PURE AGAIN
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(・・・・・・)
心を研ぎ澄まし、気配を絶つ。神速で繰り出された剣先が、ユーニスの目の前を横切ろうとしていた
魚を捉え、それを岸へと放り上げる。
これで、五匹目。もう充分だろう。
近くの岩の上にちょこんと座っていたククルは、ユーニスが川から上がるのを見て口を開いた。
「もう、おわりか?」
「そうだ。」
「おれも、やる!」
「勝手にしろ。」
と背を向けたユーニスに影が差す。
「な・・・」
慌てて振り向いたユーニスの目に映ったのは、黒々とした川底と・・・空に浮かぶ水塊だった。ククルに
よって持ち上げられた川の水は、ゆっくりと地面の上まで移動するとそこで弾けた。後には、数え切れ
ないほどの川魚が地面の上で飛び跳ねていた。
嬉々としてそれにかぶりつくククルの姿を眺めながら、ユーニスはぞっとしない表情になった。
(まったく・・・竜の能力というのは底が知れないな)
海岸沿いに、東を目指す。ユーニスの旅は、遅れ始めていた。原因はもちろんこのククルと呼ばれる
ことになった竜であった。
あれから、ククルがたどたどしく語ったところによると、竜の一族はこれよりも遥か東の一帯に住んで
いるらしかった。種族は七つあり、ククルはその中の一つである水竜。確かに、同じく水の術を使う
ことのできるユーニスから見ても、ずば抜けた水を操る力を持っていた。
南大陸は、自然が豊かな場所だった。川や森が至るところに存在し、そのそれぞれに自然の恵みが
溢れていた。ククルはそれを実によく知っていた・・・それが、一族と離れ、今まで一人きりで生きて
こられた理由なのだろう。
だが、なぜククルがこんなところで一人でいたのかについては、詳しいことは分からなかった。それに
ついてだけ、どんなに訊かれてもククルは語ろうとしなかったからだ。
「それ、うまいか?」
「ああ。・・・何だ、気になるのか?」
「ちょっと・・・。」
焚火で焼き上げた魚を口に運ぶユーニス。その様子を、傍らで物欲しそうにじっと眺めていた
ククルは、やがて我慢できなくなったのか口を開いた。
二言目には「うまいのか?」を連発するククル。やはり、一番に興味を示すのは食べ物である。
「別に、食べても構わんぞ。」
小さく肩を竦めたユーニスが答えるのと、ククルが魚にかぶりつくのはほぼ同時だった。
「あがっ!」
「!?」
小さな悲鳴が上がり、驚いたユーニスがそちらに眼をやると、ククルはその双眸に大粒の涙を
浮かべていた。どうやら突き刺してあった支えの棒ごと思い切り噛んだらしい・・・竜の身ならいざ
知らず、人間の姿では棒を噛み切ることはできない。
「あ・・・い・・・いひゃい・・・!」
「バカだな! 棒が刺してあるのくらい、見れば分かるだろう!」
口を押さえたまま、ククルは海の方へと走っていった。その後姿を眺めながら、ユーニスは小さく溜息を
ついた。
「まったく・・・。」
ククルは、驚くほど素直で純粋だった。そして、人の姿で過ごすことにまだ慣れていない。ククルが
とんでもない行動をしようとする度に、ユーニスは慌ててそれを止めなければならなかった。
もし、ククルが人間であったなら。既に極度の人間不信に陥っていたユーニスはあっさりと彼を
置き去りにできただろう。
しかし、ククルは竜であった。こうして、「仕方ない」と思いつつも、ユーニスは何くれとなくククルの
世話を焼く羽目になったのだった。
「ふう・・・。」
食事が済むと、ユーニスは焚火のそばに寝転んだ。
小さな川の、河口近くの砂浜である。それを見て海から戻ってきたククルに向かって、ユーニスは
いたずらっぽい目で問いかけた。
「どうだ。・・・痛いのは治ったか?」
「まだ、すこし・・・」
「早くその姿に慣れてくれないとな。まったく、危なっかしくて目を離していられん。」
人の姿になることで、竜の社会では一人前と見做されるらしい。だが、どうやらそれには「名前を
呼ばれること」が必要らしかった。ユーニスによって初めて人の姿を得ることができたククルがあれ程
喜んだのには、そんな理由もあったのだ。
(やれやれ・・・)
苦笑いを浮かべたユーニスは、それでも満更でもない様子でククルの方を見つめた。そうした感情の
機微が分からないククルは、きょとんとしたままである。
出会ってから既に五日。毎日振り回され、怒鳴り声の絶えることのない毎日ではあったが・・・不思議な
ことに、ユーニスはあれほど四六時中頭を占めていた「死にたい」という気持ちが、ククルと過ごすうち
少しずつ薄れて行くのを感じていた。
(そうだ。こうやってのんびり暮らすのも、悪くないのかも・・・)
起き上がり、穏やかな目で海を眺めるユーニス。それが北西―――――彼女が渡ってきたメクタル
地峡の方に向けられたその刹那、ふいにすっと細められた。
振り返らず、背後のククルに言う。
「・・・ククル。お前は、一族の元へ戻れ。」
「え?」
「敵が来ている。懲りずに、また人間がな。」
「てき? ・・・それ、うまいのか?」
「・・・・・・。いや、不味いな。お前には勧められん。」
いつもなら「何をバカなことを!」と怒鳴るはずのユーニスが、苦笑いを浮かべている。その視線の先に
目をやったククルは、見慣れないものが遠い海上にあるのに気が付いた。それは、少しずつこちらに
近付いてくる。・・・北からの、大船団だった。
(遂に・・・来たのか。・・・王よ!)
南大陸は未知の世界であり、基本的にセルティーク海を航行する船は南大陸を避け、北寄りの
コースを進む。もちろん、悪天候や機関の故障でこちらに吹き寄せられる可能性は否定できないが、
船団ということはあり得ない。間違いなく、あれは南大陸への侵攻軍だった。そして、その出自がどこで
あるのかも明白だった。
思えば、北大陸の統一が成る直前・・・最後の掃討戦の最中には「これが終わったら」という話も
ちらほら出始めていたものだった。大抵の者は「人間族悲願の南進を・・・」という願望を既に隠そうと
しなかったものだ。
「どうした。早く行け。」
「ユーニス、どうするのか?」
「私は残る。お前がこのことを一族に伝えるまで、時間を稼がねばならぬからな。」
「でも・・・」
「心配するな。・・・どうすればいいか、多少の心得もある。」
このときになって、ユーニスは出会って初めて、ククルに向かって翳りのない笑顔を向けた。
「さあ、行け・・・。」
「うん!」
不安そうな顔をしていたククルは、その笑顔で安心したのかにっこりと笑った。そして、元竜に姿を
変えるとその場から東へと飛び去った。
別れの言葉は、口にしなかった。
(また、「うまいのか?」などと訊かれてはたまらんからな・・・)
微笑を浮かべてククルが飛び去るのを見送ったユーニスは、表情を引き締めると彼とは逆、西に
向かって走り出した。
ククルが故郷に戻るのには多少の時間がかかるだろう。そして、一族にこのことを伝えるのにも。
・・・それなりに、時間を稼ぐ必要があった。
形見の剣を握る手に力が籠もる。これが、恐らく自身の最後の戦いになるだろう。
やっと、死に場所を得られるのだ。結局相手は人間ということになったが、ユーニスの中に後悔は
なかった。