September  プロローグ  1      エピローグ

 −1−

「なあ、頼むよ・・・もう一声!」
「ダメよ。これ以上はびた一文まけられないわ。」
「うーん・・・しかしだな・・・」
「どうするの? あたしはどっちでも構わないけど、そっちは商売道具がないと困るんでしょう?」
「ちぇっ、敵わねえなあ。・・・ま、あんたがそこまで言うんならいい物なんだろ。」

ここは、グレスフェンの街唯一のホテル『黒竜亭』の厨房。フィナにこう畳み掛けられて、諦めたように
肩を竦めた料理長は大人しく代金を払い、鍋を受け取った。そんな相手に、フィナは存外真面目な顔に
なった。

「ありがとう。でも、いい品物は必ず期待に応えてくれるものよ・・・作者に敬意を払うのが礼儀だと
思うわ。もちろん、この場合はお金という形になるわけだけど。」
「確かにな。あんたの持ってくるものには、期待を裏切られたことはないしなあ。」
「当然よ。それがあたしの誇りなんだから。」
「また来てくれよ。待ってるからな!」
「ええ、必ず!!」

笑顔になって手を振る料理長以下に対し、フィナはブイサインを出して見せた。


  *


(これで、今回はおしまいね。一旦家に戻ったら、次の仕入れに行かないと・・・)

街の大通りを北に向かって歩きながら、フィナは次の行商の計画を練っていた。商品の仕入れ先と
その内容、そして売り込み先。考えておかなければならないことはいくらでもあった。
フィナの出身は、南大陸のほぼ中央部に位置するロトルア・・・その首都エアリスの郊外だった。三方を
大国に囲まれ、さして広くもない領土にお世辞にも豊かとは言えない山がちの大地。特産品も、観光地
も持たないロトルアのような小国が生き残りのために取ることのできる道は、必然的に「通商」に限ら
れる。そのような考え方を小さい頃から叩き込まれて育ってきたフィナが初めて両親と共に行商の旅に
出たのは十二歳の時だった。以来、その恵まれた才能によって彼女はめきめきと頭角を現し、現在
では故郷でもピカ一の稼ぎを誇るようになっていた。

「あ、あの・・・」
「・・・?」

行商計画の立案に没頭していたフィナは、横合いからおずおずとかけられた声に反応し、そちらを
振り向いた。グレスフェンの街外れに立っている道案内の看板を前に、そこには思いつめた表情の
一人の青年が立っていた。
顔立ちは整った方だろう。服装は少し変わったものではあったがデザインは上品だし、使われている
生地も良質なもののように見受けられた・・・だが、どういうわけかそれは旅塵でかなり薄汚れていた。
腰には一振りの立派な剣、そして背負っているつづらから覗いている鍋釜の類は、普段そういった
ものを扱っているフィナの目から見ても非常に上等なものだった。どう考えても商人には見えず、
かといって料理人にも見えないこの青年が持っているには、あまりに珍妙な組み合わせである。
声をかけられてから僅か数秒の間に、フィナは相手の観察をそこまで済ませていた。商人にとって
「情報」は時としてその生命を左右する・・・それを得る目は鍛えられているのだった。

「何、あたし? ・・・何か用なの?」
「この看板・・・」
「看板?」

青年に連られて傍らに立っていた道案内用の看板を眺めるフィナ・・・それはごくありふれた何の変哲も
ないものだった。地面に立てられた杭に「右折:ガリッサ」「左折:グレスフェン中心部」「直進:エアリス」
と書かれた矢印型の木の板がそれぞれの方向に向かって釘で打ち付けられている。

「この看板がどうかしたの?」
「これなんだが、看板の向きが・・・」
「あのね、悪いけど言いたいことがあるんならさっさと言ってくれる? こっちもヒマじゃないのよ。」

フィナに早口でまくし立てられ、青年は狼狽した様子になった。

「エ、エアリスはどの方角に当たるのか教えてもらいたいんだ。矢印が上を向いているが、どうやって
上に行ったらいいんだ?」

この台詞に、フィナは数秒間青年の顔を穴が開くほど見つめ・・・そして火がついたように笑い出した。
今時、「上向きの矢印=空の上」だと思い込んでいる人間がいるなんて! なぜ自分が笑われて
いるのかが分からない様子の青年は、そんなフィナの様子をぽかんと口をあけたまま眺めている。
青年の服装がよれよれなのもこれで説明がつくのだろう。いつもこの調子では、さぞかし旅するのに
時間がかかるに違いない。

「何、あなたエアリスに行きたいの?」
「いや、正確にはアークセルトの・・・」

ようやく笑いが収まったフィナは、眦の涙を拭いながら改めて青年に問いかけた。何気なくそこまで
答えた青年はハッと口に手をやった。

(アークセルト? ・・・こんな時期に、鍋釜背負って?)

アークセルトはユックルとフェスタの国境にそびえる、世界で最も活発な火山の名前である。数十年に
一度の割合で噴火を繰り返し、そうでない時期も噴煙の絶えることはない。今はまさにその噴火期に
入るところであり、そのために尚更付近一帯に近づく物好きはいないはずだった。
どうやら、新手のナンパ・・・というわけではないらしい。かといって、フィナにはこの青年が冗談を言って
いるようには感じられなかった。興味を引かれたフィナは、笑顔になると大きく自分の胸を叩いてこう
宣言した。

「いいわよ、ちょうど行く方角も同じみたいだから、あたしが案内してあげるわ・・・ただし、あなたの
持ってるその鍋の仕入れ先を教えてくれたらね!!」


September(2)へ