カムフラージュ
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月日は流れ、やがて年が明けた。
病を得ていたウォラスト市長が、その職を息子のジョルジュに譲ったのは年の暮れも押し迫った頃
だった。就任式も無事終わり、彼の周囲も落ち着いたと判断したメリアが、件の交渉のために砦を
後にしたのは二月前。
しかし、メリアはなかなか戻らなかった。例え徒歩であっても、一月もあればウォラストとの往復は
容易いはずだった。いくら交渉が長引いたとしても、もう戻って来なければおかしい頃である。
メリアが戻らないことで、砦内には次第に不穏な空気が流れるようになっていった。・・・メリアは、人間
たちが自分たちの様子を探らせるために放ったスパイだったというのだ。その不安は、ウォラストの
守備に就いているはずのエリオット国軍が現れて周囲の畑を焼き払い、魔獣たちを砦の中に追い
立てた時点で頂点に達した。
そんな中、ヴェレスは毎日黙って砦の東門の上に陣取り、彼女の帰りを待った。
信じて、待つしかない。メリアは、人間の社会での生活を捨ててまで自分たちの許にやってきてくれた。
それは、非常に勇気の要る決断だったに違いない。
自分が信じずに、誰が信じるというのか。そうだ・・・自分は彼女に本心を語り、彼女に賭けたのだ。
自分には、その結果を見届ける義務があるはずだ。
(メリアよ・・・無事に、戻ってきてくれ・・・)
祈るような気持ちで、ヴェレスは待った。
エリオット軍の本体がやってきたのは、籠城が始まって三日後の午後遅くのことだった。
「直ちに、戦闘体制をとれ。」
「はっ!」
最初に気付いたヴェレスが、即座に命令を下す。それで、砦の中は俄かに慌しくなった。
それまで、砦を包囲していたエリオット軍は凡そ三千。それだけでも砦の制圧には充分なはずだが、
このとき街道を進んできた軍は、どう見ても優に一万を超えていた。どうやら、指揮官はこの圧倒的な
兵力でこの砦を一気に叩き潰すつもりらしかった。
軍が砦に近付くにつれ、少しずつ人の顔が見分けられるようになってきた。先頭にいるのは、若い男女
二人。女性の方は後ろ手に縛られ、体中傷だらけだった。・・・それが誰であるのかは、ヴェレスには
見る前から分かっていた。
砦に籠る魔獣たちが息を呑んで見守る中、軍の指揮官らしい青年は砦の前まで進み出ると、その声を
張り上げた。
「魔獣ども、よく聞け! 私はウォラスト市長、ジョルジュ・ラシェーズだ。これより、ここでメリア・
シールザードの公開処刑を行う!」
(やはりか・・・)
「処刑・・・!?」
「あいつは・・・スパイじゃなかったのか!?」
「ああ・・・メリア様だ!」
ざわつく砦内。門の上からその光景を眺めていたヴェレスは、いつしかその拳を固く握り締めていた。
・・・ウォラストでメリアがどのような仕打ちを受けたのか、瞬時に察したからだ。
「人間の癖に、我らを裏切って貴様らに加担したからこうなるのだ。貴様らを叩き潰すのは
その後だ・・・よく見て、冥土の土産にするがいい!!」
叫ぶようにそう言ったジョルジュはメリアの髪を乱暴に掴むと、彼女を自身の前に引き据えた。腰に
携えていた剣を鞘から抜き放ち、一瞬それを魔獣たちに見せ付ける。
「・・・死ね!!」
大きく振りかぶられた剣が、メリアの首に向かって振り下ろされる。
砦から、大きな悲鳴が上がった。・・・だが、剣はメリアの首には届かなかった。
(・・・?)
項垂れていたメリアは、目を開けると身をよじり、背後を見上げた。
「・・・ヴェレス!!」
そこには、メリアを庇うようにしてヴェレスが立っていた。魔獣術による瞬間移動。それは、ヴェレスが
最も得意とする術だった。
剣を受け止めた右腕から鮮血が迸り、それがメリアの頬にも降りかかる。それをものともせず、
ヴェレスはゆっくりとジョルジュの方へと近付いていった。気圧されるようにしてジョルジュは少しずつ
後ずさっていく。
「小僧。・・・人を殺そうとする時はな、・・・もっと力を込めるものだ。」
「な・・・何だと!?」
「ヴェレス、やめて!」
「例えば・・・このようにな!!」
ヴェレスの意図を察したメリアは、両手を後ろ手に縛られたままヴェレスに駆け寄った。しかし、一瞬
早く・・・ヴェレスはその鋭い爪を具えた右手を、ジョルジュに向かって勢いよく突き出した。
「ぐわああああっ!!」
優に三十リンクは吹き飛んだジョルジュは、その場でぴくりとも動かなくなった。
その場を静寂が支配する。
「ヴェレス・・・なんてことを! これじゃ・・・これじゃあ・・・」
「許せ・・・メリアよ。そなたに対するこの仕打ち・・・黙って見逃せる・・・訳があるまい?」
「ヴェレス!」
斬り付けられた右腕を押さえながら、ヴェレスはメリアに向かって微笑んだ。その間にも、足元にできた
血溜りが刻一刻と広がっていく。目に一杯の涙を溜めたメリアは、ヴェレスを睨み付けた。
「もう、こんな無茶はしないと約束して! 魔獣術には、癒しの術はないのよ!?」
「そのことなら・・・相断る。そなたを護るためならば、儂はどんなことでもする覚悟でいるのだからな。」
「あなたも・・・強引ね。出逢ったときから・・・」
「ふっ・・・。それは、褒められていると受け取ってよいのかな?」
「もう!」
泣き笑いの表情でメリアがヴェレスの首を抱き締めたとき、背後の砦の扉が大きく開け放たれ、
クオンを先頭に魔獣たちが一斉に討って出た。
「メリアー!!」
「将軍と、メリア様を討たせるな!」
「者ども続け! 今こそ、魔獣族の底力を見せるときぞ!」
指揮官を失って既に浮き足立っていたエリオット軍は、これをきっかけに一戦も交えることなく潰走を
始めた。
「メリア・・・よかった・・・」
「お二人とも、ご無事で!」
「ええ、ありがとう。・・・ヴェレスが怪我をしているわ。後をお願い。」
「はい!」
分かっていたのだ。魔獣と人間の和解など、既に絵空事なのだと。そして、ジョルジュの死によって、
小康を得ていた両者の関係は悪化し・・・これから再び、長い戦乱に突入することになる。
それでも、顔を上げたメリアの表情は明るかった。これで、自分を縛るものは何もない。
背後の魔獣たちの方を振り返ったメリアは、決然とした表情で告げた。
「さあみんな、行くわよ! ・・・ウォラストの仲間を救出します!!」
『おう!!』
「傷の手当てが終わったら、儂も駆け付けよう。くれぐれも、無茶は慎むようにな。」
「それは、あなたに言われる筋合いじゃないわ!」
「ふ・・・そうだったな。」
言葉とは裏腹に、メリアはヴェレスに向かって輝くような笑顔を見せた。
これが、「クーゼの乱」と呼ばれた一連の魔獣族による蜂起の瞬間だった。