」といった囁きが交わされる中、感に堪えないといった様子の
ヴェレスは、メリアをじっと見つめながらゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「あ・・・あの・・・?」
「そうか・・・そうだったのか。・・・いや、これは運命とでも言うべきか。是非にでも頼まねばなるまい。」
しばらくの間黙り込んでいたヴェレスは、やがて誰にともなくこう呟いた。事態が飲み込めず、目を白黒
させていたメリアに向かって居住まいを正すと、テーブルの上に両手をついて頭を下げる。
「・・・メリア殿、正式にお願いしたい。若・・・クオン様の、術士になっていただけないだろうか。・・・無論、
ここでという訳には行かぬ故、我らの砦に来てもらうことになるが。」
「ちょ・・・ちょっと待って! 私は、魔獣術士じゃないのよ!?」
「否やはないはずだ。」
慌ててかぶりを振ったメリアを、ヴェレスはじっと見つめた。
「儂がギルドに入るとき、そなたは既に入り口の傍にいたな。それこそ、そなたのようなうら若い
女性が、一人で佇むには不似合いな場所であろう?」
「それは・・・」
「そなたにも分かっているはずだ。術士ギルドに来る者の目的は二つしかない。術士を得ようとするか、
あるいは術士として登録を行おうとするのか・・・のな。もっとも、先程の騒動の顛末を見れば、何故
そなたが魔獣術士の登録をする気にならなかったのかは、察するに余りあるがな。」
「・・・・・・。」
ヴェレスの言葉に、メリアは俯いた。確かに、メリアが魔獣術士としてギルドに登録を申し出ることが
できなかったのは、この町に“魔獣術士”が受け入れられるとはどうしても思えなかったからだ。そして
それが事実であることは、クオンと呼ばれた魔獣の子供を助けた際の周囲の反応からも明らか
だった。
しばらく考えていたメリアは、やがてぽつりと呟いた。
「でも、そんな急に言われても・・・。」
「無論、今すぐにとは言わぬ。あまり時は差し上げられぬが、じっくりと考えられてからにされれば
良かろう。・・・これは、そなたにとっても人生の大きな転機になるであろうからな。」
ここまで言ったヴェレスは、再びフードを被ると立ち上がった。
「明日まで・・・時間をもらえるかしら。」
「承知した。では、明日の朝・・・また、ここで。よろしいか?」
「分かったわ。」
メリアの返事に頷いたヴェレスは、二人の話が終わるのを待っていたクオンを連れて店を出ていった。
その後姿を見送っていたメリアは、やがて小さく溜息をつくと、視線をテーブルの上へと戻した。
(・・・・・・)
魔獣術士を目指していた自分にとっては、これは大きなチャンスのはずだ。クオンという魔獣の子供は
充分な魔獣術の素質を具えていたし、命を救ったことで大きな信頼感も芽生えている。術士としてあの
子を預かるには、理想的な状態であると言えるだろう。
しかしその一方で、これが身の破滅に繋がるのではないか・・・という思いも消し難くあった。魔獣を嫌悪
する風潮がこの国全体に広がっている今、魔獣術士としての名乗りを上げれば、自分は人間社会から
村八分にされる危険性もあるのだ。
(どう、しよう・・・)
相反する二つの考えに苛まれたメリアは、決心のつかぬまま・・・やがてゆっくりと立ち上がった。
彼女の家は、魔獣たちの居住区である西岸に程近い一角にあった。