HAZY MOON
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優に三十分はそのままだっただろうか。
「どう? 落ち着いた?」
「ああ・・・」
「よかった。そういうのを我慢してるのって、体に悪いものね。」
少し照れ臭そうな様子で頬を拭ったナータに向かって、アグリナが笑いかける。その瞳には、いたずらっぽい光があった。
「ねえ、よかったらその髪も・・・あたしが切ってあげようか。」
「なんだと?」
「どうせ、マシェルが死んでからずっと切ってないんでしょう? いい加減手入れも大変だろうし、ここですっぱり“未練”を断ち切るってのはどうかしら。」
「しかしだな・・・」
一体、こんなところで道具もなしにどうやって髪を切るというのだ。そう問いかけようとしたナータは、いつの間にかアグリナの手に鋏が握られているのを目にして、呆れたように口を開けた。
「おまえな・・・。まさか、そんなものをいつも持ち歩いてるのか?」
「そうよ、そのまさか。ふふ、何とかとハサミは使いよう・・・って言うじゃない? 何かと便利なのよ。」
「やれやれ・・・。」
心底呆れ返った顔で、ナータは小さく肩を竦めた。これでは、剣を四六時中持ち歩いているより始末が悪い。
にっこり笑ったアグリナが、手の中の鋏を月に翳してみせた。鈍い光が、切れ味の鋭さを窺わせる。
「それにね。ハサミって、作るのが難しいのよ? ・・・立派なハサミが作れるようになったら、一人前の鍛治だってオヤジが言ってた。」
「・・・それは、おまえの“出世作”なのか?」
「ええ。火竜術士を継ぐときにね。」
「そう、か・・・。」
確かに、この髪は自分の持つマシェルへの“未練”の象徴だった。これから、新しい人生を歩んでいくためには、ここでさっぱりと過去との決別をする必要があるのかも知れない。
しばらくの間考える様子だったナータが、やがて目を閉じると小さく頷いた。
「・・・では、頼む。」
「まかせて!」
笑顔で頷いたアグリナが、その場に座り込んだナータの背後に立つ。日頃からその息子や子竜たちの髪を切っているせいか、その鋏捌きは鮮やかなものだった。
しばらくの間、黙って鋏を動かしていたアグリナが、やがて小さく笑った。
「ふふ・・・。これであたしも、心置きなくここを出ていけるってもんだわ。」
「出ていく? コーセルテルをか?」
「ええ。思い出の詰まった家で暮らすのが辛いのは、あんただけじゃないのよ。」
「アグリナ。おれは、別にそんな―――――」
「あ、別に嫌味のつもりじゃないのよ。・・・実はね、そろそろここでじっとしてるのにも飽きてきちゃって。これも血、かしらね。」
「なるほど・・・な。」
アグリナの実母フィナは、優秀な行商人だったらしい。イフロフとの出会いも行商の途中でのことであり、その血をアグリナも濃く受け継いだということなのだろう。
「もう、十分に竜術士としての仕事は果たしたわ。・・・ここには、あたしが心を傾ける相手は、もういないもの。」
「・・・いいのか? ルイが拗ねるぞ。」
「あの子も、もう一人前よ。いつまでも、あの子の人生にしがみついているわけにもいかないじゃない? これからは、あの子はあの子の人生を、自分で切り開いていかなきゃいけないのよ。」
「・・・・・・。」
「あたしも、母さんみたいに・・・気ままに世界を巡ってみたいの。・・・唯一の気がかりが、いつまでも塞ぎ込んでる暗竜君だった、ってワケ。」
「それは悪かったな。・・・せいぜい、その方向音痴をなんとかすることだ。」
「ありゃ、これは一本取られちゃったな。・・・はい、一丁上がり!」
仕上げにぽんと肩を叩かれ、ナータは立ち上がった。
(・・・・・・)
頭が軽く、首筋が涼しい。考えてみれば、この感触も久し振りである。思えばほんの二年前まではこの髪形だったはずなのに、それが遠い昔のことのように思えるから不思議だった。
「どう?」
「ああ。悪くない。」
首の後ろに手をやっていたナータは、アグリナの問いかけにゆっくりと頷いた。
「さあ、そろそろ夜が明けるわ。・・・あたしたちの“家”に、帰りましょ。」
「ああ。そうしよう。」
見上げた東の空は、徐々に茜色に染まりつつあった。