PURE AGAIN  1         

PURE AGAIN


 −1−

ふと感じた人の気配に、ユーニスは浅い眠りから目覚めた。
無意識のうちに片膝をつき、その左手は剣の柄にかけられている。

(・・・気のせいだったか)

緊張を解いた彼女の瞳に、焚火の炎が映る。
その火がかなり小さくなっていることに気付き、用意してあった小枝を足す。パチパチと枝が爆ぜる
音が、微かな潮騒の音に混じってユーニスの耳に届いた。
ここは、もう南大陸の入り口のはずだ。かつての、人間族の南大陸への侵攻の際に作られたと思しき
野営地跡。その片隅に彼女はいた。
見上げれば、天空には明るい月。そして、故郷では国の守護星とされた『明けの明星』が静かに輝いて
いる・・・しかし、ユーニスがそれを見上げることはもうない。
夜明けまで、幾許もないだろう。

ユーニスが物心ついたときから、故郷は戦乱の渦中にあった。
十五のとき、新しい王が立った。ユーニスとは幼馴染の間柄の、少しひ弱なところのある・・・しかし、
笑顔の眩しい少年だった。それを機に、王と近しい武門の家柄であるユーニスは、父と共に戦場に赴く
ことを決めたのだった。
自分のことを女だと思ったことはなかった。父からも幾度となく「女であることは捨てろ」と言われ続けて
きたし、またそのことを惜しいとも思わなかった。着飾り、何の不自由もない生活ができたとしても・・・
それは「力」に対しては無力である。それよりは、小さくても自分の足で立っていたいと思ったのだ。
そのために、あらゆる努力をした。剣技の修練は元より、独学で自然の力を味方にする術も身に
付けた。それが、やがてはこの国の・・・そして王のためになるのだ。辛いと思ったことはなかった。

日々は戦いの連続だった。
攻めるべきは攻め、斬るべきは斬った。それでも、清廉潔白な彼女に従う者は時を追うにつれて
増えていった。投降してきた敵兵は、王や国にではなくユーニス個人に対して忠誠を誓った者が
多かったのだ。いつしか彼女は救国の英雄として、国の守護星である『明星』と呼ばれるようになって
いった。
ユーニスにとって、それはどうでもいいことだった。戦乱が終息し、この国が平和で豊かな時を取り
戻せれば、自分がどう呼ばれようと些細なことだ。そして、自分に従う者は王に従う者でもある・・・
ユーニスはそう信じて疑わなかった。
しかし、それが大きな間違いの元であることに、このときのユーニスはまだ気付いていなかった。

長い長い戦いの末、統一は成った。
いつしか父を喪い、有能な部下も数多く死なせた。ようやくのことで都へと凱旋したユーニスを待って
いたものはしかし、“謀反の疑い”という思いもよらないものだった。
彼女を捕らえるために差し向けられた兵をその場で切り捨てるのは容易いことだった。城兵には
ユーニスに心を寄せる者も多数おり、牢から脱走することも簡単だった。しかし、彼女はそれを敢えて
しなかった。王に会い、直接話せばきっと分かってもらえる・・・そう考えたからだ。
数日後、ユーニスは王の前に引き出された。仰々しく罪状を読み上げようとする大臣たちを一睨みで
黙らせ、釈明をしようとしたユーニスは・・・王の目を見て言葉を失った。
深い猜疑と憎悪・・・そして恐怖。王がそうした感情に苛まれていることは傍目にも明らかだった。
長過ぎるユーニスの不在と、その圧倒的な武力、そして民の間での絶大な人気に恐れをなした
王は・・・いつしか周囲の佞姦な大臣たちの言うことを信じるようになっていたのだ。
私は、この十年一体誰のために戦ってきたのだ。自分のためではない、そして恐らく民のためでも
ない・・・そうだ、全ては王のためではなかったか。彼のためを思えばこそ、何度も死地をくぐり抜けて
きた。その代償がこれなのか。
悲痛な心の叫びを、ユーニスは口には出さなかった。・・・今更何を言っても、無駄なのが分かって
いたからだ。王は「首を刎ねよ」とは言わなかった。それが、王に残された最後の慈悲なのだと信じ
たかった。

(あれは・・・恋だったのかな)

今となってみると、自分があの時王に対して抱いていた感情は・・・恋に近かったのではないかと思う。
全ては、王のために。単なる忠誠心以上のものが、そこにはあったような気がする。もしかしてそれは、
自分が女であることと関係があったのかも知れない。
・・・しかし、その想いは届かなかった。

一月後、“恩赦”という名目でユーニスは釈放された。民の間で絶大な人気を誇る彼女の処刑は、
流石の大臣たちも二の足を踏んだのだろう。
“謀反を企んだ”という大臣たちの喧伝を信じ、ユーニスを罪人扱いする者がいる一方で、彼女の
無罪を信じて立ち上がろうとする者たちも数多くいた。かつて彼女の元で戦った将兵や、彼女の人柄に
惹かれて帰順を肯じた豪族たち。その気になれば革命すら起こせただろう。だが、彼女はそれをしな
かった・・・もはや、その意味を見つけることができなかったからだ。
自分が戦ったのは、国が欲しかったからではない。王に平和になった国を治めてもらいたかった
からだ。これ以上自分のために国が乱れるのは、本意ではなかった。

“謀反”は重罪である。当然のことながら家は断絶、領地を初めユーニスが所持していたものはその
一切が没収されていた。釈放された彼女が手にできたのは、父の墓前に祭られていた形見の剣だけ
だった。それを手に、ユーニスの流浪が始まった。
ユーニスの投獄と失脚によって、一旦は統一された国の各地で叛乱が勃発していた。各地で義勇軍や
傭兵の仕事はいくらでも見付かった・・・ユーニスは、身分を隠したままそうした戦いに身を投じて
いった。
死にたい・・・と思った。故郷を・・・そして、何より心の拠り所を失った彼女にとって、いつしかそれは
唯一の望みになっていった。
だが、死ねなかった。
心は死にたいと願っていても、長い戦いを経てきた体がそれを許さない。 罪人の印を抱えたしかも女の
身である。得られる仕事はいつも劣悪極まりないものだったが、無意識のうちにその剣が敵の首を
刎ね、ユーニスはいつも生き残った。
その圧倒的な武力から、時には彼女の正体―――――かつて、中原を制した『明星のユーニス』
―――――に気付く者もいた。
彼女を担いで一旗揚げようという者。彼女の境遇を哀れみ、共に隠れ住まないかと勧める者。反応は
相手によって様々だったが、最早人間そのものを信じることができなくなっていたユーニスにとって、
そうした誘いの全ては、ただ鬱陶しいだけだった。
声をかけられる度にユーニスは黙って背を向け、こうして二年間の時が過ぎていった。

北大陸における流浪の旅の間に、死にたい・・・という気持ちは益々強いものになっていった。強い敵を
求め、自然とユーニスの足は南へと向かった。
南大陸。竜や魔獣といった伝説の種族が住むと言われる場所。その能力は人智の及ぶところでは
ないという。豊かな地を求め、古来より幾度となく南大陸への遠征が行われてきたが、そのいずれも
成功することはなかった。それは、彼らの能力故だという。
やがて彼らに会うことができれば、そのときこそ私は救われるのだろう・・・そう、侵入者として攻撃
されることによって。それは、明日か明後日か・・・それとも、今この瞬間か。

(もう、やめよう・・・)

故郷からここまでの旅で、唯一手放さなかった父の形見の剣をしっかりと抱き寄せると、ユーニスは
膝を抱えて再びまどろんだ。


PURE AGAIN(2)へ