カムフラージュ
1
2
3
4
5
−3−
「やあ、メリア・・・遅かったね。」
晩秋の日没は早い。
家路を急いでいたメリアは、家の前まで来たところで不意に声をかけられ、びくりと体を竦ませた。
「ジョルジュ・・・。」
「君が西岸へ行くのを見かけた人がいたからね。もう少し帰りが遅かったら、捜索隊を出すところ
だったよ。・・・無事かい?」
「ええ、ありがとう・・・。」
「・・・あまり、心配させないで欲しいな。君が魔獣どもの近くにいる・・・と考えただけで、いてもたっても
いられなかったよ。」
家の前でメリアを出迎えたのは、一人の青年だった。メリアの無事を喜び、微笑を浮かべていた青年の
表情は、“魔獣ども”という言葉を境にはっきりと憎悪に歪んだ。
「ごめんなさい、ジョルジュ。でも・・・」
「でも?」
私のことを監視するような真似はやめて・・・と言いかけて、メリアは口を噤んだ。
ジョルジュは、この港町ウォラストの市長の息子だった。学生時代にメリアに一目惚れした彼は、当時
やんわりと断られたにも拘わらず、その後もメリアへの開けっぴろげな好意を隠そうとはしなかった。
このウォラストで暮らしている以上メリアとしてもあまり邪険にすることもできず、こうしてどっち付かずな
関係がもう五年以上も続いている。
実際、メリア自身はどちらかというとこのジョルジュという青年が嫌いではなかった。容姿にも恵まれ、
頭もよく、政治や経済についての造詣も深い。地位のある者が陥りがちな高慢なところも、また豊かな
者が往々にして見せる気障なところもない。その点からしても、次期市長に相応しい人間だと今でも
思っている。
知り合った当初は、本気で彼の好意を受け入れようか・・・と考えたこともあった。それをメリアが思い
留まったのは、ジョルジュの心の中に、異常とも言える魔獣族への憎しみがわだかまっていることに
気付いたからだった。
「それで? 家を出る決心はついたのかい?」
「それが・・・。まだ、仕事も決まってないし。」
「メリア・・・。僕と結婚してくれれば、そんな心配からは解放されるんだよ? いや、君がどうしてもと
言うなら、僕が希望の仕事を探してあげたっていい。・・・何がしたいんだい?」
「それは・・・」
まさか、相手の最も嫌悪する対象を守り育てる“魔獣術士”になりたいと言うわけにもいかない。無論、
メリアとしてもいつまでも隠しておくつもりはなかったが・・・少なくともそれを告げるのは今ではない
はずだ。
慌てたメリアは、ジョルジュにこれ以上問いただされないように話題を変えた。
「そ・・・それより、聞いてくれる? 今日、中央大通りで魔獣の子供が馬車に轢かれそうになったの。
目の前にいるのが分かってたのに、御者は避けようともしなかったのよ・・・ひどいと思わない?」
「・・・・・・。」
「別に、人間並みの待遇を・・・とは言わないけど。彼らも、曲がりなりにも私たちの生活に貢献して
くれているんだし、せめてもう少し・・・まともな扱いを受けられるようにできないかしら。」
メリアの言葉を苦笑いしながら聞いていたジョルジュは、肩を竦めるとやれやれ・・・と言わんばかりに
首を振った。
「また、魔獣どもの話かい? メリア。」
「だって・・・」
「君は、歩くときいちいち蟻がいるかどうか心配しながら歩くのかい? ・・・それと同じことさ。道に出た、
その魔獣が悪いのさ。」
「そんな!」
「いいかいメリア・・・魔獣どもは人間じゃない。醜く、穢れた存在なんだ。あいつらは、黙って僕ら人間の
ために働いていればいいんだ!」
「ジョルジュ・・・。」
こうしてジョルジュが魔獣のことを口汚く罵る度に、メリアは複雑な思いに囚われるのだった。
ジョルジュは、魔獣たちを嫌うと同時に、極度に恐れてもいる。いや・・・ジョルジュだけではない。
これは、このウォラストの住人全てに当てはまることだろう。
しかし、それは何故なのか。
確かに言えることは、その恐怖が両者の関係を益々険悪なものにしている・・・ということだった。ある日
突然、その不当な境遇に憤りを覚えた魔獣たちが不満を爆発させ、人間に対して叛乱を起こす。
そんな荒唐無稽な妄想に苛まれた人間たちが益々魔獣たちの生活を締め付け、結果としてその
恐れている事態を引き寄せる結果になっている。全てが逆効果で、際限のない悪循環に陥って
いるのだ。
「きっと、小さい頃からあいつらと一緒にいたから、そんなことを考えてしまうんだろうね。学生の頃に、
無理にでも君をお父さんから引き離すんだったよ。」
「そんな、ジョルジュ・・・」
「この町から、あいつらがいなくなれば・・・君の気持ちも変わってくれるのかい?」
ジョルジュの何気ない言葉に、メリアは全身が粟立つような恐怖に襲われた。
メリアが彼の求愛をはっきりと断れないもう一つの理由。それは、自分がジョルジュを拒むことに
よって、この町の魔獣たちを酷い目に遭わせてしまうかも知れないということだった。
求愛を拒むことによって、自分が傷つくのは仕方ない。ジョルジュと無理に一緒になったとしても、
やがて考えの違いから袂を分かつことになるのは目に見えている。お互いの傷が深くならないうちに、
はっきりと断るべきだろう・・・例えそのために、自分がこの町を出て行かざるを得なくなってもだ。
父が死んだ今となっては、メリアにとってこの町はそれほど思い入れのある場所ではなくなっている。
だが、この町には数多くの魔獣たちが暮らしていた。
「あなたが魔獣族を嫌うから」とはっきり彼に言ったとき。逆上したジョルジュの反応がメリアには恐ろし
かったのだ。下手をすれば、いみじくも彼自身が口にしたように、魔獣たちの暮らしている町の西岸に
兵を向けることまでやりかねない。
魔獣術士の家系に生まれ、その幼少時代を魔獣たちと共に過ごしたメリアとしては、魔獣たちがこれ
以上迫害される引き金を引くことだけは避けたかったのだ。
「とにかく、あいつらには近付かないように。何か起こってからじゃ、君を守りきれないからね。」
「・・・・・・。」
「今日はもう遅いな。・・・また来るよ。」
黙って俯いたメリアの様子を恥じらいと受け取ったのか、ジョルジュは微笑むと踵を返した。
聞けば、彼の父・・・現ウォラスト市長は老齢のため、近年体調が優れないのだという。本人も隠居を
仄めかしており、ジョルジュが次期市長になる日も近いと噂されていた。
しかし、その時・・・彼は魔獣族に対して、どう接するのだろうか。それが、メリアには心配でならな
かった。
(・・・そうだ)
去っていくジョルジュの後姿を眺めていたメリアの頭に、閃くものがあった。
もし、自分がヴェレスの誘いを受け入れたなら。自分が、魔獣たちと人間たちの架け橋になれるかも
知れない。そうだ・・・例えこの町から魔獣たちが立ち退かなくてはならなくなったとしても、それを
穏やかに済ませることができるかも知れないのだ。
人間と魔獣の間の全面的な衝突という事態になれば、両者に多くの犠牲者が出るだろう。今は聞く耳を
持ってくれないジョルジュも、いずれ市長という地位ある立場に立った暁には、個人の好悪の感情を
超えて理性的に対応してくれるはずだ。そうすれば、全てが丸く収まるのだ。
考えれば考えるほど、これしかない・・・と思えてくる。
決然とした表情で拳を握り締めたメリアは、頷くと自らの家へと戻っていった。だが、このときの自身の
決断が、その後のエリオットの運命に大きな影を落とすことになるとは、メリアはまだ気付いていな
かった。